第11話 交差
フラワーの医療区画にある会議室では、ワンダーの定住を受け入れるかどうかの意思確認が行われようとしていた。医療チーム、言語・翻訳チーム、エンジニアチーム、ワンダー定住支援チーム、そしてスノードロップが円形のテーブルを囲んでいる。
スノードロップがフロースアルブスで狩りに参加していた数日の間もアスチルベでは定住の検討が様々な角度から行われていた。
最初に報告をしたのはワンダー定住支援チームのトーキーだ。
「定住予定地はワンダーの生活環境に近く、場所も確保しやすいリーフ外縁に決定した」
ワンダー定住支援チームのリーダーは空中投影ディスプレイに定住予定地のマップとテントなどをいくつか写して、
「テントは製造中。もし、足りない場合はフラワーにある非常事態用テントを流用する。ここまでで質問は?」
手を挙げたのは医療チームのリーダーであるドクだ。
「質問ではなく、補足です。病を防ぐのも対処しやすいのもリーフなんです」
「フラワーではないんですか?」
スノードロップの問いにドクは、
「感染発生時、フラワーならリーフの住人含めて収容可能です」
「それは、ワンダーに感染を広げないためですね」
「はい。最大の理由はリーフは独自の医療システムが構築されていることです」
リーフ開拓時に簡易版として作られた簡易型の医療ポッドの発展型だ。ルートやフラワーにも医療ポッドがあるが、リーフ型は電力消費が少なく、構造もシンプルなのが特徴的だった。
「リーフには完璧な条件が揃っているんだ」
トーキーは発言を終えた。言語・翻訳チームのラングが続く。
「言語モデルの更新は専門会話が可能なレベルまで完了しました」
「あとは逐次更新ですね」
「翻訳も住人の共通端末で行えます。コミュニケーション面で問題はないでしょう」
ラングはスノードロップをしばし見る。
「言語モデルはあなたの更新した分と我々の解析した分で照らし合わせて、改良を行っています」
「精度はさらに上がるのでしょうね」
「はい」
全身から自信を溢れさせながらラングは頷いた。
「一つだけよろしいでしょうか」
自信が消え、ためらいがちにラングは言った。
「言語・翻訳チームはワンダーと交流を続けることに賛成です。定住は消極的賛成です」
「理由はなんですか?」
スノードロップはゆっくりとした口調で尋ねた。
「我々は彼らの死を望んでいません。死を回避できないのであれば、定住以外の方法を模索したい」
その場にいたテーブルに囲っていた者、その後ろに立っていた者たちが静かに頷いた。
「定住支援チームとしては受け入れ態勢は整っている」
「ばらばらにしゃべるのやめてください」
そう言ったのはドクだ。
「まず、感染症の正体を突き止めました。コロニーの住人の2割の腸内に住むアルカディア菌群」
「アルカディアとは皮肉が効いていますね」
「ほんとですね。私たちにとってはただの常在菌、ワンダーにとっては死の細菌なんですから」
空中投影ディスプレイには、細菌の形状や予想される症状と進行状態が表示されている。ワンダーからのもたらされた情報と医療チームのシミュレーション結果に差異はなかった。
体内で増殖した細菌がサイトカインストームを誘発し、多臓器不全で死亡する。サイトカイン抑制剤投与とアルカディア菌群特異的バクテリオファージによる溶菌療法が有効だと考えられていた。
サイトカインと一口に言っても種類がいくつもあり、どれが多く分泌されるのかまでは特定できなかった。候補になる抑制剤の投与と血中のサイトカイン濃度を測定を2時間間隔で繰り返し、最も効果的な抑制剤に絞り込む手順だ。
特異的バクテリオファージは生きた細胞は使わず、高精度3Dプリンタでファージそのものを作り上げる。製造というべき手法が採用され、すでに量産に入っていた。
「このファージに名前は?」
スノードロップはドクに尋ねた。
「プロジェクト・アルテミスで開発されたので、アルテミス・ファージと呼んでいます」
「狩猟の女神ですか。いい名前です」
「そして、アルカディア菌群だけを狙い撃つ優れた狩人です」
スノードロップは感心したように微笑んだ。狩りの文化と習慣のある彼らにぴったりだと彼女は思った。
「こちらでも保菌者と非保菌者で体臭が異なるのも確認できました。これでワンダーと接触する住人の選定は可能です」
「感染経路の絞り込みはできていますか?」
「候補はいくつかあって、それぞれ対策は講じます。しかし、完全に防げるかはわかりません」
