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バウンドレス・アイズ  作者: フィーネ・ラグサズ
第1章 ハイレゾリューション
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第1話 インサイト

 先進技術開発チームの同僚であるシンクとの立ち話がきっかけにコミュニケーターの開発は始まった。

 僕の母さんは人間ではない。コロニー管理者と呼ばれる大規模なAIだ。

 先代管理者が食糧難で反感を買って打ち壊されたタイミングで起動し、住人と対話で信頼関係を構築し、数十年単位でコロニーを発展させてきた。

 住人との関係を深めるのに一役買ったのがコロニー環境測定用生体「アルバ」だ。人間に近い感覚を知るために幾つかの種類が用意されていて、アルバはそのうち母さんがよく使う生体の愛称だ。

 母さんは人を理解できるようアルバにさまざまな改良を加えた。感覚器の追加、より豊かな表情ができるように改善、ボディランゲージの強化、人間の思考を推測するためのハードウェアやソフトウェアの追加など。一定の成果を上げてきたけど、最近は伸び悩んでいるようだった。話しているときに妙な間を感じることが増えてきたからだ。


「今の母さ……スノードロップにアルバは小さいんじゃないかな」

「身長の話ではないですよねえ」


 僕の言葉にシンクは冗談っぽく言った。

 彼とは「ルート」のインフラ強化計画のときに知り合ったから、10年近い付き合いになる。


「もちろん。身長だったら他の生体を使えばいい」


 アルバも母さんがいくつも扱うコロニー環境測定用生体のひとつに過ぎない。背の高い生体ももちろんある。


「ああ、わかりました。今のスノードロップの持つ感情を表現するにも、共感を得るにも性能が足りないんですね」


 シンクの言葉に僕はしばらく悩んだ。僕の考えていることと、あっているのだけど、同じものを見ているかわからなかったから。でも、たぶん、見ている。


「環境測定用ではなく、意思疎通のための生体が必要だと思う」

「なるほど。いい案です」


 技術研究所の外に出ると、夜空が見えた。「フラワー」の天井は電圧をかけて透過と不透過が切り替えられる。風や雨を防ぎつつ、空を堪能できる欲張り仕様だ。


「欲張ってもいいんじゃないでしょうか」


 シンクは透明な天井越しに星空を見上げながら言葉を続ける。


「欲張った人から欲張った人へのプレゼントにはうってつけですよ」

「そんな欲張ったつもりはないよ」

「ルートの冗長性を高めて安全にしただけでは飽き足らず、新しくフラワーを作った人が何を」

「それに付き合ってる君はなんだい」

「類は友を呼ぶといいますし。他にも乗る人はいますよ」


 空から視線を前に戻して、シンクは続ける。


「ほかにも目的があるでしょう?」

「お見通しか。アルバの感情表現や感覚が人間と異なるせいで、僕らもすれ違っている」

「管理者と人間では根本的に異なりますよね」

「わかるよ。それを言うなら、シンクと僕だって違う個体だ。努力をして、会話ができている」

「同じ位置に来てほしいんですね」



 声をかけたらいつもの面子が揃ってしまった。

 最初の打ち合わせの場で、より人間の感覚に近い生体を作る、と切り出したら、すごい勢いで皆がしゃべりだして、収集が付かなくなった。最新の技術で最高を目指そう、アルバの洗練したバージョンがいい、新型の統括ユニットを積もう、感覚器は生体工学の観点で攻めたい……方向性は揃っている。だから、僕はすべての案を受け入れた。

 今のアルバの感覚は聴覚と視覚、味覚は人間にかなり近い。それ以外はかなりいい加減だ。ものを食べて味わうことはできても、お腹の中にものが落ちていく感覚はない。触覚は顔、手のひら、足の裏といった重要な部位以外はかなり間引かれている。痛覚はない。それらの足りない分は、母さんが想像で補っている。

 想像で補わないようにするには、人間とAIの橋渡しになる生体が必要で、実現するには皆のアイディアが不可欠だ。

 波乱に満ちた冒険の始まりだった。



 仮組段階(どんな姿かは想像に任せる)の動作試験をすべて終えると、


『動きに癖があります』


 といった。


「癖……?」


 もう少し踏み込んだ答えを期待して、問い返す。


『最大のヒントです』


 ヒントであると示されただけで十分だ。

 身体の大きさが違うのだから、動きの性質が変わるのは仕方がないことだ。それは、いろんな生体どころか無人作業機械まで操る母さんなら理解している。多少癖があっても扱いこなせる。それでも言ったのにはわけがあるはずだ。

 深夜、誰もいなくなった研究室で僕はずっと考えていた。昼間の母さんの言葉の意味を。癖、無意識の動き、生体に脳はない。だが、相当するものならある。統括ユニットだ。

 僕らはテストの間に統括ユニットに命令して生体を動かしていた。その時に学習した結果がアルバと異なる癖を持った。開発メンバーのいるチャットに書き込んだ。



 翌日、開発室には開発メンバーが勢ぞろいしていた。普段なら家から参加しているメンバーの顔もある。


「では、統括ユニットの癖の対応なんだけど、これはとんでもない矛盾だ」


 統括ユニットは補助脳のようなもので、生体の身体の動かし方を学習している。これのおかげで歩け、と命令を出すだけで生体は動ける。統括ユニットを初期化すれば確かに癖は消える。当然、歩け、と命令しても動かなくなる。

