盲目
真っ黒な部屋の中で大音量のエリーゼのためにが響き渡る。
叫び声がいいアクセントになっていて尚のこと音楽の世界が美しいことを痛感する。
「ふう‥」
意外としぶとい。こんなにぐちゃぐちゃなのに。
人間は脆い、とか何処かの誰かが言っていたけれど生命力がある動物だと僕は思う。
腱を切っても、舌を抜いても、背骨を折っても痛みを全身に余すことなく感じて、ただもがいてそして最後には受け入れる。正確には受け入れるしかないから、そうなってしまうんだけど。少し反応がワンパターンになってきたな‥飽きてきたからコーヒーでも飲むとするか。一粒ずつ丁寧に現地直送した豆を銀色に光るコーヒーグラインダーに入れて、ゆっくりとお湯を入れる。途端に香ばしさが部屋に広がる。この香りの素晴らしさたるや。真っ黒な部屋の中で大音量のエリーゼのためにが響き渡る。叫び声がいいアクセントになっていて尚のこと音楽の世界が美しいことを痛感する。
「ふう‥」
この風景を見ながら飲むコーヒーは格別。脚を組みながら目の前に広がる風景を堪能しながら、僕は珍しく物思いに耽っていた。僕は引っ込み思案でも前に出るような人間でもなく、空気に近い存在だったと思う。居ても気付かれないし居なくても「そうだったっけ?」と首を傾げられるような。何か秀でた物も特に無かった。でもそんな僕にも転機が訪れた。初めてサイコホラーの映画を見た時、一緒に見た両親は気分が悪いと言っていたけれど僕はスクリーンに釘付けだった。常人には到底理解出来ない思考回路を持ち、そして巻き込んで最終的には自分で後を片付ける。この胸の昂揚に何と名付けたら良いのか、幼い青少年は筆舌に尽くせず気鬱状態であった。そんな陰気な僕に声をかけて来る物好きも居たが、話し方から馬鹿にしているのが良く伝わったので無視していた。馬鹿は相手にしないことが1番だ。僕はあの映画を観た日からサイコホラーに取り憑かれた様に見ていた。見れば見る程、人間の汚さや脆さ時には丈夫さも知れて人体についての興味が増して行った。親はこの様子を見て「おかしい」「気持ちが悪い」とか戯言を言っていたが、そんなの僕にとってはただの雑音でしかない。僕の好きな物を否定する権利なんて、誰にもないのに。なんで親は産んで育てたっていうだけで自分の子供をそんなに規制してくるのか全く分からない。寧ろ分かりたくもない。嗚呼、いけない。つい悪い思い出が蘇ってしまっていた。こんなこと忘れていたいのに。もう働いて親となんて絶縁状態に等しい僕には無縁な悩みだ。あの人達のことを考えてしまうなんて時間の無駄もいい所だ。せっかくのコーヒーの質が下がってしまう。こんなことを考えるってことはやっぱり疲れているのかな。目の前のオモチャで少しスッキリしよう。
がんがんがん
鈍い音が部屋に響き渡る。と同時に黒く燻んだ汚い感情が内から外に溢れて来る。どうしようもないよね。だって内に溜めてたら体に悪いもんね。
「どうしてあんたはそんななの‥」
「部活にも入らないのに何なのこの成績は!」
「また何か気持ち悪い趣味なんかやってんの?いい加減にしなさいよ。」
「正常になりなさい!こんな物に興味を抱くなんておかしいでしょう?!!」
「これ以上ママを困らせないで。」
脂汗を大量にかいて目が覚めてしまった。目覚めは最悪だ。
ドッドドッッド
心臓の音だけが脳内に響き渡る。なんて夢を見ていたんだ。もっとあっただろうに。寝ぼけ眼を擦り眼鏡を掛けて時間を見ると、まだ午前4時。こんな時間に起きるなんて、そんなに歳をとってしまったのだろうか。それとも何かに追い詰められているんだろうか。何にせよ、いい気分ではないことは確かだ。苛々としながら台所でコーヒーを入れる。このモーニングルーティーンで僕の世界の朝が始まるのだ。手の中に収まっていた携帯が震える。
『もう起きたの?こんな朝早くから何してんの。
大体‥』
もう見る気が失せた。この字面だけで特徴がヒシヒシと伝わってくる。どうせこの後は長文のメッセージなのは考えなくても分かる。夢は最悪だし、目覚めも負けずを取らずなのにここでとどめを差してくるなんて‥僕のことを心地顔でいるのは本当に気分が悪い。もういい。早く出よう。僕は気分を一新させたいが為にモーニングルーティーンのコーヒーも飲まないで外に出た。まだ朝が早いというのに、外はもう活動しているみたいだ。よれよれの着崩したスーツを着ている人、ヘッドフォンか流れる大音量と携帯に夢中で周りを全然見ていない人、犬と散歩している人。僕はそんな人達の雑踏に紛れて、目的地へと脚を急いだ。
