ラウンド3・後半:『徳の輝きvs覇業の現実』~理想と結果、どちらが民を救うか~
あすか:「(劉備と曹操の間の緊張感を受け止めつつ)劉備殿の『民を信じ、徳をもって導く』というお考えと、曹操殿の『現実を見据え、力と法で秩序を築く』というお考え、まさしく対照的でございますね…。さて、このお二方の熱い議論を、この方はどのように聞いておられたのでしょうか。諸葛亮孔明殿。あなたは劉備殿の『徳』を支え、それを現実の政治に落とし込むべく尽力されてこられました。民を救うという点で、理想と現実のバランスをどのようにお考えでしたか?」
諸葛亮:「(静かに頷き)劉備様のおっしゃる『徳治』は、為政者として最も崇高な理想であると私も信じております。民が心から為政者を信頼し、自ら善行を積み、国全体が和する…これに勝る状態はございません。しかし、人の世は清濁併せ持つもの。特に戦乱の世においては、理想だけでは民の生活を守り切ることは能いませぬ。それ故、私は劉備様の下で『蜀科』という法を定め、信賞必罰を明確にし、公平性を期しました。徳による教化と、法による統治。この二つは、車の両輪のようなもの。どちらが欠けても、国という車は正しく前に進まぬと心得ておりました。」
曹操:「(少し口角を上げ)ほう、孔明にしては現実的なことを言うではないか。ならば、玄徳の甘っちょろい理想論だけでは立ち行かぬと、お前も内心では思っていたということか?」
諸葛亮:「(冷静に曹操を見返し)曹操殿、劉備様の『徳』は決して甘さではございません。それは、人を人として尊重する心、民を慈しむ深い愛情の表れ。その大いなる『徳』があったからこそ、法もまた冷酷な道具ではなく、民を生かすための道標となり得たのです。あなたの覇業は、確かに短期間で大きな秩序をもたらしたやもしれませぬ。しかし、その厳しすぎる法と力による支配は、常に民の反発という火種を抱えていたのでは?あなた亡き後の魏の混乱を見るにつけ、そのように感じずにはいられません。」
あすか:「(クロノスを操作し)ここで、クロノスが当時の民の声をいくつか拾い上げてきたようです。少しご紹介してもよろしいでしょうか?(画面に匿名の民の声がいくつか表示される)…例えば、ある農民は『曹操様のおかげで、長年の戦乱が嘘のように畑仕事に打ち込める。厳しいお触れもあるが、生きているだけでありがたい』と。一方で、別の商人からは『劉備様は我々のような者にも優しく、税も軽い。安心して商売ができるし、何より心が安らぐ』という声も…。」
呂布:「(退屈そうに聞いていたが、民の声に反応し)へっ、やっぱりそうだろ?腹いっぱい食えて、安全なら大抵の奴は文句言わねえんだよ。曹操のおっさんの方が、結局は分かりやすくていいんじゃねえか?」
あすか:「…かと思えば、こんな声も。『呂布様がいた頃は、いつ何をされるか分からなくて本当に怖かった。でも、他の奴らが攻めてこないのは、呂布様がいたからかもしれない…いや、やっぱりただ怖かった!』…呂布殿、これはいかがでしょう?」
呂布:「(むっとした表情で)なっ…!俺がいたから平和だったんだろうが!ちょっと厳しくしただけだ!それに、ちゃんと食わせてやっただろ、徐州ではよぉ!」
あすか:「(苦笑しつつ、次の声へ)また、蜀の民からは『諸葛亮様の政治は確かに公平で、不正は許されない。暮らしは楽ではないけれど、嘘がないから信じられる』という声もございますね。皆さま、これらの民の声、非常に興味深いと思いませんか?同じ民といえども、立場や状況によって求めるものが異なっているようです。」
劉備:「(深く頷き)民の声…まさしくその通りであろうな。わしは、全ての民が心から笑って暮らせる世を目指した。しかし、戦乱の世では、まず命の安全を求める者、飢えを満たすことを優先する者がいるのも当然のこと。孟徳殿のやり方が、そうした民の切実な声に応えた一面もあったのかもしれぬ…。」
曹操:「(少し表情を和らげ)玄徳、ようやく現実が見えてきたようだな。そうだ、民はまず今日の飯、明日の命を求める。その上で、余裕ができれば心の安寧だの理想だのを語るのだ。私は、その順序を間違えなかっただけよ。まずは現実的な救済。それが覇業の本質だ。」
