004 吾、満洲帝國ヲ撃滅セリ。(日)
欧州大戦争、或いは後の『大祖国戦争』を第二次として当てはめ、第一次世界大戦と呼ばれるその戦争で、最も早く戦闘行動が行われたのは意外なことに極東でのことだった。
大戦が始まってわずか3時間、5月7日午後4時。大日本帝国関東方面軍は、女真・満洲帝国に対し砲撃を行った。三八式野砲320門が15分に及ぶ砲撃を行い、実に2万発以上の砲弾を満洲帝國に撃ち放ったのだ。
元々の兵力が騎兵...それも、フリントロック式のマスケット銃までしか銃火器が発展していないことも相まって、満洲帝国はたった数時間の攻防とも言えない蹂躙によって大きく領土を削り取られた。
山岳部ということも相まって、山の上からの騎馬突撃による奇襲攻撃が強い部落国家だったのであろうが、現代兵器に近世兵器で戦えることはめったにない。結果、当然ながら満洲帝国は大きく土地を減じていき…そして5月9日、他の国家の交戦も始まらぬうちに女真・満洲帝国は大日本帝国に対して降伏。全土を大日本帝国に割譲し、西暦1671年の清朝からの独立より241年続いた国家は滅亡したのだった。
当然ながら、大日本帝国領となった満洲では大日本帝国へのレジスタンスが発生し、各地で山岳に潜みゲリラ戦を展開したが、いかんせん近世の兵器での奇襲なので被害者は少なく、同月24日に大日本帝国は満洲の完全掌握を宣言。しかし、中立であった筈の中華民国が突如満洲に攻撃を仕掛け、大日本帝国は史実よりも20年以上早い第一次日中戦争を展開する事となった。