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後編-長い眠りの先に-




 眠りの魔女。


 初めてその力を使ったのは、いつだっただろうか。

 もう覚えてもいないほど、遠い昔。

 まだ慣れていなかったせいか、魔物を封印するため魔女は百年眠り続けた。

 目が覚めたとき、知っている人はもういなかった。


 二度目は少し力もつき、半分の五十年ほどですんだ。

 眠りにつく前に生まれた近所の赤ん坊が、孫のいる年齢に成長していて、魔女のことは覚えていなかった。


 長い眠りにつくたび、ひとつ、ふたつと何かを失っていくように感じた。

 移ろい変わる街の中で、逝ってしまった思い出を一人で探し回る。

 そんな繰り返しに疲れて、いつからか森の中に籠もるようになった。

 眠りにつくことで魔物を封印できる魔女の目覚めを待っている人はいない。

 待つ人がいなければ初めから一人でいれば良い。

 そうすれば、目が覚めたときに何も感じずにすむ。


 どうか。

 かの人が平和な日々を過ごせるよう。

 そう願うだけ――……。




***




 長い、長い、眠りから意識が戻り、ゆっくりと瞼を上げる。

 カーテンから透けて入る光は明るく柔らかい。

 耳をすませば聞こえてくるのは鳥の囀りで、世の中は平和そうだ。


「……今度はどれくらい眠っていたんだろうねぇ」


 枕に頭を預けたまま天井を見つめる。

 眠りについている間はこの家自体に眠りの魔法をかけているので、どれくらいの時間が過ぎても天井が蜘蛛の巣だらけになることもなく、花瓶に挿した秋桜も鮮やかな色のまま咲いている。


