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前編-孤児イーザク-





「――魔女の森で盗み食いなんて、いい度胸をした子どもだねぇ」


 ピシャリとした言葉が頭上に降ってきて、イーザクは木の実を摘まむ小さな手を震わせた。

 魔女の森。

 空腹のあまり勝手に取って食べた木の実が、まさか魔女のものとは知らなかった。

 きっと怒った魔女に鍋で煮込まれて食われてしまう――そう思ったとき。


「なんて痩せて貧相な子どもなんだい。お腹が空いているんなら玄関から入っておいで」


 しかし、続けて降ってきた声は刺々しさはあるものの、咎めるものではなかった。

 恐る恐るイーザクが顔を上げれば、目の前には二十歳くらいの年齢に見える若い女性の姿があって、魔女といえばおばあさんだと思っていたイーザクは驚いた。

 格好は魔女らしい黒のワンピースで、波打つ黄金色の長い髪と、新芽のようなグリーンの瞳をしている。

 咲き始めた春の花びらのような唇から出た口調はおばあさんのようだったけれど、伸びてきた手は白くしなやかで、イーザクの手を引いて家に招き入れると温かなスープを出してくれた。

 たくさんの具が入ったスープなんてずっと飲んでいなかったイーザクは、夢中で口に運んだ。


「おまえ、親は?」

「いません……。人買いに連れて行かれそうになって、逃げたら道に迷って……」

「こんな村はずれの魔女の森までたどり着いた、というわけねぇ」


 食事をしながら魔女に身の上を聞かれ、イーザクは素直に話した。

 魔物に故郷を襲われて家族を亡くしたのは去年の冬の終わりで、イーザクが八つになろうとしていた頃だった。

 ときおり魔物が現れて人を襲うことはそれほど珍しいことでもなかった。

 引き取ってくれる親戚もおらず、同じ境遇の子どもたちと路上で生活を続けていたある日、見知らぬ大人が食事をさせてやると言いながら近づいてきたと思ったら馬車に連れ込まれた。

