第4話: もう、ヒロシに従わない
1980年夏の水泳授業で、スイミングスクールに通う理央と泳ぎを知らないヒロシの対照的な姿が浮き彫りになった。ヒロシの水面を叩きつけるような必死の泳ぎは、理央の優雅なクロールを嫉妬混じりに睨みつける視線と相まって、二人の間に見えない亀裂を生んだ。
秋、トシアキの家での一幕は理央に深い印象を残した。絵の才能を褒められる二人とは対照的に、姉たちに幼稚に扱われても反論せず微笑むトシアキの姿は、クラスでの勝気な態度とのギャップに驚きを覚えさせた。この経験は後に、ヒロシの支配構造を理解する重要な手がかりとなる。
冬の音楽室で起こった些細な出来事は、理央の心に小さな革命を起こした。滅多に人を褒めないヒロシがクラスメイトのピアノ演奏に感嘆の声を漏らすのを耳にした時、理央の胸に「自分も認められたい」という新たな感情が芽生えた。この一見取るに足らない瞬間が、やがてヒロシの支配から脱する決定的な転機となるのだった。
1980年、夏──
理央は週に一度、スイミングスクールに通っていた。
その日、小学校の水泳授業で、クラス全員が25メートルを泳ぐことになった。
理央は特に緊張もせず、習った通りにスムーズなクロールで泳ぎきった。
プールの縁に手をかけ、振り返る。
──ヒロシの姿が見えた。
ヒロシは、水と格闘していた。
それはもはや「泳ぎ」というより「怒り」だった。
水面を殴るような激しいバタ足。
息継ぎのたびに、水面から異様に跳ね上がる上半身。
まるで、水中から這い出ようとする亡霊のようだった。
理央の脳裏に、あるホラー映画の一場面がよみがえった。
──湖に沈んだ子どもの霊が、ゾンビのように濁った水を割って這い出し、クロールのような動きで生者に襲いかかる、あの恐ろしいシーン。
ヒロシは、スイミングスクールに通ったことがなかった。
正しい泳ぎ方を知らなかったのだ。
そして、ヒロシの屈辱と怒りは──
「楽々と泳ぐ自分」へと向けられている。
理央は、そんな「深読み」をするのだった。
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1980年、秋──
ある日、理央とヒロシはトシアキの家を訪れた。
「お邪魔します!」
理央は少し緊張しながら玄関をくぐり、ヒロシもその後に続いた。
トシアキの家は、ヒロシのアパートとは対照的に、広々としていて明るい。玄関には洒落た置物が並び、奥からは微かにピアノの音が聞こえてくる。
「トシくーん、お友達来たわよー!」
奥から響いたのは、年の離れた二人の姉の声だった。
姉たちは理央たちを暖かく迎え入れてくれた。
特に、音大生だという一番上の姉は、理央がピアノを習っていると聞くと、「まあ、そうなの!」と目を輝かせた。
リビングに通されると、姉たちはスケッチブックを持ち出し、理央とヒロシに差し出した。
「ねえ、かっこいい男の人の絵、描いてみて!」
理央たちはさっそく描き始めた。しばらくして三人の絵が完成すると、姉たちはそれを見て歓声を上げた。
「わあ、すごい!」「ほんと上手ねえ!」
理央にとって、褒められるのは慣れたことだったし、ヒロシも同じだろう。
ところが、トシアキの絵を見た途端、姉たちは声をそろえて笑った。
「トシ君は、ぜんぜんダメだねえ〜。なんでこんなに違うの?」
並べられた三枚のうち、トシアキの絵は、線と丸をつなげただけの算数の図形のようなものだった。写実的な理央やヒロシの絵とは、まるで別次元だ。
それでもトシアキは、ただ黙って微笑んでいた。
クラスでは勝ち気で自信家の彼が──姉たちの前では、幼児のように扱われても反論もせず、じっとしている。
その姿に、理央は初めて、彼の意外な一面を垣間見た気がした。
数日後、理央とヒロシは二人きりで会話をしていた。ヒロシが突然、理央に問いかけた。
「なあ理央、トシアキはいい姉ちゃんたちを持ってるな。お前はどっちの姉ちゃんがいいと思う?」
正直、どちらでもよかったが、問われた以上、何か答えなければならない。
ピアノを習っている自分と音大生の姉が重なり、理央は上の姉を選んだ。
「……うーん、上の姉さんかな」
理央が答えると、ヒロシはニヤリと口の端を上げた。
「そう? 俺は、両方ともいいと思うわ」
──どちらかと聞いておいて、その言い草。
理央は内心「またか」とため息をついた。
ヒロシはいつもそうだった。
まず相手に質問を投げ、答えを聞いたあとで、自分は最初から用意していた、論点をずらした独創的な答えを披露する。
わざと相手に「レベルの低い」答えを言わせておいて、自分の方が深く考えていると誇示するかのような、意地の悪い言葉遊びだった。
ヒロシの頭の良さは、たしかに認めざるを得ない。
けれど、その底意地の悪さに、理央は次第に嫌気がさし始めていた。
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1980年、冬──
ある日のこと、音楽の時間となった。
理央たちが音楽室のドアを開けると、黒く光るピアノが静かに佇んでいた。
そのとき、クラスの女子のひとり──真理子がピアノの前に歩み寄り、「エリーゼのために」の冒頭を奏で始める。
