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侵蝕の解放者  作者: 小語
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第43話 戦う詩人

サクラノ公園に急ぐ一行の前に完蝕された赤ん坊が姿を現す。

赤ん坊を眠らせるために一人残ったユーヴの前に、界面活性から完蝕された子どもたちが現れた。


一方、先に行ったアグレイたちの前に完蝕された人間たちが立ち塞がる。

アグレイとキクを通すため、リューシュが三人の完蝕者と戦うために残るのだった。

「ぐぅッ」


 泣き喚きながら群がる子ども達は、その意思に反して強制的に身体を動かされているようだ。


 涙を流しつつも容赦なく振るわれる鋭利な指先に肌を抉られて、ユーヴは耐えきれずに呻吟を声にして漏らす。


「えぇーん! ごめんなさい! でも、僕もこんなことしたくないのにぃー……」


「いや、君を責めているわけでは。い、痛い、く、うぐぅ! ま、待ってくれ、君達……!」


 ユーヴは必死に子どもの波をかき分けて、小さな頭で形成された輪の外に泳ぎ出た。


 衣服が破れて露わになった肌に幾筋もの朱線が走り、流れた鮮血が布地に染み渡って重くのしかかっている。


 膝を地に着けて呼吸を整えるユーヴの背に、苦痛を足枷のように引きずる子ども達が詰め寄る。他者を無理矢理に傷つけさせられる恐怖に、頬は涙の跡で白く彩られていた。


「もうイヤだよお」


「キクお姉ぢゃん、どこにいるの……。助げでえ」


 ユーヴは足をもつれさせて逃げ惑う。


「何と酷い仕打ちなんだ……! それにキク君の知り合いも含まれているのか。彼女達を先に行かせてよかった」


 キクがはぐれ孤児院を営んでいた過去を知らないユーヴが、荒い呼吸の合間に言葉を漏らす。


 身体を操られている子ども達はユーヴを追い詰めるように、緩やかに弧を描いて包囲しようとしていた。


 一様に両手をユーヴに伸ばして歩み寄ってくる光景が恐怖心を煽り、ユーヴは万年筆を持つ手に力を込める。


「……できない」


 そう言ってユーヴはただ子ども達から遠ざかる。


 完蝕されている人間を元に戻すことはできず、彼らを侵蝕から解放するにはその命を奪うしかない。


 だが、完蝕されているはずの子ども達には自我が残留している。つまり、痛みに震え、死を恐れる感情を所有しているということだ。


 その子ども達を殺せるほど、ユーヴの神経は図太くなかった。


「考えろ。完蝕の状態で自我が残されているのには理由があるはずだ。あの子達が何者かに操られているとするなら、そこに糸口がある」


 地面に点々と血の雫を垂らしつつユーヴが思考する。


「そうだ。敵が利用しているのは子どもじゃない、僕の感情か。泣き叫ぶ子どもを無下に殺せない人間の情を悪用しているんだ。年端もいかない子どもを盾にして、自分は高みの見物とは卑劣な……!」


