第3話: 漫画クラブの王
ヒロシの想像力は確かに天才的だったが、そのギャグには一貫した残酷なパターンがあった。常に自らを英雄的に描きながら、他者を徹底的に貶めるという構図は、彼の深層に潜む病的な自己愛と支配欲を露わにしていた。特に、猥褻・汚物・死という三つのモチーフを執拗に用いる傾向は、単なる子どもの悪ふざけの域を超え、どこか歪んだ嗜好性を感じさせた。
ヒロシの描く漫画には、ひとつの「法則」があった。
──登場人物に、自分や仲間たちをモデルにしたキャラクターを用いること。
だが、その描写には明らかな偏りがあった。
ヒロシ自身を投影したキャラクターは、つねに美しく、賢く、英雄的に描かれる。一方、理央やトシアキ、その他の仲間たちは、愚かで、滑稽で、どこか哀れな存在として扱われるのが常だった。
たとえば──「ザ・野田トラマン」。
トシアキの姓「野田」をもじってつくられたこのキャラクターは、「ザ・ウルトラマン」のパロディだった。
その姿は、アンパンマンを三頭身に潰したような体型に、鼻水を垂らし、しまいには陰部まで露出させていた。子どもの残酷さとはいえ、悪趣味の極みだった。
さらにヒロシは、主題歌「ザ・ウルトラマン」(歌:ささきいさお)を元にした替え歌までつくっていた。原曲では、
「緑の地球を、 汚したやつらは、 決して許しておけないと、 ウルトラマン」
というところを、彼はこう歌っていた。
「茶色いウ◯コを、 触ったやつらは、 決して許しておけないと、 野田トラマン」
そして、トシアキがいない場では、その「主役」は理央か他のメンバーにすり替えられていたことは、想像に難くない。
ヒロシは、仲間たちを貶めて描くことで、相対的に自分の価値を引き上げようとしていたのだ。
ヒロシの想像力は、「替え歌」においても遺憾なく発揮された。
だがそこにもまた、例の「法則」は潜んでいた。
すなわち、他者を嘲り、矮小化することで、自分の優越性を誇示するという構図である。
そしてその中核には、三つのモチーフが必ず含まれていた。
──汚物、猥褻、そして死。
替え歌の主人公は、滑稽に描かれ、やがて惨めな“最期”を迎える──それが定番だった。
たとえば、こんな具合である:
「◯◯の出身は、汲み取り便所の中だった~
口から吹き出す、ビチャビチャのク◯
橋の下に住む浮浪児で
最期は川に身を投げた~♪」
これはブラックユーモアというより、むしろ残酷そのものだった。
だが、ヒロシの異様なまでに研ぎ澄まされた言語感覚にかかると、それはなぜか「笑えるもの」に変換されてしまう。
理央も、トシアキも、声をあげて笑っていた…子どもとは、ときに、残酷なものである。
理央とヒロシの「自己像の投影」における思考パターンは、まさにコインの裏と表のように──鮮やかなまでに対照的だった。
ヒロシは、自己中心性、過剰な自己美化、他者の矮小化、そして肥大した自己愛によって、世界を“支配”しようとしていた。
一方で、理央は、低い自己肯定感と、過剰な共感性、そして自虐的なまでの内省性によって、つねに“自分を下げる”ことで他者と均衡をとろうとしていた。
理央には、「分析しすぎる」癖があった。
目の前の出来事に、現実以上の意味を読み込み、その物語を、心の中でどこまでも膨らませてしまうのだ。
そうした自虐的な思考をもつ理央にとって、ヒロシのあからさまな自己礼賛は、理解を超えたものだった。
あれほどまでに「自分をカッコよく描く」ことは、何かの皮肉や冗談──そう、自嘲めいた演出の一種なのではないか、と理央は解釈しようとした。
──あえて自己を過剰に誇張することで、「これはギャグですよ」と示す。
そんな“照れ隠し”に違いない、と。
だがその読みは、明らかに「深読み」しすぎだった。
ヒロシは、ただ本気で、あのままの自分を「真実」として描いていたのだ。
世界は彼のために回っており、他者はその演出装置──ヒロシが輝くためには、周囲は“劣って”いなければならなかった。
理央とヒロシは、思考の構造そのものが決定的に異なっていた。
この根本的な「違い」こそが、やがて悲劇の萌芽となっていくのだった。
自己肯定感の低い理央ではあったが、あの頃、ひとつの“勘違い”をしていた。
──自分こそが、ヒロシと唯一、絵の才能で真っ向から渡り合える存在だという自負。
もちろん、ヒロシの持つカリスマ性やリーダーシップは、おとなしい理央など足元にも及ばなかった。
スクールカーストの序列においても、二人のあいだには、決定的な「差」があった。
理央は──他の子どもたちと同じように──ヒロシを“崇拝”していたのだ。
けれどその「崇拝」は、やがて**「従属」**へと変貌していった。
そして、さらに悪いことに──ヒロシの内側には、“ある感情”が潜んでいた。
──それは、**「憎悪」**だった。
その憎悪には矛先がなく、気に入らない者が現れるたびに、新たな「標的」が生まれた。
「……あいつ、裏山にエロ本拾いに行ってるらしいぜ」
ヒロシは、持ち前の想像力と巧みな語彙を駆使して、巧妙に噂を作り上げた。自ら手を汚すことなく、まわりの子どもたちを煽り、「標的」を笑いものにし、追い詰めていった。
無垢な少年たちは、ヒロシの紡ぐ「物語」に、疑うこともなく従っていった。
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ヒロシが主宰する「漫画クラブ」は、同級生たちの注目を集め、「入りたい」と願う子も少なくなかった。
