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侵蝕の解放者  作者: 小語
20/51

第20話 悩むアグレイ、一瞬の不覚

落ち込むキクを自宅に連れてきたアグレイだったが、これまでと違うキクの様子に悩むことになる。

キクを元気づけようとする意気込みだけが空回りしてしまい、アグレイは戸惑っていた。

ばぁばにも怒られて不満の募る日々を送るアグレイは、仕事中に再びフリッツに相談していた。

 フリッツは相手の心の機微を感じとることについてはわずかの自信があったが、そんな彼でなくとも、その日のアグレイが非常に機嫌を損ねていたことは察しがついただろう。


 二人は昼休みをある公園で過ごしていた。


 観光の名所であったサクラノ公園と比較するのも憚れる些細な敷地で、遊具など一つも置かれていない。


 公園というか一見すればただの広場だが、手入れもされず朽ち果てた数台の長椅子と、中央に配置されたささやかな噴水が区別の材料に貢献している。噴水は水を天に突き上げるという役目を忘れ、無個性な彫像と化していた。


 ここは、アグレイとフリッツが幼少の頃に出会った思い出深い公園でもある。


 噴水の縁に二人は座っている。二人の膝には露店で買った安物の弁当が居心地よさそうに鎮座していた。


 伝令用の鳩も籠のなかに投げ入れられたパンの欠片をついばんでいる。


「フリッツ、ちょっと聞いてくれよ……」


 そうして、アグレイの心情の吐露は始まった。話は、その日の朝に遡る。


「よう、キク」


 意図的に明るくアグレイは朝の挨拶を放った。


「おはよう……」


 キクは両手に洗濯物を抱えて、目線を合わさずに返答する。


 キクの声音は、はぐれ孤児院を切り盛りしていたときと異なり、活力を欠いてアグレイまで届かずに消え入りそうな儚さだ。


 アグレイはキクを励ます言葉を選ぶのに苦労していたが、拙い散文的な文章しか思いつかないので意を決すると、単語の並びより熱意で語りかけることにした。


「キク、少しは元気出せよ。レビンも孤児院に入れたことだし、まだ気がかりなことが残っているわけじゃないだろ」


「そうだけど」


「お前が元気な姿に戻らないと、レビンだって悲しむだろうよ」


 どうやら熱意が逆に作用したようで、キクは色を失って洗濯物を床に落とした。


 相手を傷つけたことを自覚したアグレイも動転し、だが何でそこまでキクが傷ついたのか理由は分からず、すぐに謝罪と慰めを口にすることができない。


「何やってんの、アグレイ!」


 アグレイがその身を竦めたのは怒声のせいではなく、後頭部に受けた衝撃のせいだった。その頭から、パカンと、まるで空気しか詰まっていないような軽い音が鳴らされる。


「痛ッ。何すんだよ、ばぁば?」


「それはこっちが聞きたいよ。いたずらに女を悲しませるものじゃないのにさ」


「そんなつもりはねえよ。ちょっとキクを元気づけようとしただけだ」


「それで、このありさまってわけかい? だから、あんたは朴念仁なんだよ」


 必死の抗弁も空を切るだけで、アグレイは押し黙った。


「ほら、言うことがないなら仕事に行っといで」


 今朝、そうしてばぁばに叩き出されたのだと、アグレイは不平を鳴らしていたのだった。


 フリッツの見方では、アグレイの粗雑な言動に原因があるように思えてならないのだが。


「俺はレビンと約束したんだ。キクを勇気づけるって。でも、その方法が分からねえ」


「お前の気持ちは分かったがよ、肝心なのは彼女の気持ちさ。心の整理がついていないところを横槍入れられたら、かえって迷惑なだけだぜ。たとえお前が励ましのつもりでもな」


「そんなもんかよ」


「そのキクって娘が立ち直るには、時間が必要だろうよ。もしくは、何かのきっかけかな。どちらにしろ、お前が焦ってどうにかなる問題でもない」


「時間か、きっかけ? じゃあ、俺は何をすりゃいいんだよ」


 物分かりの悪い教え子を見るような目で、フリッツは隣に座る精悍な男の面を捉えた。


「無理にどうこうしようと思わないこった」


 その消極的な提案を承服しがたいアグレイは、憤りを内包させた瞳に相棒を映した。


 それは、現状を打開する能力を有しない己に端を発していた。


 アグレイは、肉体的にも精神的にも強さを手に入れていた。それはフリッツの見ていた努力と、誰も見ていなかった陰でのそれとの土台に築き上げられたものだ。


 だが、とフリッツは思わずにいられない。


 アグレイは、『強さ』というものが万能であると信じこんでいる。筋力や意志の強靭さだけでは克服できない問題や、アグレイの強さを持たない他者にとってそれが刃と化すことを、この男は知らんのだ。


