第34話 禍大喰と戦うアグレイの覚悟
完蝕状態のアルジーに殴られ入院中のアグレイ。
ユーヴたちの話では、イフリヤ市に大規模な界面活性が発生して混乱に陥っているという。
だが、リューシュからは侵蝕を治めるための打開策が明かされる。
それは喰禍の親玉である禍大喰を倒すことだという。
残る問題は、その禍大喰がどの喰禍であるか、禍大喰の居場所を特定することだった。
一気に沈静化した熱気を盛り上げるように、ユーヴが高々と宣言する。
「心配は無用だ。僕が禍大喰らしき者に、目星をつけている! 禍大喰、それは、あの男しか考えられない!」
全く感嘆の叫びが上がらないので、ユーヴが不安になって問う。
「あの、僕の言葉は通じてる?」
「あの男って、誰よ?」
「いや、だから、アグレイ君と僕とリューシュ君をノして、しかもイフリヤに侵蝕を広げた、憎きあの男なんだけれど」
ユーヴが指す人物があのアルジーらしき男だと認識した瞬間、アグレイの血液が急沸騰する。
「ユーヴ! どういうことだ! アルジーが禍大喰だと? お前の話じゃ、その禍大喰とやらは喰禍の親玉なんだろ、何で完蝕されたアルジーが禍大喰になっちまうんだ!?」
予期しなかった怒声、それも怒気でなく鬼気に近いものが含有された迫力に、女性陣は面食らって身を硬直させた。
ユーヴのみが、アグレイの灼熱の感情を正面から受け止めていた。
焦点が発火しそうなほどの高熱を秘めた琥珀の瞳に身を貫かれても、ユーヴは動じるどころか冷厳さをもって応じる。薄い仮面の向こうで、本来の彼が片鱗を覗かせていた。
「アルジー? それが誰のことかは知らないが、僕の推論に間違いは無いと思うがね。確かに彼は元々人間だが、完蝕された以上は喰禍と同列の存在だ。
禍大喰に足る力量を有していれば、他の喰禍から禍大喰の座を奪うこともできる。僕達が敵わなかった彼の強さは、充分その域に達している」
アグレイは反論できずに黙って講釈を聞いているだけだ。ユーヴは続ける。
「さらに、彼は界面活性を自在に操っていた。普通の喰禍でも界面活性は起こせるが、それは集団によって引き起こした空間移動するためのものだ。彼は単体で、空間自体を侵蝕するほど強力な界面活性を操作している。あの男が禍大喰でないことの方が、僕には考えられない」
その知識には疑いの余地がないユーヴに断言され、感情に塗り潰されていたアグレイの内面に理性の色が上塗りされる。
「……そうか、分かった。少し、興奮しちまった。悪いな」
ばつが悪そうに頭を掻きながらアグレイが言う。弛緩した空気のなかで、アグレイが一同の顔を見渡し言葉を繋げた。
「俺からも、話したいことがある。俺の昔のことなんだが……」
常の雰囲気をとり戻したユーヴが、わざとらしく口に手を当てる。
「おほん! 聞いているかね、医師。おほん、おほん!」
「はいはい、聞こえとるよ」
医務室の端で息を潜めていた医師が退室する音が響く。ユーヴが気を利かせると、アグレイは目礼して口を開いた。
「俺には、ばぁば以外にも家族がいた。俺が子どもの頃に、みんな界面活性に飲まれちまったがな……」
アグレイはあの日、サクラノ公園で起こった出来事を語った。
キクは一度ばぁばから聞かされていたものの、本人の独白だけあってより詳細な情報も加わっていた。当時の公園の情景や兄弟のはしゃぎようなど。
そして、アグレイは自身が家族を見捨てて逃げたことも正直に吐露していた。
「……俺が失った家族の一人、弟のアルジーがあの男に違いねえ」
アグレイが語り終えたとき、リューシュがさめざめと泣いていた。潤んで赤くなった瞳をアグレイに向ける。
「アグレイ、辛いことがあったのですわね」
「ああ、俺がな。リューじゃない。あんたが泣く必要はないんだぞ」
「ええ。そうですね。あなたは自分の弱さを曝け出せる、強い人ですわ」
リューシュが黙ると、アグレイは隣のキクを見た。
「キク、どう思った? 俺が家族を見捨てるような男だと知ってよ」
そのことは前から知っており、今のキクには確固たる結論が用意されている。
「アグレイは何も悪くないわ。もし、あんたを悪しざまに罵る奴がいたら、私がこの脚で叩き斬ってやるわよ」
「そうか……。ありがとよ」
アグレイは安堵したように目を閉じた。
ユーヴはどう思ったのか、その心情を測ることはできず、現実的な問いが放たれた。
「アグレイ君、なぜ彼がその弟さんだと分かるんだい?」
「身体的な特徴が合っていて昔の面影があった。見間違えるはずはない。俺が名前を呼ぶと『なぜ、その言葉を知っている』と。自分の名前だということは、覚えていないみたいだったが」
「そうか。それならば、蓋然性は非常に高いようだな」
それだけ言うと、ユーヴも口を開く気配を見せなくなった。
無言のまま全員がこの事態を吟味している。
手を打たなければ、イフリヤは滅ぶしかない。唯一の策は、禍大喰を倒すことである。
同時に、それはアグレイの弟を殺さねばならないことを意味している。
その実力を備えるのはイフリヤにおいて、医務室の仕切りに囲まれた狭い密室に集まる、この四人しか存在しなかった。
言葉にすれば単純だが、割り切るにはどれほど複雑な思考を辿ればよいのか。その答えは、一つしかないというのに。
アグレイが口を開く。
「禍大喰は斃さなきゃならねえ。だから、頼む。俺にやらせてくれ」
ちょうど、頃合いを見計らった医師が戻ってきた。
そのおかげで三人は、悲痛な意志に対する返答をせずに済んだ。手短に別れを告げて、ユーヴとリューシュは医務室を去る。
「兄弟の因果というものか」
暗くなった廊下を歩きながら、ユーヴが誰にともなく呟いた。
「運命という脚本家は、とかく俳優に悲劇を演じさせたがるものだが……」
「まあ、誰の言葉ですの?」
「僕のさ」
リューシュは、やはり底知れない微笑を浮かべるだけだった。
「ですが、こんな言葉もありますわ。『時は去る。まさに、愛しき貴女のように時は去る。だが待てよ、時だろうか。いや、進む我ら人間にこそ、運命はある』と。
運命はあらかじめ準備されているものではありません。わたくし達の実践にこそ、運命は含まれるのですわ。そうだとしたら、運命とやらを最善に導くことが、わたくし達の役割ではございませんこと?」
リューシュの声はユーヴの胸を吹き渡り、下らない感傷を払拭したようだ。
「そうだ。その通り。僕の役目は、己の過去を話してくれたアグレイ君の信頼に応えることだな。彼の道に障害物があれば排除する、それが僕の使命か」
「いえ……、わたくし達の、です」
ユーヴは首肯する。同一の目的を共有した二人は、並んで廊下を歩いていった。
知識人のおかげパート2。
この二人がいないとアグレイは詰んでいましたね。
そして禍大喰はアルジーでした。話の展開的には、そうだろ、という感じでしたでしょうか。
意外性は無かったかもしれません。
どうしてアルジーが禍大喰になったんだ、という質問はNGでお願いします。
強ければ偉い、どこかの海軍と同じシステムなんです、喰禍は。