空中投影ディスプレイの内容が感染予防に切り替わる。防護服の着用、流通する物品のUV消毒、食料も消毒と洗浄や加熱調理の徹底など。
医療チームのリーダーの表情がわずかに曇る。
「保菌者からアルカディア菌群の除去も試みました。結果は失敗です。腸内細菌のバランスが崩れて、体調に悪影響を及ぼすんです」
実験に協力した住人はアルカディア菌群の錠剤を飲んで回復した。これにヒントを得て、野生株を弱毒株に置き換える案が出たが、実行するには情報不足だという。
「エンジニアチームはあらゆるものを作る準備ができている」
エンジニアチームのリーダーであるスパークが言った。
「設計やシミュレーションに必要な計算機資源、薬品やワクチンを作るのに必要な高精度3Dプリンタは確保済み。今も高精度3Dプリンタの量産をしている」
準備は万端だ。決断は任せる、そんなスパークの意図が伝わってきた。
スノードロップはテーブルの全員を見渡して告げる。
「受け入れに賛成の方は挙手をお願いします」
その言葉にばらばらと、だが、全員が手を挙げる。
受け入れが確定した。
●
受け入れ確定から1週間後、スノードロップはワンダーのキャンプ地に足を運んでいた。出迎えてくれたのはケトゥスですぐにアトラスを呼んでくれた。
「あの件か」
「はい、報告があります」
「場所を変えよう」
スノードロップが頷くと、アトラスはいつもの調子で歩き出す。テントに向かう途中でアルタイルも加わった。
スノードロップがアスチルベが定住を受け入れること、命を食らう病の発生を減らす努力をすること、発生時には全力で治療にあたることを説明すると、アトラスはすぐに、
「承知した」
といった。あの意思決定の場にいて、これまで何度も繰り返し検討してきたかのようだった。
アルタイルがスノードロップを睨みつけてから、アトラスに向けて叫んだ。
「それは死地に赴くようなものです!」
「客人の前だ。落ち着け、アルタイル」
この反発は無理もないし、必要な観点だとスノードロップは思う。そして、ここから先は彼らの話だ。
「私は、しばらく外を散策しています」
「感謝する」
苦笑にも似た表情のアトラスに見送られてスノードロップはテントを出た。アルタイルは出入口からスノードロップが遠くにいったのを確認すると、幕を下ろして、
「あの病に治療法がないのはあなたもよく知っているはずです。短期間で治療法が見つけられるとも思えません。あいつらは、我々を根絶やしにするつもりです!」
アルタイルの勢いにアトラスは動じずに答える。
「そのつもりなら、無人作業機械に命じているだろう」
彼の言葉にアルタイルは短くため息をついた。定住を止めるのが目的で、病の治療法自体は補強の材料なのだろう、とアトラスは思う。出入口の幕がわずかにあがり、光が差し込んできた。
その方を見ればレグルスが顔を覗かせていた。
「取り込み中だったか」
「あなたにも聞いてもらいたい。定住の件だ」
レグルスは静かにテントの中に入ると、外からの光が再び消える。
「定住の受け入れは条件付きで許可が出た」
「条件は、命を食らう病の扱いだろう?」
「そうだ。予防と治療に全力を尽くすことを条件に出してきた」
顎髭を撫でるレグルスにアルタイルは、
「あいつらはあなたたちを実験台に――」
「心配する気持ちは受け取ろう。その鋭さは素晴らしいが、鞘にしまうことを忘れずにな」
「……サギッタが全滅した件を忘れていないでしょうね」
腹から絞り出すような声でアルタイルはいった。
「もちろん、覚えている。だからこそ、といったら?」
レグルスの問いにアルタイルは返す言葉が思いつかないのか口を閉ざした。顎鬚から手を離すと、レグルスはアルタイルの方を向いて、
「待っているだけで大物狩りができる。面白いではないか」
「それは、残る皆も同じ考えなのですか?」
「面白いと思っているかはわからん。だが、最後に役に立ちたいと思っているのは一緒だ」
「あなたはこれまでも私たちの力になってきました。何も……」
今までのように旧キャンプ地に残って回復を待つのも命がけなのだ。限られた資源でやりくりする必要があり、野生動物に襲われたときに撃退するのも難しい。
回復して合流に成功することもあるが、長老と呼ばれるような年齢になるとどこで最期の時間をどう過ごしたいかの意味合いが強い。
「アルタイルよ。命を食らう病からいつまで逃げるつもりだ?」
「コロニーと接触しなければいくらでも」
