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侵蝕の解放者  作者: 小語
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第46話 相まみえる兄弟

サクラノ公園の前に現れた前禍大喰、ブラガと戦うキクはアグレイを先に行かせる。

ブラガの実力に手も足も出ないキクだったが、アグレイがブラガに負わせた傷に気が付き、その傷へ攻撃することでブラガを倒すことに成功。

傷を負いながらもキクはアグレイを追いかけるのだった。

 アグレイは、サクラノ公園の入り口に立った。


 木製の看板はすでに朽ち果てていて読めないが、アグレイの古い記憶には両親と弟とともにそれを見上げた映像が残っている。


 覚悟を決めるような短い呼気を吐いて、アグレイはサクラノ公園の敷地に踏み込んだ。


 年中無休で曇天のイフリヤ市にも季節は存在する。


 桜の時季ではないのにも関わらず、サクラノ公園には満開の桜が咲き誇っていた。灰色の背景に桜が舞い散り、桜の鮮やかさを幻想的に浮かび上がらせていた。


 無数に散る薄紅色の花弁は地面に積もることはない。虚空の舞台を気紛れに舞って、大地という終幕に達すると、花びらは地面に浸透するように溶けていく。


 アグレイの身体に触れた桜も、粒子となって消えてしまう。


 公園の中央にあった大きな池も、アグレイの記憶と寸分違わずに座している。凪いだ空間に不自然な波が立っていた。


 あるはずのない蒼穹と太陽を宿した水面を認め、アグレイは確信した。


 これはアルジーが最後に見た光景なのだ。弟は停止した時間に閉じ込められて、もがき苦しんでいる。……俺のせいで!


 アグレイが歩を止める。その先には、男が佇立していた。


 男は両手を広げて、全身で桜の乱舞を浴びている。無感動に、それでいて無心な姿は、アグレイの心を打った。


 改めて見ると、男はアグレイの母の生き写しであった。細面を包む流麗な黒髪。アグレイを超す長身の繊細な容姿の美丈夫は、まさしく成長したアルジーに他ならない。


「アルジー」


 アグレイが名を呼ぶと、男は初めて気づいたように視線を向けた。


 男の瞳の深奥に青い輝きが鬼火となって燃えている。その燃料が未練か憎悪か、アグレイには判断がつかなかった。


「久しぶりだな、俺のこと覚えているか? 兄ちゃんだ。ずっと一緒に遊んでいたろ?」


 アルジーは胡乱にアグレイを見やった。


「兄ちゃん? 嘘つけ。兄ちゃんは……」


 アルジーは自分の頭上に手を掲げ、見えない誰かと背比べをするような仕草をした。


「こんなに大きいんだぞ。お前みたいに小さな奴じゃない」


 自身の身長が伸びたことに気づかずにアルジーは言った。子どもの頃はまだアグレイの方が背は高く、いつもアルジーが兄を見上げていたのだった。


「だから、お前なんか兄ちゃんじゃない!」


 記憶を失ったアルジーに他意はなかっただろう。


 だが、アグレイは氷点下の刃物で胸を刺されたように身を強張らせた。全ては、忌まわしい過去のせいである。


「お前を殺して、人間どもを根絶やしにする。それが、禍大喰の役目。死ね」


「あ……」


 颶風となってアルジーが襲いかかる。


 アグレイは迎撃の構えをとったが、常のような迫力を感じさせない頼りなげな面持ちだ。握った拳も、内心の戸惑いを反映して震えている。


 幻影の桜を舞い上げてアルジーが間合いに入った。


 アルジーは右正拳というより、体捌きなど無視した粗雑な殴打を繰り出す。無造作なようでいて速い。


 アグレイは両腕を顔の前で合わせて頭部を防御した。


 その強固な防備を強引にこじ開け、アルジーの拳がアグレイの頬に炸裂。


 後方に吹き飛んだアグレイを追って、アルジーはさらに加速した。片足を着地させて何とか体勢を整えたアグレイが目を向けると、先ほどまでいたはずの場所にアルジーの姿はない。


 その存在を捉えたのはアグレイの鋭敏な聴覚だ。


 いつの間にか右側に回り込んでいたアルジーが、疾風のような両拳の連打を放つ。


 アグレイの反射神経と技術を持ってしても、それらを全弾回避することはできなかった。手の甲で弾き、首を曲げて往なすが、数発が胴体に叩き込まれる。


 苦痛の呻きを噛み殺し、アグレイが仕切り直そうと飛び退いた。


 恐るべきは距離を固定したまま前方に跳び、易々とアグレイを追い詰めるアルジーの体技であった。


 アルジーの弧を描くような左鉤打ちがアグレイの側頭部に直撃した。頭蓋を貫通して脳を揺るがした衝撃に意識が乱れる。


 意識が混濁したまま受け身もとれず、アグレイは地面を抉りながら滑走した。本能のなせる技か、よろめきつつも立ち上がる。


 一度の攻防でアグレイは消耗していた。


「痛えなあ。……だけど、お前はもっと痛かったんだろうなあ。怖かったんだよなあ。アルジー、ごめんなあ。俺が、見捨てたばっかりに」


 アルジーの姿が琥珀の瞳のなかで次第に大きくなっても、アグレイはそれに気づいた様子はない。


 今のアグレイが見ているのは、記憶の底に沈殿した、あの日の光景であるらしい。


 ゆっくりと近づいたアルジーは、すでに戦意を喪失したアグレイを殴り飛ばす。派手に倒れても、アグレイは再び身を起こした。


 まるで、アルジーに殴られるためのように。


 ……俺がアルジーを殴れる道理なんてないんだ。全部の始まりは、俺が家族を見捨てたせいなんだから。いったい、どんな理由で俺が弟を殴れるんだ……?


 アルジーが眼前に立つと、アグレイの握り拳がついに力無く解かれた。


「好きなだけ、俺を殴ってくれ。……何だったら、殺したっていい」

覚悟を決めていたのに、いざとなるとアルジーを殴れなくなってしまったアグレイ。

情けないぞ、とお叱りを受けそうな体たらくぶり。

このままやられ続けるわけにはいかないぞ。

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