諸葛亮:「しかし曹操殿、物質的な満足だけでは、人は真に救われたとは言えませぬ。心が満たされ、未来への希望を持ててこそ、人は生きる力を得るのではないでしょうか?あなたの覇業は、民に『希望』を与えることができたのでしょうか?それとも、ただ強大な力への『服従』を強いたのでしょうか?」
曹操:「(再び鋭い眼光を放ち)希望だと?この曹孟徳が新たな時代を切り拓き、中華に安定をもたらすという、それ以上の希望があるか!私の覇業は、惰弱な漢王朝に代わる新たな秩序の創造だ!民は、その大きな流れの中で、自らの役割を見出し、新たな希望を抱くのだ!むしろ、玄徳の言うような曖昧な『徳』とやらにすがり、いつまでも終わらぬ戦いを続けることこそ、民から希望を奪う行為ではなかったのかね?」
劉備:「(静かに反論し)孟徳殿、わしは決して戦いを好んだわけではありませぬ!漢室の再興と民の解放という大義のため、やむを得ず立ち上がったのです!そして、その戦いの中で、わしは常に民と共にあり、彼らの心の支えとなろうと努めてまいりました。希望とは、与えられるものだけではなく、共に困難を乗り越える中で生まれてくるものでもあるはずです!」
呂布:「(頭をかきながら)うーん…なんだかよく分かんなくなってきたぜ。結局、どっちが民のためなんだ?強い奴が黙らせるのがいいのか、優しい奴が話を聞いてくれるのがいいのか…。」
あすか:「(呂布の素朴な疑問に微笑み)呂布殿、それはまさしく、このラウンドの核心を突く問いかけかもしれませんね。民を『救う』とは一体どういうことなのか。食糧や安全といった物質的な救済なのか、あるいは心の安寧や希望といった精神的な救済なのか。あるいは、その両方なのか…。」
諸葛亮:「おそらく、その両方でしょう。そして、どちらを優先すべきかは、時代や状況、そして民が置かれた立場によっても変わってくる。しかし、為政者が常に心に留め置くべきは、民一人ひとりの尊厳を守り、彼らが人間らしい生活を送れるように最大限の努力を払うこと。その一点に尽きるのではないでしょうか。」
曹操:「ふん、綺麗にまとめたつもりか、孔明。だが、その『最大限の努力』の方向性が、玄徳と私とでは全く異なっていたということだ。私は現実的な成果を追求し、玄徳は理想を追い求めた。どちらがより多くの民を『救った』と歴史が判断するか…見ものだな。」
劉備:「(静かに)歴史の判断は、後の世の人々が下すことでありましょう。わしはただ、わが信じる道を、わが心に恥じぬように歩んだまでです。」
あすか:「(深く頷き)劉備殿、曹操殿、そして諸葛亮殿、呂布殿、ありがとうございました。徳の輝きと覇業の現実、理想と結果…。どちらの道が真に民を救うのか。それは、単純に白黒つけられる問題ではなく、それぞれのリーダーがどのような信念を持ち、民とどう向き合ったのか、その過程そのものに重要な意味があるのかもしれませんね。そして、民自身もまた、多様な価値観を持っているということも改めて浮き彫りになりました。」
(クロノスに、これまでの議論のキーワード――「徳治と心の安寧」「覇業と物質的安定」「法と教化のバランス」「民の多様なニーズ」「リーダーの信念」などが表示される。)
あすか:「民を思う気持ちは同じでも、そのアプローチはかくも異なる。そして、そのどちらもが、三国時代という複雑な時代を形作る上で、重要な役割を果たしたのかもしれません。いやはや、このラウンドも非常に考えさせられる、深い議論となりました。ラウンド3『徳の輝きvs覇業の現実』は、これにて終了とさせていただきます!次は少し趣向を変えて、皆さまの選択が歴史をどう変えたかもしれない…そんなIFの世界を覗いてみたいと思います!」
(スタジオの照明が変わり、ラウンド3終了の音楽が流れる。対談者たちは、それぞれに重いテーマを議論し終えた安堵感と、わずかな疲労感、そして次のラウンドへの興味を滲ませた表情を見せている。)