「魔物は……」


 共に眠りについた魔物はどうなっただろうかと辺りに視線を巡らせて、微かに残っていた気配が散りゆくのを見届けた。

 完全に封印できたことに安堵する。

 魔物を封印するには、魔物の力にもよるが数十年から百年かかることもある。

 今回はどれだけ時間がかかったか分からないが、これまで目が覚めたときには色々なことが変わっていた。

 見たこともない新しい発明品が出ているときもあったし、魔物の封印を依頼した権力者が変わっていることもしょっちゅうだった。

 そして、身近にいた人がいないことも、あった。

 最後に会った顔を思い出し、こみ上げてくる感情を振り払うように頭を振った。


「……いつものことだよ」


 呟く言葉は自分に言い聞かせるため。

 久しぶりの外の空気でも味わおうかと、ベッドから降りる。

 部屋から出ようとした――そのとき、階下の玄関扉が開く音が響いた。

 階段を上ってくるけたたましい足音も聞こえる。


「何だい、魔女の家に強盗かね」


 命知らずもいたものだと心の中で呟いたとき、部屋の扉が勢いよく開け放たれて、飛び込んできた人影に抱きしめられた。


「魔女様……!」


 聞こえてきた声に魔女は驚いた。

 聞き覚えのある声。

 いつも午睡を味わっているところに訪ねてきて、そう呼んできた声と同じだった。


「おまえ……イーザクかいっ?」


 驚いて顔を上げたが、頭二つ分ほど上にある顔を見て、思わず眉根を寄せる。

 じっと見つめてもぬぐい切れない違和感。


「おまえ……イーザクかい?」


 先ほどと同じ言葉を繰り返すが、その語尾は違っていた。


「イーザクです。また会うことができて嬉しいです、魔女様」


 そんな魔女に、目の前の人物はいまだ抱きしめたまま、目を細めて見つめながら肯定を返す。

 細めた目じりには、微かな皺が刻まれていた。

 魔女の記憶にあるイーザクは、成人したばかりでまだ幼さを残した顔立ちだったはず。

 それなのにいま目の前にいる姿は、三日月のようだった細い輪郭が、角のあるしっかりとした顔つきとなっていた。

 孤児だった頃に比べれば成長して肉がついたとはいえ細く長かった腕も、太く厚みが出て肩幅もがっしりとしている。

 イーザクのようで、イーザクではない。

 それくらい変化していた。


「魔女様。魔女様が魔物を封印するため眠りについてから、二十年がたちました」


 そう言われて、魔女は自分が眠っていた間に過ぎた年月を知った。

 二十年。

 それはつまり、成人したばかりの十八歳だったイーザクは、もう三十八歳の年齢になっているということ。

 確かに目の前の姿は、その年齢を刻んでいた。

 もう会えないと思って眠りについたので、再び顔を見ることができたことにも驚いたが、若かったイーザクが一気に二十年も成長していることにも驚いた。

 思わずもう一度、成長したその姿を上から下まで眺める。

 そんな魔女の様子に、イーザクが苦笑を零した。

 動かした口元にも、以前にはなかった皺が刻み込まれる。


「そんなに驚くことですか?」

「初めて会ったときには痩せっぽちで小枝みたいだった子どもが、こんなに立派に成長したんだ。驚くに決まっているだろう」


 騎士団に入ったときはまだ線の細かった体つきも、すっかり逞しくなっている。

 背丈は変わっていないはずだが、厚みのついた体格と、何よりも表情が落ち着いていた。

 見た目だけでいえば、魔女よりずっと年上の、頼りがいのある大人の男という雰囲気だ。


「それにしても、よく私がちょうど目を覚ましたときに訪ねてきたもんだねぇ」

「いえ、魔女様が目覚めるときを、ずっと門の外で待っていました」


 しかし続いたイーザクの言葉に、魔女は別の意味で驚き目を丸くした。


「おまえ、何を言ってるんだい? まさか、私が眠っていた二十年間、待っていたとか言わないよね?」

「待っていました。国から正式に、魔女様の住処を守る役目を拝命しています」

「二十年もかいっ? おまえ、嫁や子どもは?」

「いません。魔女様が目覚めるときを待っていましたから」


 魔女は思わず言葉を失った。

 最初に求婚されたあのときにきっぱりと断っておくべきだったと後悔するが、さすがの魔女でも時間を戻すことはできない。


「おまえ、いつ目を覚ますか分からない相手を待ち続けていたなんて、正気かい? 二十年で目を覚ますかさえ分からなかったんだよ」


 不老不死の魔女と違って、人間の一生は短い。

 その内の二十代から三十代を、眠り続けている魔女に費やすなんて愚かさに、魔女はさらに呆れて頭を抱えた。

 しかしイーザクは顔色一つ変えない。


「昔、魔女様がおばあさんになっても好きだと言ったように、何十年でも待つつもりでした。まぁ、魔女様はいつまでも変わりませんし、俺の方が老けてしまいましたが」


 イーザクは自分自身の頤を手でなぞる。


「おまえ、それは一途を通り越してしつこいってもんだよ……。まったく、こんな得体のしれない魔女の一体どこが良いんだか……」

「意地悪く振る舞っているわりには面倒見のいいところや、意外と可愛らしいところです」

「それは嫌味かい? 大体、私は人の子の面倒なんて見やしないよ」

「俺が初めて魔女様の家に遊びに行った帰り、一人で森を歩いて帰る俺を心配してこっそり後をついてきましたよね。それに、町で菓子を買って持っていくと夢中で食べるくらい甘いものがお好きですよね」

「おまえ気づいていたのかいっ?」

「魔女様はわりと分かりやすいです」

「生意気な子どもだねぇ!」

「俺はもういい大人ですよ」

「っていうか、いつまでくっついているんだい! お放し!」


 部屋に入って来たときからずっと抱きしめたままのイーザクに、魔女はかみつくような声で突き放した。

 イーザクはようやく手を緩めるが、視線は魔女を見つめるままだ。

 その表情はいつの間にか大人びいて、魔女は自分の調子が狂うのを感じた。

 ずっと一人でいた。

 目が覚めたとき誰も待っていないことに耐えられなくて、自分から周囲を切り離した。

 はじめから一人でいれば、一人になったときに寂しくない。

 そう、上手く振る舞えていると思っていたのに。

 目の前の顔を見上げて、視線が合うと穏やかに微笑まれて、そんな表情なんて知らなかった魔女は自分の気持ちをごまかすように顔を背けようとして、ふと甘い香りがすることに気付いた。


