第1話 アグレイと少年の出会い
異世界ファンタジーで王道のライトノベルを意識して書いた作品です。
異世界転生(転移)、チート、ハーレム等の要素はありません。
主人公、アグレイに仲間が増えていって強大な敵と戦うというのがストーリーラインです。
(少し古めのライトノベルのイメージ)
「今日も相変わらず、曇ってやがる」
記憶から拭い去れないあの日をきっかけにして、曇天以外の表情を見せなくなった空を仰ぎながら、その青年は呟いた。
やや黒に近い灰色の頭髪と琥珀の瞳を有し、覇気に溢れる精悍な面をしているが、今その若々しい風貌に宿っているのは無感動だけだった。
青年が道路を歩きつつ発した言葉は、誰かに向けたものではない独り言だったのを、隣に並ぶ男が目敏く反応する。
「またかよ、アグレイ。毎日同じこと言ってやがるな」
「ん? ああ……」
アグレイと呼ばれた青年は、いきなり現実に戻されたような間の抜けた返事をして、一緒に歩を進める同僚を見返した。
「曇ってんのは当然だろう。この街は侵蝕地帯でも指折りの侵蝕度を誇る、通称〈曇天区〉だぜ。いつでも曇り空なんだ」
「ヘッ、分かってら」
「そうじゃないから教えてやってんだよ、親切にな」
アグレイの同僚であるフリッツには、バカにしているようでいてアグレイを軽んじている様子はない。二十歳になったばかりのアグレイと同年であり、長年仕事を共にしてきたフリッツは軽口を叩くのが好きなのだ。
フリッツは柔らかな亜麻色の頭髪と茶色の瞳を有する青年だ。十人並み以上の器量ではあるが、にやけた表情が他者に軽薄な印象を与える。
麻のズボンと動きやすそうな半袖の上衣という軽装のアグレイと対照的に、フリッツは腰に剣を帯び、その背中には連絡用の伝書鳩を入れた籠を背負っている。
「親切心はありがたいがよ、巡回中くらいは真面目にできねえのか、フリッツ」
アグレイは口元に締まりのない同僚から目を逸らし、前方の景色を視野に収めた。
二人が歩いているのは、イフリヤという街の街路だった。
石畳で舗装された路面は放置されて久しいのか、手入れが行き届かずに傷んでいる箇所が多い。随所に亀裂が生じていて、場所によっては完全に地面が露出して雑草が顔を見せている。
道路の両側に連なる石造りの建築物にも壁面に損壊が認められ、壁や天井が崩れ落ちて瓦礫の山と化しているものも少なくない。
道路の両脇には電灯が等間隔で並んでいるが、それが点灯したのは遠い過去のことだ。
街全体が廃墟の様相を帯びるなか、アグレイとフリッツの他に人影はなかった。
「そうは言っても、お前の無駄口も暇潰しの役には立つか」
殺風景な周辺を見渡してアグレイが言い放つと、フリッツがわざとらしく笑ってみせる。その拍子に、フリッツの腰に吊るされた剣が軽やかに揺れた。
「ははッ、俺のありがたさは分かってるようだな。じゃあ、とっておきの話をだな……」
そのとき、唐突に空気を裂くような悲鳴が二人の耳朶を打った。間髪を置かずにアグレイが声のした方へ走り出す。
「フリッツ、その先は今度だ! 早く来い!」
「お、おい、ちょっと待てって……」
アグレイの脚力は凄まじく、フリッツは彼の後を追って駆け出すも、あっという間にその距離は開いていき、アグレイが角を曲がってからはその背を見失ってしまう。
背後の同僚のことなど気に留めず、アグレイは速度を緩めることなく走り続けた。
そうするうちにアグレイは道路を抜けて広場に出ていた。首を巡らすと、すぐに声の主らしき人物が眼に映る。
「あの子、か?」
その姿が小さいのは遠くにいるためだけでなく、子どもだからだ。髪型と服装で遠目でも男の子だと分かる。
一見、近辺に何ら異変は確認できず切迫した状況とは思えない。だが、少年は目に見えない存在に怯えるように身を震わせている。
「おーい、どうかしたのか? 子どもが一人で来るようなとこじゃ……」
訝しさに眉根を寄せるアグレイが少年に近づいていき、急にその顔色が変わった。少年との距離が縮まったことで、ようやく異常を感知できたのだ。
「界面活性かッ!?」
少年の周囲の空間が揺らめいている。水面が波打つように空間が揺れており、その範囲内では遠方の建造物や街路樹などの背景も輪郭を失って形が歪んでいた。
アグレイの大声で、恐怖のあまり立ち尽くしたまま虚脱状態に陥っていた少年が、やっとアグレイに気づいたらしい。
少年が助けを求めて両手を突き出すが、指先が空間の揺らぎに触れた途端に、溶けるように虚空と混ぜ合わさっていく。その光景を少年は呆然と見ているだけだった。
「動くなよ! じっとしてろ!!」
少年に指示して地を蹴ると、後方から遅れて到着したフリッツの困惑した声が上がる。
「何だ、どうなってんだ、アグレイ?」
「つっ立ってる場合じゃねえ、フリッツ! 界面活性だよッ!」
走りながら言い返し、アグレイは少年のもとへと向かうと、その右手を振りかぶった。
その拳が、蒼く発光する。
間合いに踏みこみざま、アグレイは淡い光を放つ右拳を不安定な空間、界面活性に打ちこんだ。無抵抗に侵蝕されるままだった少年と違い、拳は逆に界面活性を押し退けていく。
「おらあぁぁぁああ!」
気合をこめた拳が少年に纏わりつく界面活性を振り払い、その隙に蛙グレイは左手で少年の身を抱き寄せた。
しかし、蜘蛛の糸が獲物を放さないように、空間の歪みが少年の腕に吸着したまま伸張してくる。アグレイは冷静に燐光を放つ右手で少年の腕をなぞって、それを引き剥がした。
短い袖から伸びている細い腕が無事なのを確かめて、アグレイが表情を緩める。
「よし。ボウズ、大丈夫か?」
「あ、うん……」
まだ放心から抜けきっていない少年が無意識に返答する。
「じゃ、ちょっと離れててもらう、ぜ!」
「ッ……!」
少年の息を飲む気配が一気に遠ざかる。アグレイが後ろも見ずに、少年を放り投げたのだ。軽い身体は放物線を描いて宙を飛び、頂点を超えると落下に転じた。
「おっとぉ」
着地点にはフリッツが待機しており、少年の身体を受け止める。息の合った連携だった。
陽炎を思わせる揺らめきの現象は、少年を助け出す間に広場一帯を飲みこんでいた。周辺の建物は区別するのが困難なほど混然と一体化している。
灰色を帯びる空と地表も絡み合い、境界も定かでない。逃げ道の経路は限られていて、残された道も徐々に塞がれつつあった。
「おいおいおい、今回の界面活性は大きいぞ! 通れるのはあそこだけだ。早いとこ行こうぜ」
「フリッツ、ボウズを連れて先に行け。俺は、あいつらの相手をする」
不可解とでも言いたげなフリッツの目線がアグレイに向けられ、次いでアグレイが見つめる方向へ滑った。そして、納得と畏怖の入り混じった呟きが漏れる。
「〈喰禍〉かッ……」
実は電気が使えるなど文明があったものの侵蝕によって退廃したイメージの世界です。
ずっと曇りという暗い雰囲気ですが、最後までお付き合いいただけますと嬉しいです。