第47話 アグレイ、再生
サクラノ公園のなかに佇むアルジーとアグレイが出会う。
完蝕されたアルジーは記憶を失っており、アグレイに容赦の無い攻撃を加えた。
アルジーに殴られながら、アグレイは反撃する気力を失っていたのだった。
キクが荒い息を吐いて、ようやくサクラノ公園に到着した。
入り口を過ぎて園内を見渡す。アグレイを探すが、視界を埋め尽くすほどの花びらに遮られ見通しが利かない。
「アグレイ! どこにいるの?」
叫んでも返事がない。現実と遊離した世界に一人ぼっちで残されたような不安を抱き、キクはアグレイの姿を求めた。
歩を進めると、横合いに幻の天空を映した池が現れる。そこまで来たとき、肉を打つ不穏な響きがキクの耳朶に届いた。
音のした方向に爪先を向けてキクは走った。そこでキクが見たのは、不遜に佇むアルジーと、満身創痍で立ち尽くすアグレイだった。
「大丈夫?」
キクが駆け寄ってもアグレイは反応しない。虚ろな目をアルジーに注いでいるだけだ。
「ちょっと、アグレイ!」
「……あ? ああ、キクか?」
「こんな一方的にやられるなんて、あなたらしくないじゃない。どうしたの」
「俺には、できない。殴れない」
そう呟くアグレイの横顔には、普段の精悍さが欠落し、惑乱した少年のような表情が貼りついていた。
「アグレイ、どうしちゃったのよ!?」
キクが乱暴に肩を揺さぶっても、アグレイはされるがままで完全に生気を欠いていた。
キクは歯軋りすると、アグレイを放って自らアルジーに対峙する。
「分かったわ。あなたが戦えないのなら、私があいつを斃す」
キクは右脚を横に伸ばして、それを刃に変形させる。
アルジーは興味も無さそうにそれを眺めていたが、奇襲されても即座に対応できる余裕があったのだろう。
キクが先手をとった。
側転と後転を織り交ぜた変則的な移動から、キクが横薙ぎの一撃を見舞う。
アルジーは回避も防御もしなかった。ただ、キクの攻撃が当たるよりも速く踏み込んで掌底を打っただけだ。
弾け飛んだキクが大地に激突し、爆発したかと思うほどの砂煙を巻き上げる。
「強い……。私じゃ、戦うことすらできない」
這いずってアグレイに近寄ろうとするキクの前に、アルジーが立ちはだかった。
「アグレイ。私じゃ、勝てないよ。あなたしか、勝てる人はいないんだよ」
アルジーは物体でも持つようにキクの頭部を掴み、高々と掲げた。キクは地に足が着かない高さに吊るされ、四肢を垂れ下げている。
「あなたが諦めたら、この街はどうなるの」
アルジーが手に力を込め、華奢な腕に筋が浮き出た。頭蓋骨を軋ませたキクが、声に出ない痛みに息を押し出す。
「ばぁばとレビンに約束したんでしょう。イフリヤを平和にするって。青空を見せるって」
その名前を聞いて、アグレイが顎を持ち上げた。
「フリッツ、ユーヴ、リューは、アグレイを守るために戦ったのに……。これじゃあ、みんなの気持ちが無駄になっちゃうじゃない」
アルジーが拳を握りしめる。それでキクを粉砕するために、後ろに手を引いた。
アグレイは大切な人物の顔を次々と思い浮かべた。琥珀の瞳が発する光彩は次第に鮮烈になっていく。
「あなたは、家族を見捨てたことを後悔している。それなのに、あなたは自分を信じている人達を見捨てて、また裏切るつもりなの」
「俺は……!」
「さよならは終わったか、人間」
アルジーが、撓めた力を乗せた拳をキク目がけて打ちつける。
頭部を爆砕する威力を秘めた打撃の標的となったキクは、きつく瞼を閉じた。
突如、重々しい炸裂音が場に満ちた。
その音源はキクではない。
空中に投げ出されたキクを受け止めたのは、力強い腕の感触だった。
双眸を開いたキクをアグレイが片手で抱いている。アグレイの伸ばされた右腕の先で、固く握りしめられた拳が敵を殴り飛ばした余韻に震えていた。
「俺は、もう二度と大切なモノを失わないと決めて、強くなったんだ。おかげで目が覚めたぜ。ありがとよ、キク」
それは、みんなが希望を託すに値すると信じたアグレイの姿だった。
アグレイは丁寧にキクを下ろすと、ふと気遣わしげな視線を向ける。
「あの、俺が不甲斐無いせいで痛い思いをさせてしまってだな、申しわけないというか、何と言いますか……」
「そんな謝罪なんか、後でいいわよ。それより、アグレイ……頑張ってよ」
アグレイは、キクの眼差しを真正面から受けて頷く。
そして、アグレイに殴られて大の字になっているアルジーに向き直った。予期しなかった一発が効いたらしく、アルジーが立ち上がる動作は鈍い。
「アルジー。俺は、あのときお前を見捨てるという過ちを犯した。だからこそこれ以上、間違いを重ねるわけにはいかない。今の俺にとって大切な人達を守るために、俺は……お前を殴らなきゃなんねえ」
アルジーは、アグレイを強敵と認めた。
アルジーの内面から湧き出す鬼気が、物理的圧力となって旋風を生み、渦を巻いて桜をさらう。薄紅色の幕の奥に控える男は、黙然とアグレイを見据えている。
アグレイは、右手を強化して青い燐光を宿らせた。右手から湯気のように立ち昇る瘴気に触れると、桜はたちまち青い炎に焼かれて消えた。
桜の奔流に埋め尽くされた舞台で、兄弟は最後の語らいを拳で交わそうとしていた。
キクの説教を食らって、やっとアグレイも覚悟を決めました。
ここからアグレイとアルジーのラストバトル開幕だ!
しかし、アグレイがキクとくっついたら尻に敷かれるだろうなあ。
父親と同じや。