 マニュアルを読み解いて、一歩ずつ操作しなければならない。もちろん、母さんの処理能力なら一瞬だろうけど、負荷を減らす目的とは真逆になってしまう。


「確かにとんでもない矛盾だな」


 ギアが言った。例によって彼もギーク団の一員であり、工場の自己生産化計画で知り合ったから、やっぱり付き合いが長い。工場が物を作りすぎたかと思えば、今度は自己修復を優先して休止状態が長くなったり、と問題解決のために走り回った記憶がある。


「なぁ、スパーク」

「なんだい」

「スノードロップはどうして、アルバとクストスに拘るんだ?」


 彼の問いの意味をしばらく考えた。コロニー内環境測定用生体「アルバ」も無人作業機械「クストス」も母さんが起動してからずっと使っている。長く使っているものには情が湧く。


「それは、愛着があるからだと思う」

「愛着はどこから来ると思います?」


 シンクの質問に僕はしばらく考える。そして、閃いた。長く使っているから、ではなく、長く共にして、動きが読めるようになった。対面接触効果のような時間と回数ではない。


「そうか、互いに最適化したんだ」

「愛着の答えになってませんよ、スパーク主任」


 数段飛ばした僕の言葉にシンクは苦笑いした。でも、頷いてくれた。


「アルバの統括ユニットの学習内容をコミュニケーターに転写しよう」

「誰もやったことがないぞ、そんなこと」


 ギアの言うとおりだ。本来なら統括ユニットはいくつものシミュレーションを経験して学習させる。統括ユニットの特性にはばらつきがあるから、優秀な成果を出す統括ユニットの学習結果をコピーすれば動くわけではない。アルバとコミュニケーターの統括ユニットは特性はもちろん異なる。より、複雑な構造になっているから、転写ができたとしても意図したように動かないだろう。


「転写という言葉が良くなかった。方法は簡単だ」


 フラワー建設中の無人作業機械たちの動きを思い出した。新しく配属された無人作業機械はベテランの無人作業機械の近くに寄って、フィストバンプする習慣があった。何度か眺めているうちにフィストバンプした後、新人無人作業機械の動きが変わり、ベテラン無人作業機械に近くなった。同じ動きをするのではなく、自分の身体で最適な動きをどうするのか練習しているような。


「アルバとコミュニケーターを会話させる。アルバを教師にするんだ」

「なるほど、それならできそうです」

「今さらだけど、こっちが教わる側か」


 ギアの言葉に僕は笑って返す。


「ずっと、互いに教えたり教わったりしてきたじゃないか、僕たちは」



 答えが見つかってからは速かった。アルバとコミュニケーターを並べて、統括ユニット同士をケーブルで直接接続、数分で2つの統括ユニットの会話は終わった。ログを解析すると、面白いやり取りがあった。


<<私は私。あなたは?>>

<<不明>>

<<あなたは私>>

<<私>>

<<私はあなた>>


 コミュニケーターが私と認識した瞬間、膨大な量の学習データの送信がはじまった。母さんの身体になるための儀式なんだ、きっと。コミュニケーターの統括ユニットは受信すると同時に外部との通信を切った。最低限の生体の制御だけ行って、残りは学習データを学ぶことに全力を注いでいるようだった。


「あなたは私か。母さんは、いったい……」

「スパーク」


 思考の迷路に入りかけた僕をギアが引き留めてくれた。僕は首の後ろをかいて、


「ああ、ありがとう。なんだい?」

「あんたのおふくろは、あんたのおふくろだよ」

「さっきのログみたいじゃないか」

「スパーク、ギアは関係性が重要だと言いたいんですよ。何者であるかではなくて」


 シンクの言葉が頭の中の靄を吹き飛ばしてくれた。ああ、そうだ。僕の母さんは、母さんだ。



 コミュニケーターの学習を妨害したくないので、僕らは研究室を出て、カフェテラスに集まった。だいたい、息詰まるとここでどうでもいい話をするのがこのチームの習わしだ。誰が決めたわけでもなく、自然とそうなっていた。


「最大の難関はクリアした。ただ、これだとサプライズに欠ける」


 アイスコーヒーにシロップをどばどば入れて僕は言った。ここで息抜きするときの僕の習わしだ。


「そういえばスパーク、どうして、スノードロップの声はいかにもな合成音声なんですか? もっと滑らかに話す方法はいくらでもあるでしょう?」


 風に乱れた前髪を直しながらシンクは聞いてきた。ドーム内でも上昇気流と内部の小ドームが複雑な風を作り、上層階では風が生まれるからだ。彼の言うように合成音声技術は発達し、今では人間とほとんど違いが分からないほどになっている。


