5月危機(英仏)
1916年5月7日、戦争開始からちょうど一年が経過した日。その日の正午の時鐘は鳴らなかった。
同日午前10時より開始された爆撃機による攻撃により、イギリスの資本主義より始まって高じた帝国主義を象徴する『ビッグベン』が崩壊したからだ。
このクーデターを起こしたのは、欧州マルクス主義同盟と呼ばれる共産主義者の集団であった。3月にて中華民国内で起こった紅星事件が記憶に新しい英国民は、その事実に恐怖し大挙して国会を取り囲み、石や火炎瓶、酷い物では小火器すら持ち出して国会堂を攻撃した。
政府は緊急的にケンジントン宮殿をロンドン市民の避難所として使用することを宣言したが、ロイヤルファミリーも使用する場であるだけに英国王室と英国政府の間で軋轢を生じさせる出来事となった。また、その怒りは全て赤軍と呼称されるマルクス主義(≒社会主義、共産主義)を信奉する者たちに向けられ、のちのソヴィエト赤軍と黒色軍との戦いでは、「物理的に国土を脅かす黒色旗より、国民を毒し国土を自らと同じ色に染めあげんとする物こそ危険である」として、本来は挟撃するところである戦車を全て赤軍戦に動員し、この事がのちの神聖第三帝国設立時における『他国への戦闘行為の禁止』をはじめとした条約のみに定められたことにも起因する。
...だが、英国はそうであろうとも、フランスでは違った。
フランスでは5月10日にパリへ欧州マルクス主義同盟の爆撃機中隊56機が襲来、パリの街を木っ端微塵に破壊し尽くし、エトワール凱旋門もエッフェル塔も破壊され、美しき花の都は赤き旗と黄色の鎌によって手折れた。
5月27日には欧州マルクス主義同盟は『フランス社会主義国連邦』(なお、連邦ではない)と解消することを全世界に通告し、同時に国旗も社会主義、共産主義を示す赤旗に黄色の星、そして小麦の大産地国であることから黄色の鎌も描かれたものとなった。
しかし、南部に逃亡していた自由フランスを名乗るフランス軍によってパリは再奪還。国も再び戻ったことにより、フランスも共産への怒りを露わにしたのだった。しかし大祖国戦争では自らの都を再び焼いた第三帝国に対して根源的な恐怖のようなものがあり、イギリスとは違い第三帝国に攻撃を仕掛けていた。また、神聖第三帝国での成立においても反対していたが、国力低下による発言権の低下により黙殺された。




