表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
侵蝕の解放者  作者: 小語
26/51

第26話 三人の仲間(居候)

キクは公園で出会った女性、リューシュをアグレイの家に連れ帰る。

天真爛漫なリューシュの言動に面喰いながらも、ばぁばの許しを得てリューシュは居候となることになった。

ユーヴの意見では、リューシュは貴族出身ではないかということだった。


「キクが帰ってないだと?」


 帰宅して早々、アグレイは声を荒げる。まだ居座っているユーヴを睨み、視界に欠けた姿をばぁばに尋ねた後のことだった。


「ばぁば! 何でキクを買い物に行かせたんだ。万が一のことがあったら、どうすんだよ」


「あの娘も子どもじゃないんだよ。慣れないから迷っているだけじゃないかい」


「よくそんな安心していられるな。キクの身に大事があったら、俺は……!」


「何なの?」


 続けて問われた声は、アグレイの背後からだった。慌てて振り向いたアグレイの視界に、戸口で佇むキクが映る。


「なッ! 帰ってたのかよ、キク。それなら声くらいかけやがれ」


「かけたじゃない。あんたが聞こえなかっただけでしょ」


 キクはその話題に拘泥せず居間に入った。


 アグレイは若干の肩すかしを食った気がしたが、キクの後背に新たな人物が現れると、さすがに息を飲んだ。


「おい、キク。その後ろの奴は誰だ?」


 キクが伴っている女性を目で示して、アグレイは混乱の衣を纏った声を押し出す。


 それまで読書に埋没していただけのユーヴも、ようやく異変を察して謎の女性に視線を送る。困惑よりも先に、女性の美貌に感嘆の唸りを漏らした。


「この人はリューシュさんといって、旅をしていてイフリヤに立ち寄ったそうなの。今晩泊まる宿もないらしくて、ここに案内したんだけど……」


「わたくし、リューシュといいます。実は宿泊できる場所を探しておりまして、キクの言葉に甘えて伺いましたの。お邪魔でなければ、一宿をお願いしたいのですわ」


 アグレイは黙り込んだ。


 はぐれ孤児院を営んでいたキクが、困っている人間を放置できないのは承知していたが、まさか他人を家に連れこむとは。


 そして、リューシュの素性にもすぐに見当がついた。フリッツの言葉が脳裡をよぎる。美人で世間知らずそうな女の入境者。


 こいつだ。


「キクまで大きな拾いものをしてくるとはねえ」


「居候の分際で出過ぎたまねだと分かっています。でも、ばぁば、リューを野外や統轄府に一人で置いておけないんです。お願いです、彼女を泊めてあげて下さい。もし、三人も居候を賄いきれないんだったら、出ていきます。……彼が」


「えぇッ?」


 キクに指差されたユーヴが驚倒して身を仰け反らせる。


 元々お前は一晩で出ていく約束だったろうが、とアグレイは内心で呟いた。


 キクがお節介であることは理解している。そして、それは決して彼女の短所ではなかった。アグレイが口を開くと静かな語気が流れる。


「どうすんだよ、ばぁば」


「うーん、まいったね」


「迷惑でしたら、ご遠慮なく言って下さいな」


 笑顔を絶やさないままのリューシュは、拒絶の返答を受けても表情を変えずに立ち去りそうだった。


 慌ててキクがさらに言い募ろうとしたとき、ばぁばが掌で機先を制する。


「まあ、待ちなさい。若い子は気が短くていけないね、誰も駄目とは言ってないよ。人数が増えたから、おかずを一品増やさないとね。その品を何にするか悩んでたのさ」


「じゃあ?」


「孫が増えるのは、老体を持て余す私は歓迎だけどね。あんたは、アグレイ?」


「俺は、ばぁばがよけりゃあ、それでいい」


 家人の了承をえて、リューシュは歓喜の花を満面に咲かせた。


「今日は何て素晴らしい日なのかしら! お友達だけでなく、こんなに素敵な家庭に出会えるなんて、夢のよう!」


 公園でそうしたように、リューシュは両手を広げて感情の赴くまま、全身で喜びを表現した。


 場所が広大な花畑ならこの可憐な女性に相応しい振る舞いだろうが、ここは空間の限られた室内である。


 振り回したリューシュの手がアグレイの横顔を襲った。


「うわ!?」


 相手が無邪気なだけに予測できなかった一撃を、アグレイは反射的に避けた。安全を確保するためユーヴのいる壁際まで後退する。


 リューシュはそのままの勢いで椅子と食卓に自ら激突し、立て続けに鈍い音を響かせた。動揺したキクとばぁばを意に介さず、リューシュは回り続ける。


「アグレイ君、あのリューシュ君という女性は、もしかしたら貴族の出身かもしれない」


 そう言ったユーヴが意外に真剣だったので、アグレイも声を低めて問い返した。


「確かに上品な顔しているがな。何で分かるんだよ?」


「彼女、君や家具に気を払わなかったろう? 貴族の邸宅は、こんな貧相な家と違って格段に広いからね、何かにぶつかる心配なんてないんだ。こんな狭い部屋に慣れていないのが、その証拠であるからして……、って、あれ?」


