第13話 孤児院を訪れるアグレイ
キクの営むはぐれ孤児院をアグレイが訪れる。
孤児院について再びキクと話し合いをしたいと思うアグレイだったが、レビンに聞くとキクは不在とのことだった。
アグレイは、その廃墟に足を踏み入れた。
以前キクと一戦交えた大通りに近い場所だ。一本横道に逸れると、住宅にしては広い平屋の建物がある。
『マルセル診療所』と書かれた錆びついた看板を尻目にアグレイは玄関を開いた。
扉は乾いた響きで来訪を告げる。
室内には人間の気配があったが、その音を聞いて静まり返っていた。こちらの様子を窺う妖な沈黙の後、物陰から少年が遠慮がちに尋ねてくる。
「誰? キクお姉ちゃん?」
「よお。久しぶりだな」
「……アグレイ?」
姿を現したのはレビンだった。怪訝そうな顔つきでアグレイに近づく。
「どうしてここにいるの?」
「探そうと思えば、はぐれ孤児院なんて簡単に見つけられる。まあ、安心しろ。別にお前らを誘拐しようとか、変な気はないさ。ただ、お前らが住んでいる環境がどの程度のものか、一度確認しておきたいんだ」
「仕事で来てるの?」
「いや。俺個人が知っておきたいことだからだ」
レビンは幼いながらも、アグレイの真意を計るように首を傾げる。レビンの思考の天秤が肯定に傾いたことは、少年の笑みによって示された。
「うん。いいよ」
許しを得たことでアグレイは安堵する。
レビンに続いて玄関から広間に入ると、そこは元が受付だったらしく、待合室と受付との仕切りがあった。壁際には椅子が積まれている。
「キク……お姉ちゃんは、今は留守か?」
「うん。仕事はお休みだけど、買い物に行ってるよ。もうすぐ帰ってくると思うけどね」
アグレイが頷いていると、部屋に面した幾つかの扉のうちで、最も奥にある扉が半分だけ開き、少女の声を放った。
「レビン、大丈夫なの?」
「ああ、出てきても大丈夫だよ」
奥の一室から何人もの子どもの姿が吐き出された。
見知らぬ男を注意深く観察する視線が痛いが、アグレイが眉をしかめたのは、その全員に侵蝕の症状が認められたためだった。
「この人は、僕を助けてくれた人だよ。悪い人じゃないから安心して」
「あー、俺はアグレイだ。よろしく」
ぶっきらぼうに言ったアグレイに対し、子ども達の向ける目に胡乱な色が乗っている。
「でも、お姉ちゃんに教えなくていいの?」
怯えが含有される少女の問いに、アグレイはできるだけ穏やかに返答する。
「心配はいらない。俺はレビンとは友達だからな」
子ども達はまだ釈然としないようだが、レビンが心を許すなら大丈夫だと判じたらしい。
どこかに行きかけたレビンの首根っこを掴み、アグレイが引き寄せる。
「痛いなあ、友達に何すんのさ」
「悪いな。お前に聞きたいことがあったんだよ」
レビンは首を回してアグレイを上目使いに見やる。
「ん? キクお姉ちゃんのこと?」
「まあ、それもあるが……。ここには何人で暮らしているんだ」
「キクお姉ちゃんを入れて八人だよ。僕より年上は三人だけね」
「じゃあ、キクお姉ちゃんが一人で他の子どもを養っているのか?」
「う、……うん」
やや後ろめたそうにレビンが首肯する。その様子から察するに、キクは子ども達の生計を立てるのに相当苦労しているようだ。
「実は、さ。キクお姉ちゃん、僕達のために髪を売ったんだ」
「髪を、売った?」
押し出したようなレビンの言葉をアグレイが繰り返す。レビンは、心情に比例して目線を下げながら説明した。
「綺麗な髪はかつらの材料になるから、『外』では高く売れるんだって」
「そこまでして……」
はぐれ孤児院のレビンを含める子ども達は、服装は貧相であっても、健康や衛生状態に問題があるようには見えない。子ども達の健康管理に配慮が行き届いているが、その分キクの負担は尋常ではないだろう。
キクに限界がくれば、この孤児院は存続不可能だという結論を出さざるを得ない。
アグレイの難題は、その判断からどのような行動を導き出していけばよいか、ということだ。
最良の判断はないかと、あまり回転の速くない頭をアグレイが悩ませているとレビンがおずおずと問いかけてきた。
「あの、僕も聞いていい?」
「ああ」
「この前アグレイがキクお姉ちゃんと会ったとき、お姉ちゃん怒らなかった?」
キクは徹底してレビンの前では冷たい表情を見せなかったが、帰ってからキクの不穏な雰囲気を感じたのかもしれない。鋭い感性を持つ少年だとアグレイは舌を巻いた。
「まあ、そうだな。怖い顔はされた」
さすがに殺されかけたとは言いかねた。
「やっぱり……。あの日、帰って来た後のお姉ちゃん、様子が変だったんだ。『ちょっとやり過ぎたかな』とか言って、不安そうな顔してた」
アグレイは眉を上げる。
まさか心配してくれるとは、アグレイに向けていたキクの視線の冷やかさからは想像がつかない。やはり頭に血が昇りやすい性格なのだろうか。
「気にするな。少し口論になっただけだ。あの姉ちゃんも気が強くてよ、そりゃもうおっかない顔をされて、この俺も背筋が冷えたがな」
「それで、その『おっかない顔』が見たくて、ここまで来たってわけ?」
そう言ったのはレビンではない。背後で放たれた女の声は、アグレイの背を直角に伸ばさせるほどの迫力に満ちていた。
アグレイは頸骨が錆びついたかのように、ゆっくりと首を曲げる。
そこにいたのは、キクだった。
レビンはアグレイに懐いているようです。
アルジーという弟がいたため、年下の扱いに慣れているのでしょうか。
アグレイもレビンといるときは楽しそうです。
レビンに弟のおもかげを感じているのかもしれません。