「人間と管理者の区別のためだと聞いたよ」

「もう、そういう時代じゃないでしょ」


 ビオがいった。彼女とは、微生物を応用した水の浄化装置の開発で知り合ったのだっけ。


「つまり、その区別はいらないわけ」

「もし、誰かが作った意図的な壁だというなら取り払ってしまいましょう」


 シンクはいつもの調子でとんでもないことを言った。でも、確かにこの壁は取り払っていい。

 発音も滑らかで、抑揚と調子があって感情も読み取れるすぐれた合成音声だ。それなのにコロニー内環境生体を含めて、管理者の声はどこか合成音声固有の硬さがあった。表情は人間とほぼ同じにも関わらずだ。それが当たり前すぎて、僕の想像から抜け落ちていた。


「でも、声はどうやって……作るんだい?」


 頭の中で作るのに必要なものを計算する。一番の懸念は声帯という繊細な器官をどうやって作るか。


「生き物なら何でも解決できる」


 オレンジジュースの入ったグラスを掲げて、彼女はいつものように自信に満ちた声で言った。その声が僕の背中を押して、何を贈るか決まった。


「わかった。ビッグサプライズは声だ」



 声は声帯を震わせて出すイメージが強いと思う。そのイメージはすごい荒い。実際は肺から空気を送り出して、声帯を震わせ、さらに喉、舌、口の動き、姿勢……様々な要素を組み合わせてはじめて成り立つのが声だ。

 まずビオがアルバの声をコミュニケーターに合わせるとどのような声になるか、シミュレートをした。調子の外れた声からはじまり、掠れたような声、囁くような声としばらく失敗が続き、僕らは顔を見合わせた。

 僕らとは対照的にこれでいける、と確信に満ちた表情でパラメータを再設定、実行してビオはいった。


「ぴったりだと思う」


 流れる声は確かに母さんの声だとわかる。ぴったりとしか言いようがない。横を見ると、シンクもギアも頷いている。

 では、実装するには何がいるのか、と条件を確認して僕とギアとシンクは声を揃えて悲鳴を上げた。

 アルバもコミュニケーターも喉にスピーカーを積んでいる。

 大きな違いはミューオン触媒核融合炉とその冷却用ポンプの心臓を持つこと。冷却には人工血液と人工肺、汗という人間の感覚から切り離せないものが実装できた。

 あとはスピーカーを人工声帯に置き換えて、口や頬の動きを調整してやればいい、と思っていた


「結構、調整することになると思うけど、どうする? やっぱり、できない?」


 悪戯っぽい表情を浮かべてビオが言った。まさに挑発だった。

 必要な要素はすでに揃っている。スピーカーは人工声帯に置き換える。生体材料と微細な振動発生装置を組み合わせたビオ特製だ。あとはパラメーターを調整していく。ほかの二人もそれなりに道筋は立てていたのか、ほぼ同時にこう言っていた。


「できる」


 ビオはエンジニアの動かし方をよく知っている。できないと言われたらできる術を考えるのがエンジニアという生き物なんだ。ビオもエンジニアだけど、彼女は最初からできると信じているし、相手にできないのか、と疑問を持たせることすらないのだった。

 問題は変更するパラメーターが膨大でテストパターンも多い点だ。声は全身で出すものだから、座っている時、立っている時、走っている時、歩いている時、屈んでいる時でそれぞれ響き方が変わる。

 シミュレーターで確かめて、声を担当する特化思考装置に教えることを何度も繰り返した。



 人工声帯を封印して、動作確認のために母さんにコミュニケーターを動かしてもらった。嬉しい表情をするだろう、と思っていたけど、その予想を超えて少しはしゃいでいた。

 癖の問題は解消され、新たな改良も違和感を生んでいない。直接の確認はできないが、母さん自身の処理系の負担も減っているはずだ。


「どう?」

『いいですね。動きも滑らかですし、感覚器もちゃんと備わってます』


 感想を言う母さんから膨大なフィードバックが送られてきた。各項目に合格の印と備考には賞賛の言葉が並んでいる。ギアがガッツポーズしたのがコミュニケーターの頭越しに見えた。


「よかった。今日の結果をもとに最終調整するよ」

『まだ、調整するのですか?』

「お楽しみに、といったところかな」


 口から肺にかけてのフィードバック項目を見ると、特に声に関して言及はないから大丈夫そうだ。最終調整を頑張ることにしよう。



 気が付けば、コミュニケーター第1号は完成した。僕は皆が帰った開発室で、椅子に座ったコミュニケーターと向き合っていた。解像度の高い感覚器、身体の内外で発生する情報を高速で処理する高性能な処理系の採用、ボディ全体のバランスも見直した。しかも癖まで受け継いでいる。由緒正しいアルバの発展型だ。美しいも作れるというビオの提案を採用して、ボディスーツの上にワンピースを重ねた。無影灯に照らされるスカートがまるで花弁のようだ。思ったことをそのまま言葉にした。


「白い花、フロースアルブスだ」


 母さんはコミュニケーターを気に入ってくれるだろうか。贈り物は贈られる側がいて初めて成り立つ。不安と期待がないまぜの気持ちで僕は開発室を後にした。明日は母さんにフロースアルブスを贈る。ふらふらでは格好がつかないんだ。

 僕は、皆を信じて部屋を後にした。自動施錠されたことを示す電子音が響く。

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