ヒロシはそんな「入部希望者」に、形ばかりのテストを課した。
だが、その合否は最初から決まっていた。
ヒロシに気に入られているか、いないか──それだけだった。
そしてその“選ぶ権力”こそが、ヒロシをますます傲慢にしていった。
理央やトシアキといった「身内」には、あらかじめ不合格にする子の悪評が吹き込まれた。
「なあ、おまえも思わない? あいつ、声が気持ち悪いだろ?」
「ノートの字とか、ぐちゃぐちゃでさ。あれじゃ頭も悪そうだよな」
そんなヒロシの言葉に、理央たちはまるで呪文でもかけられたかのように「そうだそうだ」と頷いた。
気づけば彼らは、「選ばれた側」であることの甘美な「特権意識」に、すっかり酔っていた。
ヒロシという“小さな神”に見初められたことで、自分たちは特別な存在なのだと──本気で信じ込んでいたのである。
「漫画クラブ」という、自ら作り上げた小さな集団の「王」として、ヒロシの支配欲は日ごとに強まっていった。
ヒロシは、ある残酷な「遊び」を繰り返していた。
「……なあ、あいつを無視しようぜ」
そう囁くと、グループの中から一人を「標的」に定め、他の子どもたちにその子を無視させるのだ。
ヒロシにとっては単なる遊びにすぎなかったが、今にして思えば、それは精神的ないじめにほかならなかった。
ちなみに、ゲームスタートのサインまでもヒロシによって決められていた。
「◯◯(標的の名前)、虫(無視)がいるよ」──この一言が、無視の開始を告げる合図だった。
最初の「標的」はトシアキだった。
「……トシアキ、虫がいるよ」
放課の時間、トシアキがいつものように無邪気な笑顔で話しかけてきた。
だが、ヒロシをはじめ、他のメンバーは完全に彼を無視した。その中に、理央もいた。トシアキは呆然とした表情で立ち尽くしていた。
次の日の「標的」は、タカシだった。
「……タカシ、虫がいるよ」
理央は、心のどこかで浅はかな期待を抱いていた。
….. 自分は、ヒロシに次いで絵が上手い。だから、標的にされることなんてない。
それは根拠に乏しい、理央の身勝手な思い込みだった。
「……理央、虫がいるよ」
ついに理央が、「標的」となった。
「漫画クラブ」のいつもの仲間たちは、誰ひとり理央に目を合わせようとしない。
理央は教室にいるのがつらくなり、一人、校庭へと歩き出した。
涙で前がよく見えなかった。やがて体育倉庫の裏に隠れ、ひとりで泣いた。
理央は、標的にされたことで初めて痛みを知ったのだった。
少年たちは、こんなヒロシの支配に黙って従っていた。
誰ひとり、この理不尽に声を上げる者はいなかった。──理央自身も含めて。
だがその渦中で、理央の中にひとつの疑念、いや、奇妙な「倫理感」が芽生えていた。
……次は、ヒロシの番じゃないのか?
自分で作ったルールには、彼自身も従わなければならない。
それが「正しさ」というものではないか?
大人の世界では、皆が法の下に平等であり、たとえ地位があっても、罪を免れることは「建前上」はない。そのことを、幼い理央もなんとなく理解していた。
……支配する側も罰を受けるべきだ。
そうした感覚は、理央なりの健全な直感だった。
だが、ヒロシが 「今度は、俺を無視しろ。今日の放課後まで」
などと言うはずもなかった。理央も、そこまでは期待していなかった。
……これって不公平じゃないか。
理央の中に、「理不尽」という概念がはっきりと芽生えた最初の瞬間であった。それはヒロシに対する疑問がきっかけであった。
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クラスには「マサヒロ」と呼ばれ、どこか小馬鹿にされている少年がいた。
ヒロシは巧みに、理央の心にマサヒロへの憎しみを植えつけようとした。
「アイツ(マサヒロ)は弱いくせに、態度だけでかい。ぶっ潰してやれ」
幼い理央は、愚かにもその誘いに乗ってしまった。
マサヒロに喧嘩を挑み、取っ組み合いになったが、結果は無惨だった。返り討ちにされ、周囲の笑い者になった。
恥辱の熱が冷めた頃、理央はようやく我に返った。ヒロシに操られ、無意味な喧嘩を仕掛けた自分が情けなかった。
そしてマサヒロへの、言いようのない申し訳なさが込み上げてきた。
だがヒロシは、その様子を楽しんでいた。
自分の命令で動き、恥をかく理央の顔を見るのが、たまらなく快感だったのだ。
「もう一回、やれよ」
ヒロシは再び、理央にマサヒロとの喧嘩をけしかけた。
「もういい」
理央はきっぱりと言った。ヒロシはそれ以上、何も言わなかった。
……そもそも、僕がマサヒロと喧嘩する理由なんて、どこにもない。
なんであんな命令に従ったんだろう。僕ってほんと、バカだ。
それなのに「もう一回、やれよ」だって?
……ヒロシは酷い。あんなことを、二度も、平気でやらせようとするなんて。
そのとき理央は、はっきりと思った。そして、心の奥に眠っていた良心が、確かに目を覚ました。
ヒロシの才能は際限なく広がっていった。しかし彼はその才能を他者のために使うことはなく、むしろ人を傷つけ、その痛みを楽しむことに費やした。最も恐ろしかったのは、彼の卓越した表現力が周囲をマインドコントロールし、悪意ある噂や虚構の評判を巧みに作り上げる力だった。感受性の強い理央は常にその罠にかかっていたが、次第にヒロシの行為の本質的な残酷さに目を向けるようになっていった。