第38話 フリッツの戦い
禍大喰であるアルジーと決着をつけるため、アグレイとキクはサクラノ公園へと向かう。
二人を囲む喰禍の群れに手間取っていると、フリッツが応援に駆け付けた。
フリッツは日頃の感謝の念を語ると、アグレイとキクを先に行かせて喰禍に戦いを挑むのだった。
「大丈夫かな、あの人」
サクラノ公園に続く道をひた走りながらキクが言った。
キクの目にも、フリッツには荷が重い相手だと映ったのである。キクに追いついて並走しているアグレイが、前を見据えたまま力強い声で応じた。
「心配するな。あいつは見た目よりは頼りになる奴だ。危なくなったら逃げるくらいの機転も利くしな」
キクは口に出しては答えず、ただ首を振るだけだった。キクよりもアグレイの方が、フリッツの身を案じているという自明の事実に思い至ったからだった。
大通りは道幅が広く、建物が曇天を鋭角的に切りとっている。
道路と壁面は石造りで、空までもが灰一色の背景には明暗がない。曖昧な色彩に馴染まない二人の影が、路面に直線を描くように突っ切っていく。
両側の建物が途切れて二人は大きな十字路に出た。
広場のような空間の中心部に二人が達したとき、前方と左右に大規模な界面活性が発生した。これまでとは比べものにならない大きさである。
静止して様子を窺うアグレイとキクの行く手を塞ぐように出現したのは、アグレイですら目にしたこともない多数の喰禍であった。
一目では数え切れない。百体以上はいる、という概算がせいぜいであった。
「ここまで来て……」
アグレイが呻く。悔しげに唸る歯が軋み上げた。
大群を構成するのは、ほとんどが岩魔だ。煉鎧の巨体も散見し、一割ほど蟲騎士が混ざっている。さすがに、この二人でも覆せない戦力差であった。
「アグレイ、どうしよ?」
戸惑ったキクが問いかけてくる。
戦うにも一点突破するにも多勢の敵だった。
三方向を囲まれたアグレイは進退極まって、無言で怒涛のような喰禍の壁を待ち受けるだけであった。
甲高い響きとともに、刀身が真っ二つに折れるのをフリッツは見た。
十二体の岩魔に引導を渡し、十三体目に撃墜数を伸ばそうとした矢先、岩魔の棍棒を受け流し損ねた剣が過負荷で半ばから折れたのである。
役立たずとなった剣を牽制にもならないと知りつつ岩魔に投げ、鞘を手にして身構える。人間相手ならば充分な武器となるだろうが、喰禍を前にしては丸腰も同然だ。
一方的な劣勢にあってもフリッツは闘志を失っていなかった。
フリッツの目的は敵の全滅でなく、時間稼ぎだった。この場所に喰禍の足を止めることで、アグレイの後顧の憂いを断ち切る。
フリッツは隙を見せた岩魔に跳びつくと、後ろに回って羽交い絞めにして自由を奪った。
仲間ごとフリッツを破砕しようと集中する棍棒が哀れな岩魔に直撃する直前、フリッツが一人飛び退いて道連れとなることを拒む。
同士討ちで粒子へと帰した岩魔を視界の隅に捉えたとき、フリッツの背は壁に当たっている。
後退を許されないフリッツを包むように、岩魔の群れが展開していく。何としても、フリッツを討ちとる腹積もりらしい。
「まいったな。そこまで重要人物じゃないぜ、俺」
アグレイはどこまで進んだだろうか。
「死ぬ前に、とっておきの話をあいつに聞かせたかったんだがな……」
フリッツが、悪あがきにも似た素振りで剣の鞘を振り上げる。
数体の岩魔が同時に打ってかかり、防御はできない。茶色の瞳が凶器に埋め尽くされたが、非業の死を遂げたのはフリッツではなかった。
高らかな叫びは、フリッツにとって救世主の声だった。
「超波動の詩!」
衝撃波が並んだ岩魔を一掃し、フリッツに叩きつけられるはずだった棍棒が宙を舞う。
突然、戦闘に介入してきた正体不明の敵に動揺した岩魔が声の方を向くと、先の一撃を遥かに凌駕した威力の光条が岩魔達の身を爆砕した。
岩魔も驚いたが、フリッツも驚く。
このときばかりは敵味方を忘れて、岩魔と同調する仕草で声の発信源に目を向けた。そこには、二人の人物が佇立している。
「よくぞ、一人でここまで持ち堪えたものだね」
「ええ。立派ですわ」
ユーヴとリューシュが、緊張感を欠くわりに迫力をまとって戦場に登場した。
「新入り……」
「アグレイ君とキク君は?」
声に出す気力も残っておらず、フリッツは親指で示した。
「あの二人は、わたくし達に任せて下さいな」
幻のように二人は喰禍を滅ぼし、消えていった。フリッツがしばし呆然としていると、警備隊の隊員が数名現れた。
「無事か、フリッツ?」
「ああ」
「俺達、この近くで喰禍と戦闘していたんだが、今しがた新入りに助けられたんだ。あんた、一人で喰禍の増援を防いでくれていたんだな。ありがとう」
深々と頭を下げる隊員達に囲まれて、フリッツはにやけ面を浮かべるだけだった。
フリッツ回終了です。
やる気が無いだけで、フリッツも実はかなり強かったのです。やるじゃん、フリッツ!
お気に入りの人物だけあって、見せ場を作ってしまいました。
フリッツと言えば、いつも「とっておきの話」をしようとして話すことができない持ちネタもあります。
元ネタは『古畑任三郎』の赤い洗面器の話ですね。最後までどんなオチか分からないお話でした。
仕事をサボるわ、みんなからバカにされるわ、ダメな男に見えましたが、やるときはやる男のフリッツでした。ありがとう、フリッツ!