 ユーヴは首を巡らして、子どもを陰から操作している喰禍の存在を探した。


 その意識は自然と子どもから遠のき、遠方の建物や道路に向けられる。


 疎かになったユーヴの注意の隙を突いて、一人の少年が手を薙ぎ払う。刃で裂かれたように、ユーヴの左腕から深紅の飛沫が舞った。


「……!」


 激痛に掠れた息を吐き、ユーヴは反射的に肘で子どもを払い除ける。


 大人の膂力に敵わない少年は呆気なく尻もちを着いた。その顔が涙と鼻水でくしゃくしゃに汚れていたのを目にし、ユーヴの良心までが傷を負った。


「どこだ? どこにいるんだ、出てきたまえ! この僕がぶっ殺してやるよ、卑怯者めが。それとも、人目に晒せない容姿なのかい……!」


 すっかり血を吸って重くなった衣服が纏わりつきユーヴの身を束縛する。


 血流は生気の喪失を伴って詩人の四肢に不可視の重しとなっていた。


 その周囲では小さな手をユーヴの血に染めた少年少女が頬を濡らし、ユーヴを八つ裂きにしようと凶手を振るう。


 ふと、ユーヴの視線がある一点に縫い止められた。


 ユーヴの瞳が焦点を定めたのは、最初に見つけたあの赤子である。


 赤子は目前の惨状を理解する風もなく、楽しげに手を打ち鳴らしている。


 いや、とユーヴの理性がその先入観に異議を唱える。赤子の目に光るのは無邪気さではなく、嗜虐的な喜悦に彩られた知性であった。


「貴様、貴様かッ! 無辜の子どもを苦しめ、人間の情につけこんで悪辣な手段に訴える下種野郎は!!」


 ユーヴの怒号を受けて、赤子は両手を叩くのを止めた。


 赤子は落ち着いた動作で視点をユーヴに定め、口角を歪める。


「ヨクゾ、分カッタナ、ニンゲン。如何ニモ、コノ余ガ、ソレラヲ使役シテイルノダ」


「人語を解するだけでなく、喋ることもできるのか。シュトライト教授の『喰禍知性所有論』の第四論考、『喰禍の順応性。言語、動作、思考の学習』が証明されたわけだ」


 ユーヴは冷静に、かつ生真面目に言った。穏やかな口調を崩さないが、アグレイ達が目にすれば戸惑うような殺意に満ちた眼光を放っている。


「赤子の姿を借りた喰禍とは、面妖な」


「ニンゲン。オ前ラ成体ハ、幼体ドモヲ傷ツケルコトヲ忌避シテイル。余ハ、ソレヲ利用シタニ過ギナイ」


「あの涙を流している子ども達を、言うに事欠いて幼体だと!? 貴様が無情に扱った子ども達に代わって、この僕が貴様を……」


「オ前ハ、ソノ幼体ドモニ殺サレルノダ」


 ユーヴの背中に衝撃が加わる。


 それは軽く押される程度のものだった。腹部の違和感にユーヴが目を下ろすと、自分の腹から細い腕が生えているのを焦げ茶色の瞳が映した。


 その手が引き抜かれると、ユーヴの胴体の前後から黒色の血流が噴出する。


 ユーヴが傷口を掌で押さえても、指の隙間を縫って血流が手首まで伝い、乾いた路面に湿った紅の花弁を咲かせた。


 下半身に力が入らなくなってユーヴが膝を屈すると、濡れた音とともにたちまち血だまりができあがる。


「あぁ! ご、ごめんなさいッ!」


 腕を真っ赤に染めた少女が泣きながら謝罪する。


 ユーヴは少女に手を伸ばし、少女が目をきつく閉じた。その頭部に温かみを失った柔らかい掌が置かれると、少女は静かに目を開く。


「怒ってなんかないさ。お譲さん、お名前は?」


「フィリス……」


「そうか、フィリス。君は心配しなくていいよ。僕が怒るのは、あいつだけだからね」


 ユーヴが目を向けると、赤子は禍々しい笑みを浮かべた。


「怒ルノハ自由ダ。問題ハ、余ニ勝テルカ、ソレダケダ。貴様モ弱ッタコトデアルシ、余ガ直々ニ殺シテクレル!」


 赤子が言うと、帯のような界面活性がその周囲を覆う。


 界面活性が消失したとき赤子は体長四メートルほどもあろうかという巨体に変貌していた。進路上の子ども達などお構いなしに、その禍々しい姿で赤子が突進しくる。


「おんぎゃああぁぁぁああ! おぉんぎゃあー!」


「うわぁ!」


 一人の子どもが赤子の巨大な掌に押し潰される。少年の四肢が太い指の間で痙攣しており、そのまま虚空に溶けていく。


「貴様! なぜ子どもを気にしないんだ。かりそめにも君が操っているのだろう……!」


「ニンゲンノ幼体ナド、イクラデモ補充が効クノダ。余ガ気ニスベキコトデハナイワ!」


 ユーヴの万年筆が宙を踊った。


「超波動の詩!」


 衝撃波を顔面に食らった赤子は煩わしげに立ち止まった。手傷は負っていないが、牽制の効果はあったようだ。


「この子達は、もう元に戻す手段がないんだ。こんな奴に弄ばれるより、どうせなら、僕の手で楽にしてあげたほうが……」


 ユーヴは自分に言い聞かせるように言った。


 ユーヴの手が重傷者とは思えない速さで走り、筆先がその軌跡を淡い光で彩る。


「アグレイ君は、自分の過去を語ることでその覚悟と僕達への信頼を表明した。僕がアグレイ君に報いるとすれば、その障害物となりうる存在を排除するしかないんだ。君達、済まない」


