第2話: ヒロシという親友
小学5年生になった理央は石川ヒロシという少年と出会う。絵が得意という共通点から意気投合し、ふたりは将来「藤子不二雄のような漫画家コンビになろう」と夢を語り合った。この時期の理央にとって、ヒロシは初めての親友であり、かけがえのない存在だった。
1979年、春──
理央が小学五年に進級した春、石川ヒロシという少年と同じクラスになった。
ヒロシもまた、絵を描くのが得意で、その共通点がふたりの距離を一気に縮めた。
ヒロシはすでに「漫画クラブ」と称するグループを立ち上げており、手づくりの漫画本を制作するのが夢だった。いわば、子どもなりの「会社ごっこ」である。
しかしそのクラブの実態は、ヒロシ一人が際立って絵がうまく、他のメンバーは──もう少し正確に言えば、ヒロシの「取り巻き」たちだった。
そこへ、ヒロシとほぼ互角の実力を持つ理央が現れた。ふたりはたちまち意気投合し、理央もごく自然な流れで、クラブの一員となった。
「将来、ふたりで“藤子不二雄”みたいになれたらいいね」
そんな夢を、まだ幼いふたりは無邪気に語り合った。
理央にとってヒロシの絵の実力は、はじめて「自分と同等か、それ以上」と感じられる存在だった。
だからこそ、そんな彼に認められ、「漫画クラブ」に誘われたとき、理央はこれまで感じたことのない高揚感と充足感に包まれた。
ヒロシは、理央にとって初めての“親友”となり、そのつながりは、何ものにも代えがたい誇りであり、密かな救いでもあった。
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1980年、新春──
その日は、雪だった。
けれど、理央の胸は、不思議と晴れやかだった。
理央の父親の白いトヨタ・カローラ。その後部座席にヒロシと並んで腰を下ろし、名古屋港・金城ふ頭へと向かう冬の道すがら──。
「名古屋外車ショー」
それは、スーパーカーブーム真っ只中の出来事だった。
少年誌でしか見たことのなかったランボルギーニ・カウンタックやフェラーリ512が、照明の下で現実のものとして輝いていた。
理央は、その隣でいつになく素直に笑うヒロシの横顔を見つめながら、どこか満ち足りた気持ちになるのだった。──教室では見せない顔。心から楽しんでいる顔。
ヒロシの家には車がなかった。だからこんなふうに、遠くへ出かけることなど、ほとんどなかったのだ。
やがて──。
その日の「外車ショー」には、もうひとつの目玉があった。
午後から、歌手・高田みづえのステージがあるというのだ。
ざわめく視線が一斉に舞台袖へと向けられた。
数人の付き人に囲まれて現れたその人影──。
高田みづえ。
グレーのジャケットの肩先は、まだ溶けきらぬ雪の結晶が小さく光を返していた。
吐く息はほの白く、頬は冷気に染まり、ほんの少し紅潮して見えた。
どうやら、ほんの今しがた、冷えた外気の中から到着したばかりらしい。
それは、理央にとって、生まれて初めて“生”で見る芸能人だった。
♪ 花しぐれ
♪ パープル・シャドウ
♪ 硝子坂
初めて耳にするメロディーなのに、なぜか懐かしい。キャッチーで力強く、そしてどこか切なげな旋律が、彼女の炎のようにまっすぐな歌声と重なると──会場の空気が、まるで別世界のように変わった。
これが、理央にとって、生まれて初めて触れた「ライブ」の衝撃だった。
“いじわるな あなたは いつでも坂の上から 手招きだけを繰り返す”
小学生だった理央には、歌詞の意味はもちろん、「いじわるな…あなたは…」のその先の言葉すら、よく聞き取れなかった。けれど、その旋律と声の美しさが、言葉を越えて胸に沁み込んできた。
数日後。
理央は近所のレコード店の壁際の棚の前に立ち、高田みづえのレコードを探していた。
そして、そこに──静かに並ぶジャケットの中に、彼女がいた。
家に帰ると、慎重にビニールを剥がし、プレーヤーに針を落とす。
ジリ…ジリ…という微かな導入のあとに、あの声が静かに流れ出した。
「(高田みづえの曲)いいな....」
しかし、学校ではそうした感性はしばしば「人とは違う」ものとしてからかわれる対象となった。
「高田みづオエ〜ッ!」
クラスの男子がわざとらしく口を押さえ、教室に笑いの渦が広がった。
時代はもっぱら、ピンク・レディー、そして松田聖子だったのだ。
たしかに、高田みづえには当時の“アイドル”のような派手さや華やかさはなかった。けれど理央が惹かれたのは、彼女の見た目やイメージではなく、音楽そのものだった。
そしてその音楽は、ある冬の午後──
ヒロシという「親友」とともに過ごした、忘れがたい記憶と深く結びついていた。
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1980年、初夏──