 強さを強要されることが、ときには暴力へと変ずることも、アグレイの視野の外にあるのだろう。


「俺は、レビンとの約束を……!」


「それは聞いた。お前にできるのは待つことだ。役割が回ってきたときに頑張ればいい」


 フリッツがそれで話題を締めくくり、昼食を終えて巡回に戻る。


 まだアグレイは不服そうな表情を貼りつけているが、特に反論も思いつかないのか黙り込んだままだった。


 今日も二人は危険区域に指定されている北部地区を見回っている。


 はぐれ孤児院が侵蝕されて以降は目立った界面活性も発生せず小康状態だったが、この日は例外であった。


 統括府に帰ろうとしたアグレイとフリッツの前に、いきなり界面活性が出現した。小規模ながら喰禍が空間の波紋からその姿を顕現させる。


「夕飯前の軽い運動だ。喰禍ども、相手してやる!」


「大丈夫かよ、アグレイ……。今回は岩魔だけじゃないぞ?」


「だからって応援を呼んでる余裕はないだろうよ」


 フリッツが危惧するのは、警備隊にも犠牲を生み出している強敵がいるためだった。


 九体の岩魔が円を作るように布陣し、円陣の中央に一体の喰禍が立っている。


 岩魔の倍もある身体は赤銅色の鋼のような体表だ。胴長で脚部が短く、それに反して腕は長い。その腕は球体を幾つも繋ぎ合わせた形状をしており、指まで球状の連係で形成されている。


 半球形の頭部の前方には鋭利な角が生えていた。駆逐型喰禍〈煉鎧(れんが)〉は、警備隊でも恐れられる存在だった。


「フリッツ、煉鎧は俺がやる。お前は援護するだけでいい」


「だけど、ちょっと面倒だぜ、あいつ」


 フリッツは覚悟を決めて、剣尖を喰禍の群れに向けた。


 煉鎧が腕を一振りすると周囲の岩魔が前進を開始する。


「来やがれッ!」


 アグレイが右手を目前に掲げた途端、波動が弾け青白い燐光がその手に宿る。


 青い残像が帯となって最前列の岩魔に届いたとき、破砕音が響いて一挙に三体の岩魔が吹き飛ばされた。


 空中に身を置きながら塵へと帰る岩魔を尻目に、アグレイはさらに突進する。


 その無防備なアグレイの背に棍棒を叩きつけようとした岩魔が両手を振りかぶった。


 その棍棒を振り下ろすかに見えたが、ふと腕に線が走って滑り落ち、自らの頭に鈍器を打ちつけた。

岩魔の身体が四散し、背後にいたフリッツが岩魔の腕を切断した剣を構え直す。


「はい、残念」


 煉鎧が粒子となって死にゆく同胞を蹴散らし、強敵と認識したアグレイに肉迫する。


「仲間がいなくて心細いかよ」


 挑発に乗ったわけではないだろうが、煉鎧が右手の一撃を放ってきた。


 鉄の硬度を有するそれは、直撃すれば骨折どころか死にも繋がりかねない。アグレイは恐怖を感じないかのような冷静さで拳を頭上にやり過ごす。


 いつもならば避けざまに相手の懐に踏みこむところだが、間合いが広すぎるため簡単には実行できなかった。何より返しの左が速く、横殴りの打撃からアグレイは遠ざかった。


 退いた敵を追って煉鎧が前進する。それがアグレイの誘いだった。


 煉鎧が踏み出すと同時にアグレイも地を蹴る。煉鎧が両手を組み、一つの巨鎚と化した拳がアグレイに振り下ろされた。


 アグレイの身体がその下に隠れたと見えたときには路面を粉砕し、土塊を噴き上げた強烈な一撃だった。


 だが、アグレイは身を屈めつつ疾駆し煉鎧の拳をすり抜け、伸ばされた両腕の間から顔を覗かせる。


 疾走の勢いを乗せたアグレイの右拳を胸板に叩き込まれ、煉鎧は地面に背中を打ちつけた。そのまま石造りの表面を削りながら滑走、慣性が止まるとゆっくり立ち上がる。


 岩魔のような雑魚とは違い、一発で倒すことはできない相手だ。


 アグレイは自ら敵の射程内に踏み入る。煉鎧は衰えを感じさせず矢継ぎ早に拳を繰り出すが、拳はアグレイに当たらない。


「おいおい甘いな。もう終わらすぜ。何てったって、夕飯が俺を待ってんだからな」


 自分が放った軽口の夕飯という言葉で、アグレイはある食卓を連想する。卓上には料理が並び、ばぁばとキクが座っている。


 キクの表情は曇っていた。この街の、空のように。


……俺は、あの顔を晴らすこともできねえのか?


 一瞬だが反射的にアグレイの目線が沈んだ。戦いにあっては致命的な隙だった。


「しまッ……」


 悔恨は途中で押し潰されて苦悶に変わる。咄嗟に腹部を防御したが、重い衝撃は内臓を苦痛にのた打ち回らせた。


「アグレイ!」


 フリッツが焦燥の叫びを上げたが、彼自身も二体の岩魔と交戦中で援護に手が回らない。


「ちィ……!」


 煉鎧は好機と見たのか攻勢を強める。


 一時的な呼吸困難に陥ったアグレイが、唇の端から涎の泡を吹きながら、それでも敵と拳を交差させた。

この辺のアグレイ本人よりもアグレイのことを分かっているフリッツはお気に入りです。

相棒感がありますね。

アグレイは家族を失ったことで、大事なものを守るための『強さ』に固執してしまいますが、それと同時に自分と同じ強さを相手にも期待してしまいます。

ある意味、それも暴力のようなものでしょうか。

自分の力の及ばないことで、もどかしさを感じているようです。

熱血漢でおせっかいなアグレイの長所でもあり、短所でもありますね。

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