「うむ。サギッタがコロニーに接触したのはなぜだったか、覚えているかな?」
アルタイルは唇を噛んでから、
「生産機の不調です」
「そう。他のグループが近くにいなかったから、近くのコロニーに助けを求めた」
アルタイルは自身の答えを認めたくないのか、やや小さな声で、
「……命を食らう病が克服できれば、選択肢が増えると?」
「そうだ。最後の獲物としてこれほどのものはない」
レグルスは優しい笑みで頷いた。最後に役に立つの意味を理解してもらえた喜びもあるだろう、とアトラスは思う。
彼とはよく話すが、たまに真の目的や思惑を伏せるのが食えない。以前、伏せないで欲しい、と言ったことがあるが、それを見抜くのも役割のうちだ、と流されてしまった。
今、アルタイルは体験しているのだ。レグルスがこの話し方をするのを一定の実力を持つ者だけだとアルタイルは気づいているだろうか。
「私が反対する理由はありません」
「アルタイルの懸念はよくわかる。定住後の交流は慎重に行おう」
「……ありがとうございます」
アルタイルの肩をレグルスがそっと叩き、
「年よりのわがままだと思ってくれ」
「私は、誰にもあのように死んで欲しくないだけです」
誰が聞いてもわかるぐらいにアルタイルの声は震えていた。
二人のやり取りには反応せず、アトラスは幕をくくりながらこういった。
「スノードロップに受け入れをお願いしてくる」
外に出ると日が暮れ始めていた。
赤く焼ける空のもと、スノードロップは広場で質問攻めにあっていた。子供たちからはコロニーはどんな場所なのか、何があるのか。若者も交じって食料はどうしているのか、と興味は尽きないらしい。
質問に答えていたスノードロップがアトラスに気が付いて顔を向けた。
「例の件だがお願いをしたい」
「わかりました」
二人の短いやり取りに質問していた者たちが一瞬だけ疑問を持ったようだが、すぐにそれぞれが興味のある話題に戻った。
スノードロップの短い言葉に決意の色が滲んでいたことにどれぐらいの者が気づいただろう、と思いながらアトラスは広場を後にした。
●
1週間後、リーフ外周部のワンダー受け入れエリアにレグルスたちの姿があった。
テントの配置や内装は見慣れたもので、ここまで再現できるとは、と定住希望者たちは誰もが驚いた。
どのテントを選ぶかは自由で定住希望者たちは好みのテントに入っていった。
レグルスが皆が選び終わるのを待っていると、見知らぬ男が声をかけてきた。
「あんたがレグルスか?」
「そうだが――」
「俺はマイクだ」
名前を尋ねるより先に男が答えた。
「何かあったら俺に言ってくれ」
「アスチルベの志願者はおぬしのことか」
「ほかにもいる」
男は奥の2階建ての建物を指さした。建物の周辺では頭から足まで見慣れない装備で身を守った人々がせわしなく動きまわっている。
「あそこが病院……病を治す場所だ。あの白い服を着ているのが専門家だ」
「彼らが狩人か」
狩人という表現に男が怪訝な顔をした。
「私たちは狩りをたとえによく使う」
「まさか、アルカディア感染症が獲物なのか?」
「命を食らう病をそう呼ぶのだな。我々はともに狩り、その恵みを分かち合う」
いつもの狩りなら獲物を分かち合うでよいが、今回の狩りでアスチルベには何があるのか、とレグルスはいってから気が付いた。
「あんたらには聞きたいことがある。やってやろうぜ」
「闘志は互いにあるか」
「年は関係ないだろ」
二人は目をあわせて笑った。
●
スノードロップはキャンプの跡地でその報告を聞いていた。
テントは畳まれて、移動用の車両に積まれている。アスチルベ製の通信機材やHEATHの観測機材も含まれていた。
「音声通信は非常時のみだ」
「はい。観測機材の設置、よろしくお願いします」
「移動と狩りのついでだ。それに彼らを預かっている」
彼らとは、無人作業機械のことだ。ワンダーとの接触は無人作業機械たちにも影響を及ぼしていて、外に行きたいと希望する機械たちの集まりだ。リーフの開拓に携わった無人作業機械から教わったことが希望の源泉だとスノードロップは思う。
「ご面倒をおかけします」
「彼らとは1週間ほどしか付き合いはないが心強い仲間だ」
スノードロップは短く礼をいった後、
「必ず、仕留めて見せます」
「レグルス達を頼む」
アトラスは最後尾の車両に乗り込むと、車列が動き出した。何もなくなったキャンプ地でスノードロップは一人呟いた。
「狩りはこれからです」
アスチルベに向かって、歩く彼女の眼には狩人の鋭い光が宿っていた。