第41話 キクの危機とアグレイの本音
アグレイたちは数百体の喰禍を前にして、恐れることも無く立ち向かう。
アグレイとキクが時間稼ぎをしている間に、巨大な文字列を書きあげたユーヴの能力により喰禍を一掃したアグレイたちだった。
「……しかし、驚いたな。これらの点を考慮すると、朝方の喰禍の大攻勢は、ただの陽動だったということか」
「何よ、どういうこと?」
喰禍を殲滅してみんなが集合し、待ち侘びたようなユーヴのもったいぶった言い回しに噛みついたのがキクである。
「つまり喰禍どもは、離れた九カ所の地点から同時に攻めることで、我ら人間の戦力を分散させようとしたのさ。たった今、僕らが全滅させたのが、奴らの本隊だろう。まあ、期せずして敵の主力部隊を叩けたんだ。戦況が僕らの優位に傾いたのは、間違いない」
「へッ、この状況で朗報が聞けるとはな。よし、このままサクラノ公園、敵の本拠地に直行するぞ。まさか、ここまで来て命が惜しいって奴もいないだろう?」
全員が無言で肯定を示すと、アグレイは走り出した。
一行が十字路を抜けようとした途端、空間に不可解な歪みが生じる。
界面活性だった。
百体超の喰禍が出現した際に比べれば及ばないが、かなりの規模である。人間の介入が不可能なほどで、十字路の東側を完全に飲みこんでいる。
その界面活性に捕らわれたのは、一番右端に位置していたキクだった。
一瞬にして、身体の半分を界面活性に絡めとられたキクは、呆然と歪んだ半身を凝視しているだけだ。
界面活性は、犠牲者に痛覚をもたらさない。ただ、恐怖と絶望を餌に、その身を食い潰すのみである。
界面活性はキクを完全に取り込むように、その周囲が集中的にせり出してきた。
「キク!」
反射的に駆け出したアグレイの腕を引き止めるようにユーヴが掴んだ。
「アグレイ君。あれは、もう手遅れだ……」
「俺は強くなって、もう二度と目の前で大切な人を失わないって誓ったんだ!! 放せ、バッカヤロウ!」
強引に縛めを解いてアグレイがキクに縋りつく。左肩から胸にかけてと下半身を界面活性に蹂躙されているキクは身体の自由が利かず、身動きできない様子だ。
アグレイは左手でキクを抱き寄せ、強化した右手で歪曲した空間を払い除けようとするが、強力な界面活性でアグレイまで取り込まれそうになる。
「アグレイ、止めて。あなたも巻き込まれる」
「うるせえ。ここでお前を見捨てたら、今まで何で生きてきたのか分からなくなっちまう」
密着して言葉を交わし合う二人の背後で、リューシュも援護を始めた。界面活性に向けて幾度も射撃を試みているが、矢は水面に打ちこまれるように意味をなさずに消えていく。
「キクは渡しませんわ……!」
ユーヴは、キクのことを諦めさせるか、救助に加わるか判断をつけかねていたが、思い切って万年筆を走らせた。
「えぇい、バカは諦めが悪くて困るよ」
ユーヴとリューシュの攻撃が功を奏し、界面活性はわずかに勢いを減じた。
その隙に乗じてアグレイは右手にありったけの力を込めた。その拳に宿る光彩が一挙に増幅する。
眩い光が界面活性を払拭したと見えた瞬間、高音の爆発が起こってアグレイとキクは宙に投げ出された。
「うわッ」
「きゃあ」
アグレイが地面に倒れ、キクがその上にのしかかった。ぐぅ、とアグレイが肺から呼気を押し出されて呻いた。
下敷きになったアグレイが言う。
「キク、重いからどいてくれ」
「ちょ、女の子をとっ捕まえて重いとは何事よ……」
言いながらキクが脇に移動すると、遅れてアグレイも立ち上がった。キクは、アグレイに焦点を合わせずに言う。
「ありがと。リューも、ありがとう。ユーヴもね」
一様に安堵した表情を浮かべると、アグレイは先を急いだ。リューシュがそれに続く。
「いや、よかったね。さ、僕達も行かねば」
「あんた、私を見捨てようとしていたの聞いたわよ」
「あ、それはだね、僕としては大局を見越してというか……」
キクの意地悪い一言で、ユーヴはいきなり狼狽する。キクは嫌味を口にしただけだったが、ユーヴは意外なほど焦っていた。
それが何を思いついたのか、ユーヴは底意地の悪い喜悦を口辺に浮かべる。
「ということは、アグレイ君の言葉も聞こえていたわけだね。あれだけの大声だ、聞き逃す方が難しいよねえ?」
キクが頬を朱に染めて押し黙った。
ユーヴは初めて年下のキクをやりこめたことに歓喜し、勝ち誇った表情を浮かべて走り出す。
この辺もそれぞれの性格が出ているような気がします。
真っ先にアグレイが助けようとして、ユーヴは無理だと思うと見捨てる選択をしています。
リューシュの行動が少し遅れたのは、理性的には巻き込まれるかもしれないので見捨てるか迷ったのですが、助ける方を選んだようです。