生徒たちの視線は、一斉に真理子へと注がれた。
理央もまたピアノを習っており、真理子の演奏に合わせて──ヒロシがどんな反応を示すか、内心、気にかけていた。
ヒロシはちらりと彼女を見て、ぽつりと呟いた。
「……わからんなあ(どうすれば、そんな凄いことができるんだ?)」
それは、ヒロシらしい形の称賛だった。
「エリーゼのために」を弾くことが、彼にはまるで“神業”のように見えたのだろう。
滅多に人を褒めないヒロシがこぼした、その一瞬の呟きに──
理央は、心の奥で小さな火が灯るのを感じた。
……え?そんなことで褒められるの? 僕だって、この程度なら弾ける。
ヒロシが、もし僕の演奏を聴いたら──どんな顔をするだろうか。
「俺も弾けるよ」
理央のその言葉に、ヒロシは無言だった。まるで、聞こえていないかのようだった。
そして、ほどなくして──この無垢な期待と、幼い野心は、理央の運命に小さな影を落とすことになる。
だが、それはまだ、少し先の未来の話だった。
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1981年、早春──
八事南小学校では、まもなく卒業式を迎えようとしていた。
その頃、『機動戦士ガンダム』の劇場版第一作が公開されることになった。
それまでのロボットアニメといえば、「無敵のヒーローが悪を打ち倒す」といった、単純明快な勧善懲悪が主流だった。
しかし『ガンダム』は、そうした流れとは一線を画していた。
ひ弱な少年が、大人たちの世界──政治の陰謀や戦争の現実に翻弄されながら、人間関係に苦しみ、少しずつ成長していく物語。
敵と味方を単純な善悪では割り切らず、むしろ相対的な視点から戦争と人間を描いたその作品は、大人にも届く深い世界観を持ち、多くの支持を集めていた。
ある日、ヒロシが突然言い出した。
「ガンダム、春休みにみんなで観に行こうぜ」
「理央、おまえんちのオジサン(親父)、チケット取ってこれるよな?」
理央には、断る理由などなかった。
彼の父は、名古屋駅近くのプレイガイドにもほど近い場所に勤務しており、昼休みに足を運んでチケットを購入してくれた。それを丁寧に封筒に入れ、理央に手渡してくれた。
翌日、理央はその光沢紙にくっきりと印刷された映画のチケットを、漫画クラブの仲間たちに配った。
ヒロシやみんなの役に立てたことが、どこか誇らしかった。
──だが数日後、ヒロシの一言がすべてを覆した。
「やっぱさ、ガンダムってダセェよな。子どもっぽいし。映画、行くのやめた!」
ヒロシの関心は、わずか数日のうちに『ガンダム』から『伝説巨神イデオン』へと移っていた。
『伝説巨神イデオン』は、『ガンダム』と同じく富野由悠季による作品だったが、内容はより抽象的かつ悲劇的で、激しい死や暴力、さらには過激な性描写にまで踏み込んでいた。
そのリアリズムと哲学性において、『ガンダム』を凌駕していたと言っていい。
ヒロシの卓越した美意識は、これを“本物の芸術”として直感的に評価したのだろう。
そしてその瞬間から──『ガンダム』は、ヒロシの中で「幼稚でダサいもの」へと、一気に格下げされたのだった。
いくら小学生とはいえ、他人にチケットを用意させておきながら、気まぐれな一言で「ダサい」と切り捨て、鑑賞会を中止にする──ヒロシは、そんな理不尽を何のためらいもなく実行できる人間だった。
あるいは、理央にチケットを取らせ、それが叶った時点で「やっぱやめた」と反故にすること自体に、何かしらの“快感”を覚えていたのかもしれない。
ヒロシの“鶴の一声”で、ガンダム映画鑑賞会の話はあっけなく立ち消えとなった。
トシアキを筆頭に、取り巻きたちは無言のまま、それに従った。
──理央を除いて。
理央は父にチケットの払い戻しを頼んだ。
けれど、自分のぶんだけは渡さなかった。
父への義理立て、ヒロシに従わないという小さな反抗心。
いや、自立心の芽生えだった。
日曜の午後、理央はひとりで地下鉄に乗った。行き先は名古屋・伏見の映画館。
一人きりで映画を観るのは、生まれて初めての体験だった。
最初は少し心細かった。でも、それ以上に──自由だった。
『機動戦士ガンダム』
巨大なモビルスーツ、少年の葛藤、仲間の死、そして抗えない運命。
その物語は、どこか今の自分とも重なるように思えた。
劇場を出たとき、理央は確かに変わっていた。
トシアキたちはヒロシに従って映画に行かなかった。
けれど、理央だけは違った。
彼だけが、ヒロシに従わなかった──
それが、はっきりとした「第一歩」だった。
伏見の広い歩道を歩きながら、ふと思った。
……もうすぐ、中学生か。
理央の脳裏に浮かんだのは、ヒロシの姿だった。
みんなに崇められ、やりたい放題に振る舞うそのわがままさ。
他人の気持ちも、父の親切心さえも、平気で踏みにじる横暴さ。
……もう、ヒロシに振り回されるのは嫌だ。
それに、中学に行けば、新しい友達もきっとできる。
1981年春、ヒロシが映画鑑賞会を一方的にドタキャンしたことで、理央の心に決意が生まれた。中学校ではヒロシのような支配的な関係から抜け出し、互いを尊重し合える本当の友人を見つけようと。このささやかな決断が、やがて理央の自立への大きな一歩となるのだった。