「甘い匂い……? おまえ、香水でもつけているのかい?」


 どこからともなく漂ってくる甘い香りに視線を巡らせると、イーザクが「ああ」と声を零した。


「外の匂いでしょう」

「外?」


 そう続けながら窓の方へと向かったイーザクは、二十年間閉ざされていた窓を開いた。

 その瞬間、甘い、甘い香りが、部屋の中へと流れ込む。

 魔女は思わず窓の外を覗き込むと、驚く光景が視界に飛び込んできた。


「花……?」


 家を囲む森中に、赤や黄色、白、紫……数えきれないほどの色の花々が咲いていた。

 しかし魔女の記憶の中では、森は木々が生い茂っているだけで、これほどの花が咲いていた記憶はない。

 自分が眠り続けていた二十年の間に何があったのだろうと思っていると、隣に立つイーザクが言った。


「あなたが目を覚ましたときに贈ろうと思い、毎日花を植えました」


 その言葉に思わずイーザクを見上げる。

 まっすぐな瞳が魔女を見つめていた。


「魔女様は気づいていなかったかもしれませんが、花を渡すといつも嬉しそうに微笑んでいました。俺は、あの笑顔をもう一度見たくて、このときを待っていました」


 そう告げるイーザクの瞳は、微かに揺れていた。

 眠りからいつ目を覚ますか魔女自身さえ分からない長い眠りを、イーザクもいつ訪れるか分からないままに待ち続けていたのだ。

 眠り続けている間は閉ざされた家の中に入ることもできず、顔を見ることもできないまま、そんな日々を繰り返しながら、森に花を植え続けて待った二十年。


「二十年分の花です。どうか、俺と結婚してください」


 甘い花の香りに包まれながら、イーザクは魔女の前に跪いた。

 求婚するなら花の一つくらい持ってくるもんだ――いつか言った言葉。

 その言葉を二十年も守り続けて、二十年分の花を用意して目覚める日を待っていたなんて、魔女は震える口を開いた。


「……本当に呆れた子どもだよ。二十年も、無駄にするなんて……」

「魔女様に会いたくて待っていた二十年です。無駄ではありません」

「っ……」


 目の前に跪くイーザクの姿が、滲んで見えた。

 出会ったころ、魔女が背を屈めて合わせた目線が、今はイーザクの方が跪いて目線を並べている。


「魔女様。どうか俺にも不老不死の魔法をかけて頂けませんか? これからの人生を、あなたと一緒に歩ませてください」

「不老不死になったら、周りに置いて行かれてしまう……」

「俺は親兄弟もいません。友人や同僚は俺の望みを分かっています。世界中であなただけがいれば良いです」

「でも、私はまた魔物を封印するために、眠りにつくだろう。何年か、何十年になるかも分からない。そんな長い時間を、おまえ一人にはさせられない……」


 一人で過ごす時間は長く感じる。

 魔女が眠りにつく間、不老不死になればイーザクは一人で過ごして待ち続けることになってしまう。

 その孤独を知っている魔女は首を横に振ろうとするが、イーザクの手が頬に添えられた。


「あなたが目覚めるときまで、花を育てて待っています。あなたと一緒なら、俺は一人ではありません」


 イーザクの指が、魔女の目じりに滲んだ雫を拭う。

 魔物を封印するときは一人だった。

 目覚めるときも一人だと思っていた。

 けれど待っている人がいた。

 初めて出会ったときには痩せて小さかった手が、頬を包み込むほどに大きな存在となって。


「……フローラ」

「え?」


 小さな声で呟いた魔女に、イーザクが聞き返す。


「……私の名前だよ。花なんて、魔女に似合わない名だろう」


 魔女はそっぽを向きながら言った。

 出会ったとき、教えて欲しいと望んでも答えてくれなかった名前をようやく教えて貰えたイーザクは、跪いていた体を勢いよく起こした。


「フローラ、愛しています。愛おしい俺だけの花」

「な、何だい……っ! くっつくんじゃないよ!」


 イーザクが両腕で魔女の体を抱き上げると、その腕の中で捻くれた声が響いた。

 しかしその顔は、咲き始めた花のように鮮やかに色づいていた。





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