その夜、理央の家は、まるで静かに宙を漂う「夢の船」のようだった。
ヒロシの発案で、小学生なりに“大人の世界”をなぞる、小さな冒険が始まったのだ。
──「土曜の夜に、みんなで徹夜しよう」。
それは子どもたちにとっての、ささやかな通過儀礼。
名もなき祭りのような、特別な一夜。「お泊まり会」である。
集まったのは、理央、ヒロシ、野田トシアキ……その他いつもの「漫画クラブ」の仲間たち。
午前1時の時報と共に、《Bitter Sweet Samba》の軽やかな旋律が流れ出すと、部屋に張り詰めていた静かな緊張がふっと緩んだ。
「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」の時間だ。
普段は布団の中でこっそりラジオを忍ばせて聴くのが常だったが、この夜ばかりは特別。
両親に気兼ねすることなく、少年たちは肩を震わせながら、時には声を殺し、それでもこらえきれずに笑い声を噴き出した。
深夜の笑い声は、まるで誰にも届かない特別な周波数で、彼らだけの宇宙にこだましていた。
時間はゆっくりと溶けていった。本来は「徹夜する」ことが目的であり、それが少年たちの小さな冒険の証でもあった。
けれど、鶴光の声が遠のき、笑いが夢へと吸い込まれていくうちに、やがて少年達は音もなく静かに眠りに落ちていった。
あの夜──親たちがそっと背中を押し、子どもたちに「自由」を与えてくれた、たった一度きりの夜。
ヒロシと肩を並べて、ただ無邪気に笑うことができた、後にも先にもない「無条件の時間」。
その後、関係がどれほど変わろうとも、どれほど距離が生まれても、理央の胸の奥には、あの深夜ラジオと笑い声がずっと息づいていた。
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あの「お泊まり会」には、もう一つの、別の形があった。
それは、理央が石川ヒロシの家にただ一人、招かれた夜のことだ。
その晩、他の友人たちの姿はなく、理央だけがその小さな世界に足を踏み入れることを許された。
そこには明確な理由があった。ヒロシの家は、あまりにも狭かったのだ。
古びた木造アパートの六畳一間。ヒロシは両親と三人でその空間に暮らしていた。彼は一人っ子だった。
その夜、当然のようにその狭い部屋には両親もいた。
ヒロシの母親とは理央も何度も顔を合わせていたので、気心は知れてた。しかし、その夜初めて会った父親は、どこかぶっきらぼうだった。
その態度に、理央はどこか肩身の狭さを感じた。
後になって思えば、彼の父親は、ただでさえ狭い部屋に息子の友人が泊まりに来ること自体、内心うんざりしていたのかもしれない。だが、それも無理からぬことだった。
ヒロシのアパートには、風呂もトイレも洗面所も部屋の中にはなく、すべてが「共同」だった。
それらを使うたびに、部屋を出て廊下を歩かなければならなかった。だが、理央にはそれがどこか新鮮だった。
ヒロシの家で観るテレビは、理央の家とはまるで別世界だった。
「火曜サスペンス劇場」「土曜ワイド劇場」──どれも、理央にはまったく馴染みのない番組だった。
理央の家では、真面目で堅物な両親が好んで観るのは、NHKのニュースか、淡々と語られる自然や歴史のドキュメンタリーばかり。
小学生の理央は、「紅白歌合戦」の存在すら知らなかったほどだ。
そんな理央の無知を、ヒロシはおかしそうに──そしてどこか見下すように──笑った。
ヒロシの語彙力は、すでに年齢を超えていた。彼は夜な夜な「大人のドラマ」から台詞や言い回しをスポンジのように吸収し、それを芝居がかった口調で真似てみせた。
だがヒロシが好んでいたのは、明らかに「子ども向け」などではなかった。
「男は、少女の白い太腿を見てこう思った――『こいつは俺の娘じゃない。赤の他人だ!』」
その意味は、理央にはまったく分からなかった。
けれど、どこか怪しげな“大人の匂い”が漂うその台詞と、妙に真剣なヒロシの演技が可笑しくて、理央は腹を抱えて笑うしかなかった。
「それ、どういう意味?」
そう尋ねると、ヒロシは得意げに、聞き慣れない言葉を並べて説明してくれた。
けれど理央には、それすら理解できなかった。
ヒロシはきっと、あの狭い六畳間のテレビの前で、両親の肩にもたれながら、夜な夜な渦巻く“大人の情念”が映し出される濃密な世界を、じっと見つめていたのだろう。
そこで彼は、「子どもらしさ」とは異なる、どこか歪んだ成熟を、静かに育んでいったのだ。
しかし、この純粋な友情は次第に歪み始め、理央の人生に深い傷跡を残すことになる。ヒロシの早熟さは、歪んだ形で成熟した大人びた価値観へと変質していったのだ。