第10話 宴
解体と感謝の儀を終えて、スノードロップたちは屋外にある調理場に向かった。
日が傾き始めた空の下、アトラスは鉄板の上に生の肉を乗せた。加熱器具はコロニーでは見たことがないが内部では薪を燃料にしているようだった。煙は出てこない。フィルターを通して排気しているに違いないが、熱が感じられない。高効率の熱交換器があるのだろうか、とスノードロップは考えた。
「大きな獲物を仕留めた時、誰かが成人を迎えた時には宴を開く。今日はその2つが重なった特別な日だ」
彼の視線が自身に向いていることに気がついてスノードロップは誇らしげな笑みを浮かべた。
「手伝わせてもらえませんか?」
「今日の主役に手伝わせるわけにはいかない」
色の変わった肉をひっくり返しながら、アトラスは言った。香ばしい香りが広がる。
スノードロップはしばらく考えるそぶりを見せて、
「私は狩り仲間です」
スノードロップが食い下がると、アトラスは苦笑して頷いた。
「運ぶのを手伝ってくれ」
アトラスはよく焼けた肉を皿に盛り付け、スノードロップや他の者たちが運んでいく。キャンプ場の開けた場所に置かれたテーブル、あるいはあまり身動きがとれない人の住むテントへ。
彼は別の皿に肉と野菜を盛り付けながら、
「分配は必要な者に必要な分が原則だ」
「働き盛りの大人、育ち盛りの子供が優先ですか」
「子を宿す母親も優先だ」
当然のように言われた言葉にスノードロップは衝撃を受けた。
「人工子宮なしで子供を?」
「不思議か?」
「はい」
アトラスの視線は鉄板の上で音をたてて、色と香りを変えていく肉に落ちた。
「私たちのやり方が参考になるかわからないが共有しよう」
「是非、お願いします」
一切れの干し肉には一切れの干し肉で応じるべきだ、とスノードロップが条件を確認しようとするのをアトラスが制止した。
「これは駆け引きや取引に使うものではない」
「いいのですか?」
「教えるのも学ぶのも時間はかかるだろうが」
一枚の肉をひっくり返して、
「経験には必要不可欠だ」
「そして、経験者がいれば心強いです」
しっかりと焼けたのを確かめて、アトラスはナイフを入れる。一口大に切りだされた肉を見てスノードロップはチャーリーが考案したサイコロステーキを思い出した。シカの肉はどんな味だろうか、とスノードロップははじめて想像したことに気が付く。
食べるものと認識はしていたが、それが口の中に入るものだと繋がっていなかった。
「先の配分の話に戻るが、誰かを飢えさせるつもりはない」
「必要な者に必要な分ですね」
肉は少なめだが野菜は多めに盛られた皿を見てスノードロップは言った。
「小食の者には少ない量だ」
ワンダーへの理解が進むにつれて、その考え方が洗練されているとスノードロップは内心で驚く。
「それも広場に持っていってくれ」
「わかりました」
キャンプ地の出入り口とは反対側に広場はあった。記憶が正しければ、キャンプ地の入り口付近にも広場らしい空間はあったが、こちらの広場には簡易式の椅子やテーブルが置かれている。中央には格子状に組まれた薪が赤々と燃えている。
すでに配膳が済んだ席に年齢や性別を問わず様々な人々が座っていた。スノードロップに気がつくと、小さく手を振ったり、会釈したり、あるいは拍手や指笛を吹いたり、反応は様々だ。配膳の合間にスノードロップは全ての反応に会釈と小さく手を振って応じた。
テーブルに皿を置いて、次の料理をと思ったら、広場にいた人々の熱量が上がった。振り返るとアトラスがいた。
「今日の狩りも成功した。予想外の問題はあったが我々は乗り越えた」
アトラスは言葉を区切り、スノードロップを手招きした。
「そして、新たな狩り仲間と出会えた。スノードロップだ」
「どこから来たのかな」
落ち着いた調子の声、やや枯れているのは老人か、とスノードロップは声の主である少し背の低い老人を見る。背筋はまっすぐで、筋肉も落ちている様子はない。表情は優しいが、目には鋭い輝きが宿っていた。
「コロニー『アスチルベ』だ」
「ワンダーではないのだな」
「そうだ」
アトラスと老人のやり取りにスノードロップは右手を挙げる。
「初めまして、コロニー『アスチルベ』管理者のスノードロップです。お名前を教えていただけませんか?」