早く1人になりたい。早く早く。
いつもの場所に着くと、朝が早いこともあり僕が1番だった。もう僕が鍵を持ってもいいんじゃなかろうか。それ位ここに入り浸っていた。誰もいない、その事実と空間は弱った僕をひどく安心させてくれた。安心し過ぎて深呼吸を何回もしている。今日ようやく息がまともに吸えた気がした。沢山の本があるこの匂いが何とも言えない。このままずっと1人でいられればいいのに。どうしようもないことを1人で悶々と考えていると、チャイムが鳴り響いた。いつの間にかかなり時間が経っていたようだ。今から多数の人間がいる箱に押し入られると思うと、足が鉛の様に重い。だが、行かないと両親に連絡が行く。なんて面倒くさいシステムを採用しているんだこの国は。顔を俯き、扉を動かすと例の如く僕の机の周りには人で溢れていた。勿論僕を待っていた訳ではない。皆僕の目の前の学年一位くん目当てだ。
「〇〇くんこれってどう解くのか分かる?塾の課題で解らなくて‥」
「いや忙しんだからやめなよ!それよりも今度一緒に映画でも行かない?あっ美術館でもいいよ!」
いつもならか細い声で「すいません」と言って僕の席に座るのだが、頗る機嫌が悪い本日の僕は他の人間がどうでもよかった。だからと言って体当たりとかするわけでもなく隙間を上手く見つけて滑り込んだ形だ。街の雑踏と違って、どうして一つの箱に入っているとこんなにも聞きたくないことや雑音が多すぎるのだろう。分からない、理解ができない。どうして僕がこんな所にいるのかも。早く1人になりたい。無常にも授業開始が伝えられる。廊下側の俺は外を見ることも出来ず、ただ教科書に落書きをすることくらいしか反抗ができなかった。前の人は真面目に授業を受けている。これぞ優等生って感じがこういうところでも出てくるんだな。思わず深いため息が溢れる。
「いや‥いやあっ!!もう私を解放して!!」
鼻血が顔中にこびりついている。恐らく鼻が折れているんだろう。恐怖のあまり出てきた涙か鼻水か分からない体液が溢れている。僕はそんな女の長髪を掴み取り、鋏でバサバサと切り刻んで行く。素人で恐らく不器用な僕の作品はガタガタになっている。叫び声が増していく。あぁこの感覚がとても心地いい。もっともっと聞きたい。その叫び声を‥
「日比谷!!俺の授業で昼寝をかますなんていい度胸だな?」
「‥‥っした‥」
俺の邪魔をする人間に対して憤りが隠せれない。折角いい気持ちでいたのに。もうこのままこいつも消えさせてしまおうか。この俺を阻む奴なんてこの世に要らないよな?
「あの‥日比谷君。大丈夫?具合悪いのかな?もしきつい様なら保健室に連れて行くから遠慮なく言ってね。」
「え、あ‥うん。」
優等生の鑑は俺に笑顔で話しかけてきた。そもそも俺の苗字よく知っていたな。つーか教室でまともに話したのいつぶりかわかんねぇや。普段しないことをしたからか心音が激しく聞こえ、そのまま授業を受けた。
昼を告げるチャイムが響き渡る。早く1人になれるようにいつもの階段で飯を食おうと席を立ち上がると声をかけられた。
「日比谷君、もしよければ僕も一緒にお昼食べても良いかな?」
ずっとニコニコとして裏が見えない人間と一緒に時間を過すなんて、新手の拷問か?俺は有無を言わさず、教室を後にした。
「優希は何だかホラーが好きみたいなんだけど‥思春期も相まってかすごく態度が悪くて‥」
「感謝の言葉と謝罪の言葉が出て来ないんじゃあ親としては不安でしかないのよ。」
「話しかけてもあんまり反応がないし、私達と話する気がないんだと思います。」
「話しかけんなオーラめっちゃ出てるよね‥ああ言うの本当にダサい。」
「あぁ〜‥一応僕なりに仲良くなりたいと思って、話しかけたりしてみたんですけど無視、されちゃいました。きっと会話が好きじゃないみたいなんですよ。僕はクラスの皆で仲良くなりたいんですけどね。」
「俺はお前らと違いますよオーラがあぶれてるよな?!」
「それな!大体お前俺よりも頭悪いだろうがって感じだし。何で上から目線出来るんだろうな‥」
僕は殺人鬼なんだ。残虐で、無慈悲で、人を殺す時にさいっっっこうに笑えるんだ。口端がこれでもかって言うくらい
上がって、全てが僕の思い通りで。この世の物を壊す為に僕は生まれたんだ。
僕は天才なんだから。
「僕は天才‥天才‥」
「息子とは数年前からまともに会話できない状態です。何かぶつぶつと言っていて‥
もう現実を見えていないみたいです。」