第2話 アグレイと喰禍の戦い
異世界から侵蝕される都市、イフリヤ。
相棒のフリッツとともに巡回中のアグレイは、侵蝕に襲われる少年を発見。
少年を助け出したアグレイの前に、異形の怪物が出現した。
二人の双眸が焦点を結ぶ地点に、いつの間にか異形の存在が出現していた。
出来損ないの泥人形のような怪物だった。体長は大人よりも一回りは小さく、頭部とその下がほぼ同じ比率の二等身で酷く不均衡だ。
体表が緑色の岩のようで、いかにも頑丈そうな出で立ちをしている。人間で言えば顔に当たる部位には、丸い紅玉が二つ嵌まり目のようになっている。手には歪な形の棍棒を持っていた。
界面活性から、まず不格好な頭だけが突き出され、アグレイ達を視認するような仕草を見せた後、揺らめきから全体を現す。その数は目算で三十体を超えていた。
アグレイは脳内で検索する。
眼前の敵は、下級に位置づけられる突撃型喰禍〈岩魔〉であった。数日に一度は目にする珍しくもない種類で、その脅威も恐れるべきものではない。
「急げ。岩魔なら俺一人でも何とかなる」
「そんなこと言ってもよ、あの量は多過ぎるし、第一この状況じゃ戦ってる暇が……」
フリッツが迷っている間に、アグレイと岩魔は激突している。
正面から振り下ろされた棍棒を躱し、アグレイが発光する右拳を岩魔の顔面に叩きこんだ。岩魔の顔がヒビ割れ、拳が手首まで埋まる。
その勢いで岩魔が後方に吹き飛んだ直後、岩魔の身体が爆発したように粉砕した。弾け飛んだ四肢が塵となって虚空に溶けて消えていく。
「勝手に死ぬなよな!」
「そう簡単に、くたばってたまるかよ」
アグレイの危なげのない攻防を見やって、フリッツが少年を連れて離れる。
岩魔の群れと充分に距離をとったフリッツは背中の鳥籠を外すと、伝書鳩を空に解き放つ。鳩は羽音を残しながら空へと翔け上がり、一直線に目的地へと飛び立った。
「応援を頼むぜ!」
フリッツは小さくなった鳩の姿へと叫ぶと、アグレイの戦いに視線を移す。
アグレイは岩魔に囲まれながらも冷静に立ち回っていた。
左右から振り抜かれた棍棒をアグレイは上体を揺さぶってやり過ごす。岩魔が二撃目を放とうと凶器を振りかぶった隙を見逃さず、左側の岩魔を鉤打が捉えた。
一発で微粒子となる岩魔を尻目に、アグレイが右側に向き直る。突き出された棍棒を手刀で逸らし、その右手に鋭角的な軌跡を描かせた。
青い残像を引くアグレイの手刀が岩魔の脳天に吸い込まれ、頭部を真っ二つに分割する。
「甘いな」
さらにアグレイへと横殴りの攻撃が迫る。アグレイは左裏拳を掲げて受けの姿勢だ。その右手が光を失い、入れ替わるように左手が青い燐光を帯びた。
瞬間、鋼が擦れるような音が響き渡る。岩魔の一撃を腕一本でアグレイが防いだのだ。そのままアグレイが腕を一振りすると、何の抵抗もできずに岩魔が体勢を崩す。
アグレイが一気に身を沈める。と、見えたときには急角度で上半身ごと左拳を突き上げていた。見事な昇拳は岩魔の下顎を削り、それだけでなく岩魔の身体を宙に浮かせる。
その一撃を浴びたことで一回転して地に伏した岩魔は、ゆっくりと塵となって消えていった。
アグレイは、そいつが死に果てるのを見届けることは許されない。別の岩魔が仲間の無念を晴らそうとするかのように接近してくる。
「手から足に移すのは、ちょっと時間がかかるんだよな」
自身にしか分からない独り言とともに、あえてアグレイは大きく前に踏みこむ。いきなり間合いを縮められて岩魔は虚を突かれた。
着地させた左足を軸にして時計回りしたアグレイが、バネの利いた右回し突き蹴りを放つ。いつに間にか、アグレイの右足に光が宿っていた。
直撃を食らった岩魔の頭部が爆砕、消失した頭に遅れて胴体が微粒となって後を追う。
散りつつある同胞の灰塵の幕を割って、さらに三体の岩魔がアグレイの視野に出現する。
「まだ来るか!」
両足で地を踏みしめ、改めてアグレイが右蹴りを繰り出した。右側と中央の岩魔をいとも容易に吹き飛ばし、勢いが弱まっても残りの一体の頭部を陥没させるほどの威力だった。
