第1話: 変貌する名古屋の町並み
内向的で繊細な理央は、家庭の影響で敬語を使う癖があり、周囲から浮いた存在だった。色白で中性的な容姿は「女みたい」とからかわれる原因となり、運動が苦手なことも、当時の「男らしさ」の規範から外れていた。しかし、鋭い音感を持ち、絵を描くことが唯一の心のよりどころだった。
高度経済成長期の1970年代、名古屋の町は急激にその姿を変えつつあった。
まるで町の鼓動のように走っていた路面電車が、いつのまにか姿を消し、代わって、音もなく地下鉄が名古屋の東を滑るように貫き始めていた。
地下鉄の開通に合わせ、名古屋市東部の町並みでは、あちこちで舗装工事の土煙が風に舞い、熱せられたアスファルトから立ちのぼるコールタールの匂いが、鼻の奥をついた。
真夏の陽射しに照らされた黒い路面は、ゆらゆらと陽炎を立て、どこか遠い異国の風景のようにも見えた。
重機の唸り声とショベルの金属音が、遠くから断続的に響く。
かつてセイタカアワダチソウの群れの中から、キジが一声あげて羽ばたいた叢── 子どもたちがタモ(虫網)を振り回して走り回った空き地は、次々に新築住宅、学生向けアパート、賃貸マンションへと姿を変えていった。
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1970年代後半──
正木理央は、名古屋市立八事南小学校に通う小学生。内向的で、おとなしい性格の少年だった。
理央がまだ低学年だったころ、近所の家に遊びに行くと、彼の丁寧な「です・ます調」の話し方に、友だちの母親がぎょっとした表情を浮かべることがあった。
「正木くんは、しっかりしとるねえ。でも気持ち悪いで、普通に話しゃあ。」
理央の家では、外では敬語を使うよう“推奨”されていた。そのせいか、彼は地域社会の中では少し浮いた存在だったのかもしれない。
理央の家の周囲には、畑や長屋、古びた学生アパートが並んでいた。
そうした風景の中で、白い外壁とまっすぐな金属製の塀をもつ理央の家は、父の会社が用意した社宅の一軒家で、周囲とはどこか馴染まず、よそよそしく見えた。
理央の父は、名古屋に支社を持つ大手企業に勤めるエンジニアで、かつては学生運動に参加していたこともある、正義感の強い、純粋な人物だった。
理央がまだ幼稚園に通っていた頃のある日、近所の掲示板に貼られた選挙ポスターの前で立ち止まった。
そこには、二人の候補者のポスターが並んでいた。左側の候補者「A」は若くて爽やかな笑顔。一方、右側の候補者「B」は年配の、どこか渋い雰囲気の男だった。
空想癖のある理央の目には、その「B」が時代劇に出てくる悪代官のように映った。理央はすぐ父に言った。
「『A』に投票したほうがいいよ」
「どうして?」と父が尋ねると、理央は迷わず答えた。
「だって『A』のほうがかわいい顔してるもん。……『B』って、なんか悪いことしそう」
父は思わず吹き出し、それから少し真面目な声で言った。
「人を“顔”で判断しちゃだめだよ」
その言葉は、妙に心に残った。よく考えれば、その通りかもしれない。理央は、幼いながらも自分の浅はかさを恥ずかしく思った。
──人は、見た目だけでは判断できない。
やがて理央は、その「見た目」が単なる容姿だけでなく、もっと深い意味を持つことに気づく。人との接し方、価値観、才能、家庭環境でさえ──あらゆる“表層”を「見た目」と呼ぶのだと。
けれど、その意味を深く理解するのは、まだ遠い未来のことだった。
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理央の母は、九州の裕福な家庭で育った、いわゆる「お嬢様」だった。
だが、「お嬢様」にしては珍しく、どこか自己肯定感が低く、自虐的な性格をしていた。
彼女は四姉妹の末っ子で、若い頃「〇〇家──美人四姉妹」と近所で呼ばれていたという。自分のことはほとんど語らない人だっただけに、理央の印象にはその話が強く残っていた。
母は、二か月に一度の美容院通いを楽しみにしており、パーマをかけて帰ってくると、いつも理央に「どう?(似合う?)」と聞いてきた。
たしかに、髪のハネはおさまり、どこか上品にまとまっていた。だが理央にとっては、それは取るに足らない変化だった。彼は決まって、こう答えた。
「ぜんぜん変わんない」
本当は「似合う」と言ってほしかったのだろう。だが、幼い理央にはそんな女心が理解できなかった。……いや、仮に理解していたとしたら、日頃の小言へのささやかな報復として、「前のほうがよかった」とシニカルな一言を返していただろう。
理央は、そんな少しひねくれた子どもだった。
理央は、多くを母親から受け継いでいた。
自己肯定感の低さ、気の小ささ、自信のなさ──そして、中性的な顔立ちまでも。
髪を伸ばせば、しばしば女の子に間違えられた。ただ、間違えられるだけならまだよかった。
「正木(理央)なんて、女だがや」
そんなふうにからかわれることも多く、それは理央にとって、立派な“精神的いじめ”だった。
もちろん、それには理央自身の性格も関係していた。
彼の感受性はとても強く、裏を返せば“激情型”でもあった。
母譲りの「一言多い」饒舌さや、反骨心ともあいまって、からかいをうまく受け流すことができなかった。
それでいて涙もろく、傷つきやすい──そんな少年だった。
言うなれば、彼はきわめて「女性的」[*1]*な性格をしていた。
女性的な内面に、女の子のような見た目。
昭和という「男は男らしく、女は女らしく」が当然とされた時代において、理央は──標的にされやすい条件を、すべて備えてしまっていた。
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注釈:[*1]
女性的特性(Feminine Traits):感受性が強い、表現的・共感的、傷つきやすい、弱者をいたわる
男性的特性(Masculine Traits):自信がある、対立を恐れない、競争的、リーダーシップ
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理央は、当時の少年としては珍しく、ピアノを習っていた。
クラシック音楽好きの両親の影響もあったが、それは彼自身の希望によるものだった。
彼の鋭い音感も、おそらく母親譲りだったのだろう。
一度聴いた旋律は忘れず、初めて耳にする曲でも、その曲調や和声から作曲家を言い当てることさえあった。
けれど、運動──とくに野球やドッジボールのような、“男らしさ”の象徴とされる球技は、理央が最も苦手とするものだった。
その苦手意識は、彼の低い自己肯定感に、さらに影を落としていた。
そんな理央は、放課後や休日になると、ひとり部屋にこもり、ひたすら絵を描いていた。
色白でおとなしく、しばしばからかわれながらも、「絵」だけは彼の誇りであり、心の支えだった。
そんな理央は、間もなく一人の少年と出会う。
絵を描くことが唯一の楽しみだった理央は、ある少年との出会いを境に、その後の人生に深い影を落とすことになる運命を背負うことになった。