第17話 レビンは孤児院へ
キクのはぐれ孤児院は界面活性に飲み込まれ、子どもたちが犠牲になってしまった。
悲しむキクの前に運よく助かったレビンが現れ、キクは安堵の涙を流している。
アグレイからはぐれ孤児院の惨状を聞かされると、レビンはその衝撃を隠せなかった。
レビンは双眸を見開いて、紅の口唇を悲しみが震わせる。涙が幾筋も頬を湿らせたが、気丈にも泣き叫ぶことはしなかった。
レビンの生存を知って喜んだもののキクは憔悴しきっていた。日々の肉体的な疲労に、極端な精神的疲労が加えられ、泣き疲れた現在は放心状態に近くなっている。
キクを休ませておき、アグレイとレビンは離れて話し合っていた。
「じゃあ、もうみんなと会えないんだね……」
「そうだな。だけど、お前だけでも生きているというのは、幸運なことなんだぜ」
伏し目がちになるレビンを鼓舞するようにアグレイはその肩を叩く。
「そのうち分かるよ。それとな、もう少し嫌な話を続けなきゃならない」
レビンは紺碧の瞳にありったけの勇気を込めて、自分から先を促した。
「何?」
「はぐれ孤児院が無くなったんだから仕方がない。お前は、これから普通の孤児院に行くんだ。そして、キクお姉ちゃんとは離れなきゃならない」
案外レビンに動揺の色は少ない。これ以上凶事があると聞いて、おおよその予想はしていたのかもしれない。
「安心しろ。お前は侵蝕していないからな、入居に問題はないさ」
「……」
「孤児院だって悪いとこじゃないし、お前も気にいるはず……、どうした?」
「キクお姉ちゃんはどうなるの?」
「……レビン」
アグレイは眼前の少年に畏敬の念を禁じ得ない。この期に及んで自分ではなく、キクの身を案じているのだ。
できるだけの真摯さによって、アグレイはレビンに報いようとする。
「キクのことは、俺が責任持って面倒看るからよ。そのことは心配しないでくれ」
「あんなに悲しそうなキクお姉ちゃん見るの、初めてだよ。でも、僕じゃお姉ちゃんの力になれないんだ……。僕よりもアグレイの方が、お姉ちゃんを勇気づけてあげられると思う。アグレイ、キクお姉ちゃんをよろしくね」
アグレイは思わずレビンを抱きしめ、本心から出た尊敬の言葉を口にする。
「レビン、お前は強いんだな。……俺なんかより、よっぽど」
その率直な賛辞にレビンは、どのような顔をしてよいか迷っているようだった。
アグレイは近くにいた警備隊員に至急の言伝を頼み、その急報を聞いたフリッツが駆けつけてきたのは、宵の口になってからだった。
「こんな時間に呼んですまないな」
「貸しの返済の一環だからな。気にすんな」
フリッツはそれが唯一の表情である半笑いを浮かべているが、肩が上下しているのを見ると、かなり急いでここに向かってきてくれたようだ。
それをおくびにも出さない配慮が、アグレイがフリッツのことを嫌いになれない理由の一つでもあった。
「それで、何の用だ? あまり楽しい内容じゃなさそうだが」
利発そうな少年から十代後半の少女へと両目の焦点を移しながら、フリッツが言った。
「それが、な」
アグレイは手短に、レビンと会った日にはぐれ孤児院の存在を知ってから、今日の界面活性による孤児達の犠牲までの経緯を説明した。
「なるほどな。お前が最近悩んでいたのは、それだったか」
さすがにフリッツも神妙な表情を作ろうとしている。作ろうとしているだけで、口元の緩みは消えていなかったが。
「お前には、レビンを孤児院に届けてほしいんだ」
「それだけでいいのか? いいぜ。職権乱用で上等なとこに入れてやるよ。……な?」
フリッツの笑みが向けられると、レビンも会釈とともに曖昧に微笑んだ。
初対面ではフリッツの人物像を掴めないのは仕方ない。それを知るアグレイにしても、まあ信用できなくはない、という程度の見解だ。
「彼女は、どうすんだ? 年齢は厳しいけど無理言えば、一緒に入れられるだろ」
「いや、キクは孤児院には入れないんだ」
それだけで、フリッツはキクの身体が侵蝕されていると洞察した。
「それなら、統括府に連れてくか?」
「いいんだ。キクは俺が何とかするって、レビンにも約束したんだ」
「そうか」
珍しくそれ以上無駄口を叩かずに、フリッツがレビンを誘う。アグレイは逡巡を示してから、フリッツの後ろ姿に声をかけた。
「あのよ、フリッツ」
フリッツは足を止め、首を曲げて面貌の半分だけをアグレイに向ける。
「お前に関係ないなんて偉そうなこと言っちまったが、俺はやっぱりお前の手を借りないと駄目みたいだ。すまない」
「わざわざ呼び止めて、そんなことかよ。気にすんな、としか言えないな」
「悪い、な……」
「そう気に病まれてもな。それなら、今回で俺の貸しは帳消しにでもしてもらおうか」
フリッツはアグレイの視野に笑みの残像を灼きつけ、レビンを促すと相棒の依頼を達するためにこの場を立ち去った。
レビン偉い子。
フリッツも、ようやっとる。