アグレイは三体を同時に塵芥へと帰さしめると、威嚇するように周囲へ視線を巡らせる。
まだ二十体以上の敵が残存していた。わずかに首を曲げて後背を確認すると、逃げ道はどんどん狭まっていく。
「これが限度か。そろそろ行かな……!?」
注意が疎かになったところを、岩魔が死角から狙ってきた。
咄嗟にアグレイが両手で防御するものの、異能を発揮する燐光は依然として右足にあるままだ。強化されていない通常の肢体で受ければどうなるか。
それを理解したとき、アグレイの面に痛恨の悔いが浮かんだ。
岩魔の棍棒がアグレイに叩きつけられる直前、アグレイの背後から銀光が伸びて岩魔の眉間に突き立った。一瞬で岩魔は塵と化し、アグレイの顔に岩魔の残骸が吹きつける。
不機嫌そうに振り向くアグレイの間近に、得意気に笑うフリッツがいた。
「油断したな、アグレイ?」
「そんなんじゃねえ。ちょっと目を離したとこを小突かれそうだっただけだ」
「それを油断したって言うんだよ」
フリッツが、岩魔を貫いた剣を構え直す。
アグレイが不快を示したのは、手助けしたフリッツに対するものでなく、油断した自分に向けたものであった。それを知るフリッツは、意地悪く笑う。
それを横目で見るアグレイが、たった今気づいたように怒鳴った。
「ッて、バカかよ! 逃げろって言ったろが!! ボウズは!?」
「耳元でうるさい奴だな。あそこにいるよ」
フリッツが指す方向に、界面活性を通して歪んだ輪郭ではあったが、建物の陰に隠れてこちらを見ている少年の姿があった。
「で、お前は、どうして戻ってきたんだよ」
「あれを見りゃ、少しは納得するんじゃねえか?」
フリッツが親指で示す彼方に、四人の人影があった。その姿が徐々に大きくなっていくのは、こちらに近づいているためらしい。
「応援か。やるじゃないか」
「近くに仲間がいて助かったな。あの鳩を見て駆けつけたんだろう」
「少しは、生き延びる目が出てきたってことか」
退路は界面活性に覆い尽くされて完全に断たれていた。
アグレイたちに残された道は、界面活性の元凶である喰禍を全滅させることだけだ。
再度、アグレイが岩魔の群れのなかに突撃していく。岩魔の断末魔に代わる塵の四散が随所で続いた。
アグレイによって掃討されつつある岩魔は、焦慮を覚えたようだった。すでに十体まで数を減じていた岩魔は現れたときと同様、慌てて界面活性に飛びこんで逃げていく。
「あ、てめッ、生かして返すかよ!」
「いいって、アグレイ。深追いすんな」
フリッツの忠言を釈然としないながらも聞き入れ、アグレイは不完全燃焼気味にぎらつく琥珀色の双眸を、岩魔の後ろ姿に注いでいた。
全ての岩魔が消え去ると、界面活性も急速に収束していった。
それまで歪曲していた風景も原形をとり戻し、つい先ほどまでの騒動が嘘のように場に静寂が満ちる。
「助かった、な」
二人が顔を見合わせる。応援の男達も駆け寄ってきた。
「二人とも大丈夫かー?」
「おう! おかげさんでな」
アグレイは仲間に手を振って感謝の意を告げる。そして少年のことを思い出すと、さっきの建物に目を転じた。
「ボウズ、もう平気だから出てきな」
少年が路地からゆっくりと姿を現した。
一歩を踏み出すまでは躊躇いがちだったが、走り始めるとまっすぐアグレイを目指してくる。
勢いを緩めずに少年がアグレイに跳びつき、押されてアグレイがよろめいた。それでも片手で少年の身体を支えることは忘れない。
「ッと。危ないだろうが」
眉をしかめて言ったアグレイの文句を意に介さず、少年は潤んだ瞳でアグレイを見上げた。その小さな口唇が高い声を発する。
「ありがとう!」
「……」
少年の眼差しを直視することができず眩しげに顔を逸らしたアグレイは、左手は少年の背に回したままで、空いた右手のやり場に困って灰色の頭髪をかいた。
アグレイは、照れくさそうに天を仰ぐ。
空は、やっぱり曇っていた。
ここまでが序章に相当します。
こういった作品だと伝わりましたでしょうか?
熱血アグレイとゆるーいフリッツのコンビですが、フリッツの出番は少なめです。