「レグルスだ。グループ・アクルスの長老をやっている」
アトラスが初対面で名乗った時は『ワンダー・アルクス』だった。レグルスは『グループ・アルクス』と言う。外部向けと内部向けの使い分けだろうか、とスノードロップは推測した。
「ありがとうございます、レグルスさん。よろしくお願いします」
「こちらこそ、スノードロップ」
レグルスの差し出された右手をスノードロップは握る。老人とは思えない強い握手にスノードロップは同じぐらいの力強さで応えた。
「コロニー管理者と話す日が来るとは……。長生きしてみるものだ」
楽しそうにレグルスは顎髭を左手で撫でながら言った。
「挨拶はここまでにして、食事にしよう。我々の大地に!」
アトラスが盃をかかげると、その場にいた皆が盃やコップを掲げた。数秒の沈黙の後、食事の音、話し声が嵐のようにやってきた。
「君の分もある」
アトラスが数口分の肉と野菜を盛り付けた皿を差し出してきた。スノードロップが宴には参加する。しかし、食事しても無駄になってしまうと、断ったのをアトラスが味見はすべきだ、と押し通したのだ。
「部位と焼き加減が違う。味を楽しむには十分だ」
「ありがとうございます」
二人は全体が見渡せるコンテナに腰を下ろした。上を見れば、星々が静かに輝き、広場を見れば活気があふれていた。
「騒々しいか?」
「いいえ。皆さん楽しそうで、良かったと思ったんです」
アトラスはフォークで肉を刺して味わうように噛んで飲み干した。二人の目の前ではカノープスとケトゥスが追い立ての様子をほかの者たちに話ていた。小枝を踏み抜いたくだりで、自分もやった、こういう工夫が大事だと話が一気に盛り上がった。スノードロップは微かな笑みを浮かべて、その様子を見守っていた。
「君もだいぶ馴染んできたな」
「そうなのでしょうか」
「はじめて獲物を仕留めたときは、もう少し違う喜び方をするのだが」
アトラスは盃の中の液体を一口飲んで、
「君にはいらない心配だった」
「この野菜はどうやって手に入れているんですか?」
「採集をしている。専用のグループもある」
「分業が進んでいるんですね」
スノードロップの言葉にアトラスは頷くと、狩りを一緒にした狩猟グループの他、採集グループ、キャンプ地で子供の面倒を見たり防衛するキャンプ場常駐グループ、狩りの一線を引いた教官や訓練中の若者中心の待機グループに分かれると説明してくれた。
誰にでも何かしらの役割を与えるのがワンダーの文化なのだとスノードロップは思う。鹿肉は噛みごたえがあり、噛むほど旨味が口の中に広がる。肉を飲み込んで、次は葉物を口に運ぶとやや強めの酸味が脂っぽさを消してくれた。よく考えられた料理だとスノードロップは感心していると、誰かが近づいてきた。
「輪に加わらなくてよいのですか?」
声の主はアルタイルだ。スノードロップが狩りに参加することになり、入れ替わりでキャンプ場で待機になった。皮肉の一つ二つはあるだろう、とスノードロップは内心で構えつつ、にこやかに応じる。
「ここだと全体が良く見えますから」
「今日の狩りは見事でした。失礼します」
それだけ言い終えると、彼はテントの間に消えていった。
「彼の代わりに無礼を詫びる」
「いえ、その必要はありません。よく抑えていると思います」
「気遣いに感謝する」
アトラスの言葉にスノードロップはゆっくりと首を横に振った。
「アルタイルさんの警戒心と鋭さは武器になります。さっき、アルタイルさんはそれを使いませんでした」
「ようやく、使う場面を覚えてきてくれたか」
「教えるには時間が必要ですね」
「それと、良い先達がな」
話はワンダーの生い立ちに変わった。国家消滅戦争の後期、セレスティア離脱後、稼働していたAGIがコロニー以外の生存プランとして、実行に移したのだと言う。それも、人間と無人作業機械、移動式生産ユニットの寄せ集めだ。
「最初のころは、都市の生き残りと合流したり、あるいは生きる術を教えていた、と聞いている」
「地上ではそのようなことが起きていたのですね」
「私も伝聞でしかしらないが」
アトラスは苦笑いしながら、後ろの施設を指さして、
「あれが移動式生産ユニットだ。食料以外は何でも作れる」
「何でもですか?」