 馬車の中には同じ年齢くらいの子どもが大勢詰め込まれていて、どこに行くとも教えられず、食事も与えて貰えず、夜に馬車が止まった隙に逃げ出した。

 けれど子どもの足で見知らぬ土地を逃げるなど無謀で、気づけば森の中に迷い込み、夜が明けるとともに見つけた木の実を食べようとした――それが先ほどのことだ。


「小さな子どもを浚うなんて、あくどい奴らには仕置きが必要だねぇ」

「あくどい……?」

「子どもは何も知らなくて良いんだよ」


 魔女は明後日の方向を見ながら怪しく呟いたが、イーザクには穏やかな表情を見せた。

 それから、魔女は近くの村にイーザクを預けた。

 村人たちは若い外見の魔女に対して非常に丁寧な態度で接していた。

 そんな魔女が、実は数百年も生きている不老不死だということを知ってイーザクは驚いた。

 人の物差しでは測れない魔女だが、村人たちはときに薬を作って貰ったりして、穏やかな関係を築いているらしい。


「たくさん食べて大きくなるんだよ」

「はい。魔女様」


 魔女は背を屈めて目線を合わせながら、白くしなやかな手でイーザクの頭を撫でた。

 久しぶりに誰かに頭を撫でて貰ったイーザクは、何となく照れくさい気持ちになる。


「あの、魔女様はなんというお名前ですか?」


 村人たちは魔女のことを『眠りの魔女様』と呼んでいた。

 本当の名前は何だろうと尋ねたイーザクに、魔女は首を横に振った。


「魔女の名前は簡単には教えられないよ」


 イーザクは名前を教えて貰えなかった。

 それがすごく寂しいと感じた。


「……じゃあ、魔女様に会いに行っても良いですか……?」

「それは構わないよ。いつでもおいで」


 魔女の春の花びらのような唇が優しく弧を描いた。

 波打つ髪は陽射しを受けて黄金色に輝き、イーザクは故郷の揺れる麦の穂を思い出して、懐かしい気持ちになる。

 頭を撫でていた手がゆっくりと離れていくのを、ぎゅっと握りしめたい気持ちに駆られながら、森へ帰っていく魔女の背をいつまでも見送った。

 幼いイーザクの心に、特別な存在となった瞬間だった。







 それから、イーザクは村で養育されながら、あの森へ続く一本道を駆けた。

 目指すのは魔女の家。

 森の奥にある家が見え、頑丈な門扉を開けて飛び込む。


「魔女さま、ぼくが大人になったら結婚してください」


 魔女のことを特別な存在としたイーザクは、特別な関係になりたくて、恐れを知らない子どもらしさのまま堂々と求婚の言葉を口にした。

 揺り椅子に凭れながら穏やかな午睡に浸っていた魔女は、突然起こされて目を丸くさせた。


「おまえ、年上好きかい?」

「魔女様のことが好きです」

「妙な子どもと関わってしまったもんだねぇ……」


 イーザクの言葉を本気にしていなかった魔女は、本当に会いに来て、さらには求婚してくるイーザクに呆気に取られた。

 けれど無下に追い返すことはなかった。


「どこが好きなんだい?」

「スープが美味しかったです」

「お腹が空いているときに食べると、どんなものでも美味しいもんだよ」

「あと、頭を撫でて貰えて嬉しかったです」

「おやおや、お子様だねぇ」


 くくくと声を零して笑う魔女に、子ども扱いをされたイーザクは頬を膨らませた。


「魔女は意地悪なもんだよ」


 魔女は口端を上げて、言葉の通り意地悪そうに笑う。

 しかしイーザクを見る目は面白がってはいるものの、まなざしは柔らかかった。

 イーザクは揺り椅子でくつろぐ魔女の側に座り、ひじ掛けの上に顔を乗せながら覗き込んだ。


「魔女様は何百年も生きていると聞きましたが、どうしてお姉さんの姿なんですか?」

「自分自身に不老不死の魔法をかけたからだよ」

「魔法が使えるんですか?」

「そうだよ、魔女だからねぇ」


 イーザクは「ふぅん」と呟きながら魔女を見上げる。


「ねぇ、魔女様。たくさん食べて早く大きくなるので、そしたらぼくと結婚してくれますか?」

「おまえが大人になっても同じ心でいたらね」


 イーザクは早く大きくなりたいと思った。

 そうすれば求婚を受け入れてくれるかもしれない。

 それからも、イーザクは毎日のように魔女の家を訪ねた。

 魔女はよく陽射しの入る窓の側で、揺り椅子に凭れながら午睡を味わっていた。


「魔女様こんにちは! あのね、学校で字を習ったんです!」

「そうかい。よく勉強するんだよ」


 村の子どもたちと一緒に学校へ通い始め、字を習い、体を動かす。

 痩せて貧相だった体は少しずつ大きくなり、背も伸びて足も速くなった。

 速くなった足で今日も森へ続く一本道を駆けていく。


「魔女様。友達と隣町まで遊びに行って、美味しそうなお菓子を見つけたんです。魔女様もどうぞ」

「ありがとう、頂くよ」


 イーザクはたくさんの友達ができて、村の外まで足を延ばし、色々なことを学び知った。

 世界は広い。

 孤児だった頃は人さらいに狭い馬車へ詰め込まれ、暗い夜道を当てもなくさまようことしかできなかったけれど、知識をつければ進む先を選ぶこともできる。

 世界はどこまでも果てなく続き、その先でたくさんの出会いを得ながら少しずつ成長していった。


「魔女様はいつもお昼寝をしているから眠りの魔女様なんですか? おばあさんだから眠いの……いひゃい、いひゃい」

「生意気な口はこれかね?」


 訪ねるたびに揺り椅子で微睡んでいる魔女に気になって聞いてみると、イーザクの柔らかな頬は魔女の指で左右に引っ張られた。

 イーザクのことをお子様扱いするわりには、自分がおばあさん扱いされることは不満らしい意地悪な魔女。

 それでも、魔女はイーザクが遊びにくることを拒まない。

 午睡を邪魔されつつも、イーザクのいつもの言葉に必ず耳を傾けてくれた。


「魔女様がシワシワのおばあさんになっても大好きだから、大人になったら結婚してください」

「不老と言っているだろうに……。おまえが大人になっても同じ心でいたらね」


 移ろい変わるときの中で、イーザクと魔女の約束だけは今日も変わらずに繰り返された。




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