第6話 はぐれ孤児院とキク
レビンを送り届けたアグレイは、孤児院で働くキクと出会う。
キクはアグレイに良い印象を持っていないようで、険悪な雰囲気を放っていた。
アグレイはキクと対話を試みるが……。
「レビンを助けて下さったこと、感謝します」
言外に、それ以外は何とも思っていないと言っていた。
先制されても鼻白むことなく、アグレイが返す。
「君がキクか。レビンから話は聞いている」
「話? どういう話です?」
「孤児院の者だそうだな」
アグレイなりに鎌をかけたつもりだったが、キクは言質をとられる愚を避ける。
「……ええ、そうです。孤児院の者です。それが何か?」
今度はアグレイが言葉に詰まる番だった。
「あー……。そ、そうか」
「話は済みました? それじゃあ私、もう行きますから」
時間の無駄だったとでも言いたげに、キクはアグレイの横を通り過ぎた。
結局、率直に尋ねるしかないと気を取り直したアグレイが問いかける。
「あんたとレビンがいるのは、はぐれ孤児院じゃないのか?」
キクは歩みを止めた。
キクが半面を肩越しに覗かせ、視線の矢で射るようにアグレイを睨めつけた。
「何だよ、その顔は。答えるんだ」
キクは踵を返して戻ってくると、面と向かってアグレイを見返した。アグレイが目を逸らすほど、真っ直ぐに。
「私達が住んでいるのは、確かに認可を受けていない孤児院です」
「それなら、統括府に届け出をして孤児院の資格を取得するんだ」
「そんなこと……」
できない、と言うのだろう。
単純に考えて、統括府に孤児院として登録されることに不都合は生じない。経営を支援するための補助金まで支給される。
それでも、はぐれ孤児院と称される集団の発生が止まないのはそれだけの理由があるからだ。
孤児院として認知された場合、孤児に対する身体的基準が定められ、そこから逸脱する者は孤児院に入ることは許されず、統括府に引き渡されることとなる。
その基準は侵蝕されているか否かだ。侵蝕が深まり完蝕状態となると人間は理性を失うが、子どもは精神が未熟なせいか完蝕されるのが早い。
侵蝕が治癒することは決して無いので、完蝕と化して他者を傷つけるのを防ぐため、事前に収容所に送ってしまうのだった。
はぐれ孤児院は、侵蝕を受けて普通の孤児院から拒否された孤児が集合し、自然と形成された共同体なのだ。行き場のない子ども達の、最後の拠りどころ。
「その気が無いのなら、俺が今からその場所に行って確認し、『適切な処置』をとる」
「言い方を変えているだけじゃない。侵蝕されているだけで収容所送りなんて、そんなやり方間違ってる」
「手遅れになって犠牲が出るよりはマシだ」
「あの子達が生きることは、許されないことなの?」
「別に収容所でも暮らしていける。食事や娯楽だって、ちゃんと提供されるんだ。何だったら、はぐれ孤児院での生活よりも充実しているだろう」
キクが初めて激情を発した。冷たい無表情が一変し、柳眉を逆立ててアグレイに詰め寄る。キクは胸中の憤激を言葉に変換して迸らせた。
「そりゃ生活はできるでしょうよ! でもねッ、生活することと生きるってことは違うの!! 友達と無理矢理離されて壁のなかに閉じ込められて、監視されながら自分は正気じゃなくなるんだって毎日怯えて暮らすのッ! それが、生きてるって言えるの!? 言ってみなさいよ、そうしたらあんたなんか殺してやるんだからッ!!」
「……」
アグレイは我知らず一歩後退していた。それがキクに気圧されたからなのは言うまでもない。
それを自覚したとき、アグレイは恥じるように足を戻してキクと正面から対峙する。
「じゃあ、レビンはどうなんだよ? あの子は侵蝕されていないはずだ」
アグレイが覚えているのは、界面活性に捕らわれているレビンの姿だ。侵蝕されていれば、界面活性に少しは反発できる。
それもできないのは、健常な身体を持っている証拠だ。レビンだけならば、孤児院で保護できるだろう。
今度はキクがわずかに動揺する番だった。
「あの子は、私達が五年前に拾って、今は私がちゃんと世話しているわ。他のところに移す必要なんてない」
「私達?」
「私と、シェリルおばさんよ。私を拾って育ててくれたのも、その人。最近になってお亡くなりになられて、子ども達の世話をするのは私だけだけれど、何の問題も無い」
確かにレビンの身なりは粗末なものだったが、健康に障りがある様子は見えなかった。
どちらかと言えば、体力があり余っている元気な少年ですらあった。はぐれ孤児院で暮らしているとは思えないほどに。
「そうだとしたら、あんたの負担も相当なはずだ。このイフリヤで、女だてらに子どもを養えるほど身入りのある仕事なんか、限られている」
「変なこと考えないでッ……。健全な仕事よ。私がしているの……」
キクが顔を赤らめながら、アグレイとの距離を広げる。
仕切り直して感情を静めてからアグレイを見据える目に、仄かな侮蔑が浮かんでいた。
アグレイとしては甘んじて受けるしかない。早とちりだったかもしれないが、そうして生計を立てている場所も少なくないのだ。
「とにかく、あなたみたいな部外者に心配されることなんて、何もありませんから。じゃ、さよなら」
「待て。俺も行く。レビンだけは、こちらで保護させてもらうからな」
「しつこいわね……」
アグレイに後ろ姿を見せたものの、その言葉を聞いてキクは首だけを回して再び振り返る。その目元が険悪に細められていた。
危険な兆候だと見たアグレイの耳朶を、キクの昂ぶった声音が打つ。
「痛い目を見ないと分からないみたいね」
キクのアグレイへの印象は良くないですね。
アグレイが統括府という機関に在籍する人物なので立場上、警戒しています。
元から気が強いのもあるでしょうけれど。
粗野な言動が多いですがアグレイは意外と大人な面を見せています。
この辺は公的な仕事をしている差があるのかもしれません。