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侵蝕の解放者  作者: 小語
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第7話 アグレイとキクの戦い

はぐれ孤児院という、身体を侵蝕された子どもたちが集まる場所で働くキク。

レビンだけは別の孤児院に移すように説得するアグレイだが、キクは応じない。

説得を続けようとするアグレイへと、キクは苛立った目を向けて一言、

「痛い目を見ないと分からないみたいね」

 言うや否や、キクが背面を見せた状態から、身を捻りざま右半面を狙った右蹴りを繰り出した。速いその蹴りを、上体を倒したアグレイは余裕を持って避ける。


「止めておけ。女を殴りたく……」


 キクの靴裏を眺めてアグレイは忠告しようとする。


 だが、足裏が目前で静止している時間が長い。その違和感でアグレイは気づいた。


 蹴りと同時に靴を相手の前で脱ぎ捨てて目隠しにしつつ、キクは左足を軸にして返しの蹴りを放っていたのだ。初撃よりも数段速い。


 避けるのは無理だと判断したアグレイは、右掌と左腕で防御姿勢をとった。


 そのとき、キクの右脚よりも先にアグレイが視野で確認したのは、彼自身の能力発動時と同じ蒼い燐光だった。


 思考も認識も省略して、本能がアグレイの脳内で警鐘を鳴らした。両腕を引っ込めつつ攻撃の着弾点を予測し、身体を回転させながら蹴りをいなす。


「……ッ」


 両者の間で赤い飛沫が弾け、視界を曇らせた。


 アグレイは回転しながら距離を開け、左肩から滴る出血を手で押さえる。


 それに対してキクは、反撃を警戒してその場から飛び退いていた。


 二人が体勢を整えて視線を交わし合ったとき、ちょうど二人の中間でキクの靴が地面に着地し、横倒しになった。


 いつものアグレイなら、明日も曇りかよ、と軽口も飛ばしたろうが、口が吐いたのは別の台詞だった。


「ついさっき、はぐれ孤児院で育ったと聞いたばかりだから予想はしていたが。あんた……、その右脚は……」


 キクは左脚だけで立っていた。


 キクの右脚は横に伸ばされて、その先端が地面に着くかどうかの高さで止めている。その右脚を覆っていた包帯が破れ、変形した脚部を露わにしていた。


 キクの右脚は鋭い刃へと変貌を遂げている。裾から本来覗いているはずの脚部は、剣へとその形状を変えていたのだ。


「片脚が丸ごと蝕肢(しょくし)と化しているのか? それだけ重度の侵蝕があって意識を保っていられるだけじゃなく、恣意的に能力を操れるとは……」


 アグレイは驚嘆を静かに舌に乗せた。


 蝕肢とは、人体の侵蝕部位を示す言葉だ。


 その度合いが深いほど、身体能力の向上や特異な能力を行使することができる。だが、強い精神力と侵蝕に適性する体質を有していないとその人格を歪め、すぐに完蝕され尽くしてしまう。キクのように自我を保有し続けていられる人物は稀であった。


「これ、私が子どもの頃から使えるけど、便利よ。暴漢や身のほど知らずを追い返すとき。つまり、今みたいにね!」


 言い終わりは風の音に掻き消される。片足で器用に跳躍し、右手から左手の順に着地して側転から、左足が地を蹴って後方宙返りへ繋げる。


 普通なら片足が使えなければ移動するのも困難なはずだが、キクは両手で補助することで身体を回転させながら、むしろ高速で接近してくる。


 キクの生まれ持ったしなやかな筋肉と、侵蝕によって底上げされた筋力が、類稀な身体能力を発揮させているのだろう。


 体操選手にも似た体技に意表を突かれ、アグレイが身構えたときには、キクは一気に間合いを詰めていた。


 キクの蹴りを迎え撃つため、アグレイも左手を強化させる。


 キクの顔に驚きが走った。


「あんたも……?」


「それなりにな」


 金属音がつんざき、アグレイの手の甲が斬撃を受け止めた。間髪を入れずに押し返してキクの体勢を崩そうとするが、それよりもキクが脚を引く方が速い。


 キクの猛攻は止まらず、横殴りの驟雨かと見紛う連続の蹴りがアグレイへと走った。


 だがアグレイも触らせず、刃の寸隙をかいくぐって勝機を窺っている。その様子見を嫌ってキクが攻防に転調をもたらした。


 身を引きざま時計回りを描き、右回し蹴りをキクが放つ。アグレイは何事もなく受け流し、キクが背中を見せるとそれを好機として攻撃の予備動作に移った。


「ちィッ」


 失策を覚ったのはアグレイだ。


 キクは攻撃を受け流された勢いに逆らわず、その流れに乗って回転の速度をより増していた。目に映ったキクの背が残像だったと知って、アグレイは防備に回るが、二転目の回し蹴りを防御するのに間に合わない。


 アグレイは左掌で受けるが、威力を相殺しきれずに吹き飛ばされた。


 アグレイは身体のあらゆる部位を天地が分からなくなるほど路面に打ちつけ、やっと視界が定まるとそれは灰一色に染まっていた。


 暗闇なら失神したのだろうが、灰色となれば仰向けに寝ているのだと理解できた。


 アグレイが痙攣する両手足を踏ん張り、追撃を警戒して焦点の定まらない視線を前方に向けると、キクはただ立ったままアグレイを眺めているだけだった。


 キクの右脚、太腿以下が微粒子の集合体と化したように希薄になり、粒子が瞬時に拡散して再び結合する。それは蒼い鉄製の肌質ではあったが、形態は普通の脚部に戻っている。


 キクがゆっくりと近づき、ある場所で足を止めた。


 キクが足元に落ちていた靴を履いて具合を確かめると、アグレイを見下ろして口を開く。


「レビンを助けてくれたっていうから、今回は見逃してあげる。だけど、勘違いしないで。もし、また余計なことをしようと思ったら、……次は、無事では済まさないから」


 吐き捨てるように言葉を残すと、キクは振り返ることなく去って行った。


 曲がり角でその姿が追えなくなってから、アグレイは緊張を解いて仰のけに倒れ伏す。キクの蹴りで切られた肩からは、まだ出血が続いていた。


 いきなりアグレイが地べたに拳を打ちつけた。石畳が砕けて幾何学的な亀裂が走り、石の切片が弾け飛ぶ。


「ちっくしょう! 油断してたんだ。あの女に負けたわけじゃないッ……!」


 弁解がましい独語が空しく宙に溶け去ると、いたたまれずにアグレイは身を起こす。その面には荒々しい赫怒が宿っていたが、それは不覚をとった自身に対するものだ。


 アグレイの怒りは、いつも自分に向けられている。


「ハァッ……」


 息を吐いて精神を静めると、アグレイは歩き始める。


 その後、アグレイは統括府に戻り、フリッツが報告書を提出して帰宅したことを聞いた。アグレイも帰宅の旨を告げ、自宅に戻った。


 はぐれ孤児院やキクのことは、アグレイは報告していなかった。

蝕肢は、侵蝕されて変形したり特殊能力を使えるようになったりした人体のことです。

本作の異能はこの蝕肢と蝕器(後で登場)によります。


キクは侵蝕された脚を刃に変形させ、キックして戦います。

キック……キク……、お前の名前、まさか?

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