第22話 立ち直ったキク
喰禍に攻撃されて意識朦朧となったアグレイをフリッツが自宅に連れ帰る。
アグレイを休ませたキクとばぁばが対話する。
ばぁばはアグレイの過去を語り、アグレイは自分と同じ大切な存在を失った経験があるとキクは知る。
アグレイに心配をかけないよう、キクは立ち直ろうとするのだった。
「う……、痛え」
アグレイは身体が発する痛覚によって睡眠から覚めた。
最後の記憶では喰禍と戦闘しているはずだったが、なぜか自宅で寝ている。途絶した記憶を逆再生しながら居間に行くと、洗濯物を抱えたキクと目が合った。
「おはよう」
「お、おう」
何気ない挨拶だったが、それがやけにアグレイの心に残った。
洗面所で顔を洗い多少は明瞭になった思考が、今日のキクが先日までのキクと差異を有していることを告げる。
だが、心当たりの無いアグレイは首を捻るだけだった。
何だか知らないが、いつの間にか距離を縮めているばぁばとキクと一緒に食卓を囲む。
「フリッツさんが連絡をくれて、戦闘で負傷したから今日は非番になったらしいけど」
キクの伝言を聞いて、アグレイは相棒の真意に気づいた。
前日の戦闘で不覚にも負傷したアグレイに乗じて休暇をえたのだ。
フリッツらしいが、アグレイも満足な体調ではない。フリッツの怠慢に甘えようという気分になっていた。
「ちッ、フリッツめ、俺を口実に使って休暇をとったのか。……ま、休みになったものは仕方がない。今日だけは休んでやる」
そうは言ってもアグレイにすることはない。
家事は女性陣に任せきりだし、外出して遊び歩くことに興味はない。
「することがないんだったら、出かけてきたら? 男ほど家にいて邪魔な生き物はいないんだよ」
「そんなこと言ったって、どこに行きゃいいんだよ」
「暇潰しの場所くらい自分で考えなよ」
「昼間から男が一人で出歩くとこなんてないぜ」
「だったら……」
キクが発した声に二人は振り向いた。
「レビンのいる孤児院に案内して欲しいんだけど」
ここに居住してから一切キクは外出していない。それが積極的に出ようとするのだから、ばぁばはそれを奨励した。
それから間もなくして、アグレイとキクは肩を並べてコバト院に向かう道を歩いていた。目的地が統括府に近いこともあり、アグレイが通勤に使う道筋でもある。
女性を連れる姿に顔見知りの商店主が好奇の視線を投げるのが恥ずかしく、アグレイは俯いて歩を進めていたが、彼なりに気を使ったのか開き直ったように口を開く。
「もうすぐ着くぞ。コバト院は設備も整っているし、レビンも不自由はしていないだろう」
「そうだといいけど」
「会っていないのは数日だが、キクの顔を見たらレビンは相当喜ぶな」
「あなたの顔を見ても喜ぶと思うわよ」
アグレイは、キクの声にこれまでの重苦しさが消えているのに気づいていた。
何を契機としたのか知らないが、いい傾向なのだから気に留めることもない。単純な男はそう結論した。
やがて二人はコバト院の玄関を潜っていた。
外部の装飾は地味でも、その内部は清潔で職員も洗練されている。三階建ての建物に足を踏み入れ、受付に用件を告げる。レビンの割り当てられた居室は二階だが、現在は一階の遊戯室にいるようだ。
レビンは早くも友人に恵まれたらしく、子どもで作られた円のなかにその姿があった。扉の外で様子を窺うキクを見つけると、疾風と化してその腰に縋りつく。
「キクお姉ちゃん! 久しぶり、元気にしてた?」
「レビンったら。もう」
照れながらも笑みを隠せないキクがレビンの頭に掌を乗せた。
場所を変えてコバト院の庭に出る。広い庭園には刈り込まれた緑と遊歩道が設けられており、そこに三人の影を滑らせている。
「レビンが元気そうで何よりだわ」
「うん。ここもまあまあだよ。キクお姉ちゃんの孤児院の方が楽しかったけど」
「友達はできた?」
「まあ、少しはね」
「あなたが寂しい思いをしてなければ、私も安心よ」
「うーん……。寂しいと言えば寂しいよ。キクお姉ちゃんの顔を毎日見れないんだからさ」
アグレイであれば歯が浮くような言葉を平気でレビンは口にする。
これが幼さかと思うが、レビンの性格と配慮のようなものだろう。本心を屈託なく述べることでキクを喜ばせようとしており、事実キクは喜色を浮かべた。
「レビン、我慢してちょうだい。できるだけ会いに来るから。ね?」
アグレイは二人の会話に立ち入らず、短い提案を発した。
「昼飯は外で食べたらどうだ? レビンを連れていけるように、許可をとってくるからよ」
それから適当に見繕った定食屋で談笑しながら昼食を済まし、別れの時間を迎えた。
レビンを孤児院に送って、別れを惜しむキクがそれでも背を見せる。俊敏にレビンはアグレイの袖を掴んだ。
「キクお姉ちゃん、元気になってたね。さすがアグレイ。男の約束を守ったんだ」
「いや、まあ、そうみたいだな」
実際はばぁばが貢献したことでアグレイは関与していないのだが、アグレイはその人生がキクの立ち直りに役立ったと言える。問題は本人がそれを知らないことだった。
「キクお姉ちゃんをアグレイに任せてよかったよ。これからもお姉ちゃんをよろしくね」
「あ、ああ。……任せとけ!」
「ちょっと、二人で何の話をしてんのよ?」
キクが振り向き、疑問の声を上げた。
「内緒!」
そう叫んでレビンは孤児院のなかに消えていった。
首を曲げた少年の瞳に、内緒話の内容を詰問するキクと、困惑して頭に手をやるアグレイが並んで遠ざかっていく姿が映し出されていた。
ここで前半が終わりです。
暗くて動きの少ない話でしたが、ヒロイン的立ち位置のキクの描写として必要でした。
ここからは再び仲間が増えていき、読みやすい展開になると思います。
自称詩人と旅する貴族という胡散臭い仲間たちにご期待ください。