 ユーヴは、振りかざされたアグレイの拳が落下してくるのを、なすすべなく見ていた。





 アグレイ宅の食卓の様相は一変している。


 アグレイとばぁば二人だけのときは、両者が向かい合って座ったが、新たな顔が増えたことで席替えが行われた。


 アグレイとユーヴが隣り合い、キクとリューシュが対面に座る。キクがアグレイの正面だった。その二組の横顔を、ばぁばが見通すことになる。


 生来、口が達者でないアグレイを相手にしていたせいで発揮されなかったばぁばの口数は、客の数と比例して増していた。


「……それでね、アグレイは私が添い寝しないと寂しいって泣くんだよ」


「ばぁば、いつまで昔の話をしてんだよ。これだから年寄りは……」


「へー、意外ねー。アグレイって寂しがり屋だったの?」


「ま、僕は気づいていたよ。アグレイ君は、そういう子だってね」


「恥じることはありませんわ。わたくしも召使に添い寝してもらいましたもの。ですが、さすがに十歳までは……」


「ち、好き放題抜かしやがって。居候どもめ」


 防戦一方のアグレイは不機嫌に口腔を動かしていた。喋るためよりは、咀嚼に重点を置いて。


「アグレイにも、可愛い頃があったのね。そのまま育てば、もっといい子になったのに」


「お前にどうこう言われる筋合いはねえぞ、キク!」


「本当のことでしょ! 文句でもあんのッ?」


「お前こそ、もっと静かにしてりゃ可愛げの一つもあんだろうがな!」


 机を揺らして立ちあがり、物怖じせずに視線を交差させ、不可視の火花を散らした両者は、横合いからばぁばに諌められる。


「二人とも痴話喧嘩は止しなよ」


「ちッ」


「ふん」


 アグレイとキクは同時に腰を下ろした。


 腹立ち紛れにアグレイは、横に座る男の頭に拳骨を叩き込む。


「痛ッ! アグレイ君、僕のが年上なのだぞ。理由もなく殴るのは不条理でないかい?」


「うるせえ。お前は一晩だけのはずだったのに、今日もいるじゃねえか。その代金だ」


「キク君! 君のせいで……」


「うっさい!」


 十歳は年少の相手に一喝され、ユーヴは肩を落として黙り込んだ。


「本当に、これだけ楽しい食事は初めてですわ」


「まあ、気に入ってくれて助かったよ」


 超然とした女性の声に、老獪な女性のそれが返された。


 キクの本来の姿が露出してきたことをばぁばは感じとっている。表面的に立ち直っただけでなく、その内面において生じた傷口に癒しの縫合がされたようだった。


 アグレイは食後にお茶を飲むという習慣を持たなかったが、キクが来てからは、ばぁばとキクの茶飲み話を傍らで聞きながら、自身もお茶で喉を潤すのが日課となった。


 今もそれぞれの前に湯気の立つ陶器が並べられている。


「それにしても五人もいるとなると、さすがにアグレイの稼ぎでも家計が苦しいんじゃないかい。そこはどう考えているのさ」


「む……」


 アグレイは危険な職務に見合った高給を食んでいるが、自分とさらに四人の大人を養うには心許ない。


「何だ、アグレイ君の稼ぎもたいしたことないな」


「んだと! イフリヤじゃ上等な方だぞ」


 自慢ではあったが、それは事実でもある。


 侵蝕によって産業や経済が停滞したイフリヤでは、扶養家族を支えるというだけでも、相当な苦労なのだ。


 その点、七人の子どもを養っていたキクの苦労が並大抵ではないことを、アグレイも知っていた。


「とにかくな、お前らを家に置くのは許しても、自分で食い扶持くらいは稼いでもらうぜ」


「分かった。詩集を出すために早速明日から創作活動に……」


「そんな余裕はねえ! リューは仕事の当てはあるのか?」


「仕事ってあれですの? 召使がお茶を用意したり、着替えの用意をしたり。わたくし経験がありませんわ」


「それ以外の仕事を知らねえのか?」


 つまり、アグレイ宅は生活的無能力者を二人抱え込んだわけであった。


「まあ、もういいか。というか仕方がない。統轄府なら俺が頼めば二人くらいは何とかなるはずだ」


「働くなら、私は慣れているけど」


「キクはいいんだ。ばぁばの家事を手伝ってやってくれ」


 それに反論したのはばぁばである。


「私は大丈夫だよ。それに若い娘を家に閉じ込めとくもんじゃないよ、アグレイ」


 かくして、アグレイは翌日、三人を引きつれて統轄府の門をくぐることになった。

リューシュは天然でキクとは反対の性格ですが、二人は良い友人になる関係です。

アグレイとキク、ユーヴとリューシュのペアで行動することが多くなります。


トリックスターのユーヴは仲間のサンドバック役。だいたいイラついたアグレイに殴られ、キクにはバカにされる役回りですが、リューシュはユーヴに一定の敬意を払います。

リューシュはお客様のようにアグレイとキクから丁重に扱われる関係で、ユーヴもリューシュに一目置いておいています。

ユーヴとリューシュの知識人であり大人コンビは、年少のアグレイとキクを導く存在です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