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侵蝕の解放者  作者: 小語
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第24話 詩人の奥行き

キクが元気になり、悩みの無くなったアグレイはフリッツと酒を飲む。

そこでフリッツから、イフリヤに入境した二人の人物について聞かされた。

その後、アグレイは帰り道で不審な人物を見つける。

自称詩人のユーヴと名乗る男を仕方なく自宅に連れて行くのだった。

 口先だけで応じたユーヴを従え、アグレイが居間に入ると、当然ながら二対の視線が奇異を乗せて注がれた。


「あ、あのな、ばぁば。こいつなんだが、泊まる場所がないらしくてよ、今日だけ泊まらせてやってくれないか。いや、くれませんか」


「まあ、この家は部屋が多いから困らないけど。あんたも犬や猫のように人間を拾ってくるねえ。ただ、夕飯を三人分しか用意していないから少し足りないかもしれないよ」


 アグレイが怯えながら切り出すと、それは意外に淡白な反応で報いられた。


 拍子抜けするほど簡単に許諾され、アグレイの方が驚いたくらいだった。


 キクは黙って様子を見ている。自分が居候だけに、口を出す立場ではないと分かっていたのだろう。


「いや、すまないね。僕はユーヴェ・フォン・シュリーフェン。ユーヴと呼んで下さって結構だ。屋根をともにさせて頂くにあたり、これからよろしくお願いする」


「『これから』、だと?」


 さりげない言葉を聞き咎めたアグレイが口中で呟く。


 だが、一同の場はすでに食卓にあった。着席したアグレイの前に、いつもより少ない食事が並ぶ。勿論、彼だけでなくばぁばとキクの量も減っている。


 やはり浅慮だったか、とアグレイは後悔した。


「ところで、ユーヴはあんたの部屋に寝かせるんだろ」


 そうばぁばが放ったのは、食事が終わりに近づいたときだった。


「え? 俺の部屋は……駄目だ」


 アグレイの返答は狭量や嫌味を表すものではない。まさか夜毎うなされる姿をユーヴなんぞの目に晒すわけにはいかなかったのだ。


 ばぁばは異なる受けとり方をしたようだ。弟の寝台を使わせたくないのだろうと誤解し、反論は柔らかいものとなる。


「だけど、それじゃ、どうするのさ」


「僕はキク君と一緒でも構いませんがね」


 その言葉はただの冗談だったが、ユーヴが笑顔を向けた先で『キクお姉ちゃんの怖い顔』と出会うと、ぎこちなく目を逸らした。


「私の部屋も隣は空いているけどね」


「いえ、ばぁば。恐縮ですが結構で……」


 ユーヴが両手を胸の高さに上げて謝絶する。


「うむ……」


 視線を巡らせたユーヴが居間の一角に焦点を留めた。


 廊下に続く扉がある壁と反対の壁には窓があり、近くには本棚が置かれている。アグレイの母、ソフィーが愛用していた料理本などが埃を被っていた。


「僕はあそこの床で寝ることにしよう。敷布一枚借りれば充分だ」


 それまでの厚顔さが消え失せ、落ち着いた表情でユーヴが妥協した。アグレイとキクが意外さを隠しきれずに男の横顔を凝視する。


 そう思っていると、再び厚顔の仮面をつけたユーヴがアグレイを振り向いた。


「あ、僕は食後に紅茶を飲む主義だから、よろしく」





 翌朝、四人で朝食を済ませてアグレイが出勤し、ユーヴが本棚の前の寝床に横たわるのを尻目に、キクは日課となった掃除と洗濯に勤しんでいた。


「ちょっと、邪魔」


「むぅ……」


 邪険に箒で押しやられ、敷布団を被って逃げるユーヴが論駁する。


「一応言っておくがね……、僕は君より十は年上なんだよ」


「だから何? 年上として敬われたいなら、それらしく振る舞うのが当然でしょ」


 年長者の威厳に欠けること甚だしい自称詩人の男は、完璧に言い負かされる。キクが離れると居場所に戻り、本棚の一冊をとり出して読み始めた。


 出会って一日も経たない間に、キクは内心でユーヴとの上下関係を確立させた。無論、あの男が下である。


 ばぁばは積極的に家事を手伝おうともしない居候に対して、案外に寛容だった。ユーヴを喋る愛玩動物程度に認識しているようだ。


 昼を過ぎてしばらくすると、ばぁばがキクに声をかけた。


「キク、悪いけど買い物に行ってくれないかい?」


「私が、ですか?」


 これまでは買い物はばぁばの役目であった。なぜこの日に限ってと訝るキクだったが、購入する食材を教えられ、金銭を渡されると部屋を出ていった。


 二人きりになって端然とばぁばが茶を飲んでいる。寝転んで本を読んでいただけのユーヴが唐突に口を開いた。


「ばぁば、この本の持ち主は必死に料理を勉強したらしい。本の端が擦り切れているし、血がこびりついている。包丁で指でも切ったかな」


 ユーヴが手にしているのは料理本の一冊だった。


「そうさ。いい娘だったけどソフィーは料理が下手でね。嫁入ってから猛勉強したのさ。不器用でよく指を切って、手が包帯だらけになっていたっけ。懐かしいねえ」


「その愛情でアグレイ君は養われたか。僕のような素性の知れぬ者を拾ってくれたのも、そのせいかもしれないな。感謝しなければならないね。それにしても……」


 ユーヴは一度言葉を切る。


「『同情は親切心を生むが、我々は憐れみを持たずに親切であることはできないのだろうか?』というのは先人の問いだけれど。うむ、アグレイ君は……」


 ばぁばはユーヴの人間性を計りたいと思い、キクを買い物にやったのだった。


 キクと異なり一目でその底を見通せない存在だったが、信用に足る人物だと短いやりとりで確認した。


 ばぁばはその後、黙って茶を飲むだけだった。ユーヴも動かずに寝転んでいる。

ユーヴが表面上の軽薄な人物ではないことが分かるエピソードでした。

こういうときばばぁは役に立ちますね。

縁の下の力持ちです、ばばぁの奴は。


ユーヴが『同情心は~』みたいに言っているのは、古代ローマの政治家であるキケローの言葉をもじったものです。

私の好きな言葉でもあります。

ユーヴはボケの振りをしつつ相手を見定めるしたたかさを持っていますね。

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