果てしない使命
「エタ、ロナンテ、ミーネ、キルオ、ハル……」
彼は独り、名前を呟き続けていた。それだけが、崩れそうになる心をかろうじてつなぎ止める手段であると気づいてから、日課となっていた。
目の前のモニターには、暗闇しか映らない。無限に広がる宇宙の闇は、自分の内面を映し出しているように思えた。長く見つめていると、引き込まれるような感覚に陥る。
「ドドイア、ムラノ、サーノ……母さん、父さん……」
地球外知的生命体を探す旅は、想像以上に過酷だった。この宇宙船が地球を飛び立ったとき、彼はまだ生まれてもいなかった。
彼はこの船で生まれ、この船で育った。彼の父も母も、そのまた両親も、みなこの船で命をつないできた。しかし今や、生き残りは彼一人だった。他の乗組員たちは寿命で亡くなり、またある者は旅の果てしなさに絶望して自ら命を絶った。
彼がこの先、どちらの結末を迎えるのか。それは彼自身にもわからない。
食料も酸素もエネルギーも、船のシステムが自動で供給している。操縦もすべてコンピューター任せだ。だから生存に支障はない。ただ、彼は時折考えてしまう。
自分は、この船にとって必要なのだろうか。
未知を求め、宇宙へと飛び立った勇者とは、この船そのものなのではないか。自分は体内に存在するただの菌ではないのか、と。
事前の調査で知的生命体の可能性が示された星々は、すべて空振りだった。その後はレーダーを頼りに、新たな星を探し続けた。
一つの星に辿り着いては、次の星へ。辿り着いてはまた次へ。そんな当てのない旅を『冒険』と呼ぶには、あまりに虚しく苦痛でしかなかった。
かつて地球を離れる理由となった使命も、彼の心を燃やしはしなかった。それは彼の知る限り、ただの『又聞き』に過ぎなかったのだから。
「エーレ、ノイター……おじいちゃん、おばあちゃん……」
名前を呟くこと。それは、自己を保つための防衛機制だったのかもしれない。それでも心は次第に鈍り、白い霧が広がるように思考は曖昧になっていった。AIの指示に従い、食事をし、操縦席に座る。ただ、それだけの毎日。
きっと、このまま寿命を迎えるのだろう。あるいは――。
彼はもう、自嘲する気力すら失っていた。
変化は、ある日突然訪れた。視界が眩い光に包まれたのだ。
彼はそれを天からの迎えだと思った。もっとも、それもまた『又聞き』であり、彼には信仰心などなかった。だが、それでも彼の心の奥底には静かな安らぎが訪れた。
「ああ、母さん、父さん……みんな……ようやくだ……」
「おい、おーい、もしもーし」
「大丈夫ですか?」
「……え、あ、あ」
目を覚ますと、彼は夜の草原にいた。
いつの間にか船の外に出ていたらしい。そして、ここは……そうか、そうだった。新しい信号をキャッチした惑星へ向かい、着陸したのだ。そして、あの眩しい光に包まれて……ということは、あれは警備船だったのか? ならば、ここは……ついに辿り着いたのか……!
彼は興奮で手足を震わせながら、ゆっくりと立ち上がった。
「あ、あの、わ、私は地球という星から来ました……!」
指で自分を示しながら、震える声でそう告げた。
しかし――。
「ふ、はははは!」
「はっはっはっは!」
「え、え?」
彼の言葉を聞いた男たちは顔を見合わせ、大笑いした。手に持ったライトの光が、まるで笑うように草の上を転がった。
「ははは、そんなこと言われなくてもわかってるよ」
「え、どういうことでしょうか……? ああ、私の船を調べたのですか? あの、私は地球人なんです」
「ふふっ、ああ、おれたちも地球人だよ」
「え……?」
一瞬、彼の思考が停止した。そして、無意識に指を相手へ向けた。
「でも、あなたたちの外見は……」
「おい、差別主義者か?」
「よせよ、このじいさんはほら……」
「わかってる、冗談だよ。でも、昔はおれみたいなハーフは差別されたらしいからなあ」
「それは、このじいさんも生まれる前の話だろう」
「あ、あの、話がよくわからないのですが……」
彼は言いようのない不安に襲われていた。言葉がなぜか通じていること、妙に懐かしい感覚。それらが関係しているのだが、情報が少なく、確信が持てなかった。
彼はぐっと不安を押し込み、問いかけた。口から一音発するたびに膝が揺れ、今にも崩れ落ちそうだった。
「こ、ここは、なんという星でしょうか……?」
「ははは、決まってるだろ。ここは――」
――地球だよ。
その瞬間、まるで配線が切れたかのように彼の動きが止まった。
言葉は音として耳に届くが、すぐに溶けて消えていく。彼の中に残ったのは、何かが崩れ落ちていく感覚だけだった。
「おーい、じいさん。寝ちまったのか? 結局、公園に一人で何してたんだよ」
「どこかの養護施設から脱走したんだろう。署に問い合わせてみよう」
「それか酔っ払いだな。昨日はギギ星と地球の交流三百年記念祭だったからな」
「まさか、ずっと飲んでたってのか? ……ん? 体に何か書いてるな」
「施設名か? 読めないな。どこの文字だ。お前、わかるか?」
「いや、全然。このじいさんが自分で書いたんじゃないか? やっぱりボケてるんだ」
【亡命はお断りにつき、強制送還】