 暗然としながらも断固としたユーヴの殺意に、子どもは涙と鼻水に濡れた面を一様に悲愴と恐怖で満たした。


 赤子は油断した自戒からか、ユーヴの挙動を見守っている。


 そこに突如、この場にはそぐわない陽気な歌声が流れた。ユーヴの唇から、決して上手くはないが春先の陽光にも似た温かさを感じさせる。


「愛しいあの娘、かわいい娘。まるでとびきり上等な蒸留酒(ウイスキー)。僕の喉を灼いて、僕の胸を焦がすのさ……。地元の童謡だけど、ちゃんと歌えないなあ」


 子ども達は笑みを見せぬまでも、一時的に眼前の悲惨な状況を忘れたようだ。不思議そうに呆けた表情を作ったり、目元を和ませたりする子どもがユーヴをとり巻いていた。


「僕のことを恨んでくれて構わない。だけど、約束する。苦しみはないからね」


 ユーヴの穏やかな声と裏腹に、その手は素早く長文を練り上げている。


「紡ぎし罪の詩」


 終止符が打たれると、少年少女の肉体は瞬時に塵となった。まさに苦痛を感じる間もなかっただろう。


 紡ぎし罪の詩、喰禍には効かないが完蝕された者を問答無用で消滅させる、慈悲深くも罪深い技だった。


 赤子が楽しげに目を細めた。


「ホウ、ニンゲンモ惰弱ナ者バカリデモナイヨウダナ。ヨイ見物ダッタゾ」


 赤子が瀕死の獲物をいたぶるようにユーヴとの距離を詰める。


 跪いたまま俯いているユーヴに、大きな影が被さった。


「ダガ、コレデ終ワリダ。オ前ヲ殺シテ、他ノ成体モ叩キ潰シテヤル」


 赤子がユーヴを包み込んでしまいそうなほどに大きい掌を掲げた。


「君、まさか僕に勝つつもりでいたのかい? 万に一つも君が生き延びる可能性なんてないんだよ。このユーヴェ・フォン・シュリーフェンを怒らせてはね」


「ナンダト?」


 詩人はすでに口で語る言葉は尽きている。残りは、彼の万年筆で語るだけだった。


「超波動の詩。形式、一四行詩(ソネット・シーケンス)だ」


 ユーヴに握られた万年筆の先端から、幾筋もの衝撃波が迸る。


 それらは単発で終わらずに、連射することで赤子の巨体の表皮を着実に削っていった。一発では倒れずとも、無数の攻撃を積み重ねられ、赤子の全身に穴が穿たれる。弾け飛ぶ青色の粒子が霧のように一帯に舞った。


 衝撃波が止んだとき、赤子は硬質の肌に蜘蛛の巣のような亀裂を走らせ、左半身と頭部の半分を失っていた。


 赤子が残った眼でユーヴを見つめ、剥き出しになった眼球にはっきりと畏怖が広がる。


「余ガ、一匹ノニンゲン如キニ敗レルトハ……」


 そう言い残して、赤子が自ら無情な仕打ちを施した子ども達と同じ命運を辿った。崩壊していく喰禍の残骸には目もくれず、ユーヴが踵を返した。


「僕としたことが、意外と手こずってしまった。アグレイ君、キク君、リューシュ君、彼らの援護に行かないと……」


 ユーヴは足を引きずるようにして凄惨な戦場を後にした。


 ユーヴが一歩踏み出すごとに脇腹の傷口から鮮血が噴出したが、傷だらけの詩人はゆっくりと歩を進めていった。

ユーヴ回です。

ここで登場した子どもたちは、キクのはぐれ孤児院に住んでいた子たちです。

完蝕されて喰禍に利用されてしまいました。

でも、最後は楽に逝けたのかもしれません。


ユーヴは便利な能力を持っていて、彼でなければこの場を打破できなかったと思います。

アグレイたちだと子どもたちを無力化できなかったでしょう。

ありがとうユーヴ。フォーエバーユーヴ。

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