「私たちの着ている服や武器、テントも食器もそうだ」
スノードロップは腰を下ろしているコンテナを見て、横に置いた皿を見て、周囲のテントを見た。これらすべてを作ったことになる。
「動力源は太陽光と蓄電池だ」
ワンダーの弱点になりかねない情報にスノードロップは念のために確認をとる。
「この話は聞いてもよいのでしょうか?」
「ワンダーなら誰もが知っている。狩り仲間なら知っていて当たり前だ」
「ありがとうございます」
アトラスは盃にボトルから液体を注いで一口飲んで、
「私たちワンダーは他のグループとの接触を避ける。だが、例外がある」
「巨大な獲物を狩る時ですね」
「そうだ。小山のような生物だ」
そんな生物がいるという情報は一切知らない。コロニーの活動エリア外に何か潜んでいる可能性がある。スノードロップの報告リストに項目がひとつ増えた。
「もうひとつはなんですか?」
「血を混ぜるときだ」
「どのように混ぜるのですか?」
「人ごと入れ替える」
アトラスの言葉にスノードロップは考える。アスチルベの基準で言えば、5名から10名の家族単位での移動になるだろう。ワンダーの人数規模で言えば数割が入れ替わる。
「それは、知識も文化も混ざる大変化です」
そうだ、とはっきりとアトラスは言って、
「人と文化は等価だ」
その意味はスノードロップにも理解できた。しかし、なぜ、寂しそうなのかはわからなかった。
●
食べ終えた人々が食器を片付け、自分たちのテントに引き上げていく。空いた席に移動する者もいれば、スノードロップのまわりに集まる者もいた。
「ようやく、話せる時間ができた」
「こんばんは、レグルスさん」
「先はうちの若いのに絡まれていたが……」
「狩りを褒めていただきました」
レグルスは目を見開いてから、もとに戻して、
「なるほど、苦労はしてきたようだ」
「ええ、それなりに」
手にした盃を飲み干して、レグルスは世間話のようにこういった。
「命を食らう病の話がしたい」
アトラスが誰かを探すようにあたりを見渡した。どうやら、いなかったようだ。
「レグルス、急すぎるぞ」
「彼女は準備できているようだ」
どこかぴりつくアトラスに対し、レグルスは柔らかい態度を崩さない。
「……それは、レグルス、あなたもだ」
アトラスのその言葉の真意は何だろうか、とスノードロップは続きを促した。
「あれは細菌感染症の一種だ。各種薬剤に耐性を持ち、発症すれば一週間で死に至る。助かった者はいないとされる」
「いないとされる、ですか?」
「その疑問には私が答えよう」
アトラスの顔の影が濃くなった。うつむいたのだ。
「助けに行けば、他のグループに広まってしまう。発症者が出たグループは、他のグループに連絡する」
スノードロップはされると言った意味を理解した。ほかのワンダーを巻き込まないようそこにとどまり、奇跡的に回復するのを待つ、ということだ。
「グループ・サギッタがとあるコロニーと接触後、この病で全滅した。アルタイルを中心に我々と交流があったのだ」
血を混ぜる対象だったのではないか、とスノードロップは理解した。
「そうだったのですね……」
アトラスは端末に写真を表示した。サギッタが全滅してから、数日以内に撮影されたのだろう。遺体はどれもきれいに見える。情報を見ると撮影者はアルタイルだ。
テントの中で息絶えている親子、テントに戻ろうとして倒れている老人、切り替わる写真の中であらゆる人々が死んでいた。
この光景をアルタイルはどんな気持ちで見ていたのだろうか。写真はどれもぶれやぼけはない。そうさせるのは冷たい怒りだとスノードロップは思う。
「獲物を少しでも理解するため、これまでの話と写真をアスチルベの医療チームに共有してもよいですか?」
レグルスが頷き、続いてアトラスも同じ動きをする。データをまとめて送って、スノードロップはコップに視線を落とした。
「我々の制止を振り切り、彼はグループ・サギッタのキャンプ地に向かった」
アトラスの言葉が途切れた。数秒の間のあと、レグルスが口を開いた。
「そして、その惨状を目の当たりにした。悔しかった、であろうな」
「アルタイルさんは、感染しなかったのですね」
「幸いにもな」
スノードロップはかける言葉が見つからず、夜空を見上げたが星は何も教えてくれなかった。