十四話 それはまるで陽だまりの様な
「ちょ、■……■! いい加減にしぃっ!」
しばらくはされるがままに走っていた虎珀であったが、やがて城を出ると■に掴まれたままの右手を振るって声を荒らげた。そうすれば■は驚いた様に手を離し、その隙に虎珀は両膝に手をついて息を整える。
「はいはい悪かったってばー。でも僕、本当に珀様あの場に居ても役立たずだったと思うよ?」
「うるさいんよぉ! そんな事、ウチが一番よう分かってますぅ!」
手を振り払われ、不満そうに両手を頭の後ろで組んだ■は対して悪びれた様子も無く唇を尖らせた。そんな■が口にした言葉に、虎珀は息を整えながらも反論する。己が力不足である事は、誰よりも己が理解しているのだ。
「ホントは、もっとウチが凌月師匠みたいな策を立てられたら、って何度も思ってるんよ」
それから、虎珀は静かに唇を噛み締めた。自分が軍師として凌月に弟子入りをしたのは、もう数年前の話になる。だが、未だに彼を越えられる様な策を立てられた事は無かった。虎珀はそれが酷く悔しかったのである。一国の姫である自分は、大切な國すら守る事が出来ないのだろうか。
「ふーん……ま、僕にはそういうのよく分かんないけど、珀様はあんな狭い所で険しい顔してるよりも、民たちと話して笑ってる方が似合ってると思うよ?」
そんな風に俯いてしまった虎珀を見て、■は納得がいかない様な顔で呟いた。それは、まるで構って貰えない子供が拗ねて吐いた言葉の様に聞こえたが、彼の声色は真剣そのもの。つまり、■の本心であるという事だ。
「■……」
「ほらっ、行こう珀様! 早くしないと日が暮れちゃうよ!」
虎珀ははっとして顔を上げる。深紅の瞳と目が合った。その瞬間、■は非常に楽しそうな笑みを浮かべると、今度はしっかりと手を差し伸べてくる。虎珀はその手をしばらく見つめていたが、やがて「仕方ないんねぇ」と笑うとその手を取って、今度こそ二人仲良く歩き始めるのであった。
*
そうして、今度は談笑をしながらのんびりと歩いていれば、やがて兵達が日々訓練をしている校場へと辿り着いた。
「あっ、着いたー! ……ねぇ、凌晃居る?」
■は虎珀の手をぱっと離すと、近くにいた兵士へと声を掛ける。声を掛けられた兵士は、呼ばれた名に頷くと、すぐ様■が口にしたのと同じ名前を大きな声で呼んだ。
「おーう、俺様をお呼びかぁチビッ子……っと、こりゃ姫様も、どーもご無沙汰しております〜っと」
そうして現れたのは、額当ての布を巻いた大柄な男性であった。現れた彼の名は凌晃。凌月の実の弟であり、盲目の彼を守る朔牙隊の隊長を務めている青年だ。
「はぁ? チビじゃないし!」
開口一番失礼な事を口にした凌晃に、■はきっと眦を吊り上げて憤慨した。
「チビだろ」
「チビやねぇ」
しかし、■の背が低い事は事実である。抗議を受けた凌晃のみならず、虎珀までもがうんうんと頷いて事実を肯定した。
「っ、珀様まで!?」
「んで、姫様までお連れして一体何の用だい■坊よ? 俺達も遊んでる場合じゃないんだぜ〜」
裏切られたとでも言わんばかりに目を剥く■を他所に、凌晃はこの場へ訪れた目的を尋ねる。■が校場へふらっと遊びに来ては、こてんぱんにやられて帰っていく様は常々目撃されている事だが、虎珀を伴って来る事など今の今まで無かったのだ。
「あーえっと、何だっけ? 凌月がね、なんか伝達だって! ……何だっけ、珀様」
その問いに元気よく答え始めたのは■であったが、勢いはやがて失速。彼は対して話を聞いていなかったのか、すぐに脳裏を疑問符で埋めて虎珀の袖を引いた。
「んもぅ■はホンマに……。晃、耳貸し」
「あいよ」
そんな■を白眼視した虎珀はため息をつくと、凌晃に耳を貸すよう求めた。凌晃はその求めに素直に応じ、大きな身体を少し折り曲げて虎珀の顔へと耳を近づける。
虎珀がこうして凌晃だけにこっそり伝える事を選んだのは、用意された策があまりにも無謀であるからだ。この場には朔牙の者では無い者もいる。下手に大きな声で伝えて、混乱を招いても困るのである。
「……へぇ、そりゃまぁ随分と難しい御注文で」
虎珀の考えた策と、凌月の命令を聞いて、身体を真っ直ぐに戻した凌晃はすっかり難しい顔をしていた。
「ウチも分かっとるんよ。こんな策、最後の切り札にするにしては危険すぎる……せやけど、やれるだけの事はやっとくしかないって、師匠が」
考え付いた策の無謀さを、考えた張本人である虎珀はしかと理解していた。故に、罪悪感から目を逸らす。けれど、現実から目を逸らす事は出来ない。それを分かっているからこそ、凌月も実弟が隊長を務める隊へとこんな無茶な命令を下したのだろう。
「わーってますよ、兄者はそういう人なんでねぇ。……ま、そんな顔しないでくださいや姫様。俺らは朔牙隊ですぜ? どんな厳しい状況だって、ちょちょいと抜けてやりますよって」
そんな不安そうな顔をする虎珀を元気付ける為に、凌晃はわざと明るい声をあげておどけた。事実、この國で一番強い兵と言えば凌晃で、一番強い隊と言えば朔牙の者達である。
「……ん。無茶だけはしやんといてほしいんよ」
そんな事は分かっていた。だが、虎珀にとって凌月が師であるならば、凌晃は幼い頃から面倒を見てもらっていた兄貴分と言ったところだ。傷付くだなんてして欲しく無ければ、命を落とすだなんて以ての外である。不安で思わず俯いてしまえば、虎珀の頭に優しく大きな手が置かれた。
「心配すんなよ、珀。白蓮も蓮京も、俺達が守ってやるから」
かつての様に愛称で呼ばれ、はっとして虎珀は顔を上げた。そうすれば、きっと兄と揃いのはずの紫紺の瞳を細めて笑う凌晃の姿が目に入る。大丈夫だと笑う彼が心強くて、虎珀も少しだけ安堵した様に微笑み返した。
「ねぇ終わり? もう終わった? ねぇ珀様、僕お腹減った! お団子食べいこ!」
と、それを面白くなさそうに見守っていたのが■であった。彼はとうとう耐えきれなくなったのか、凌晃へいーっと威嚇する様に歯を剥き出して虎珀の袖を引く。
「■ー■ー? お前はホンマに……」
「だっはは! やっぱりお前はまだまだがきんちょだなぁ■。そんなんじゃいつまで経っても俺らにゃ追い付けないぜ〜」
そんな■に対し、虎珀はやはり呆れ返った様な視線を向け、凌晃は心底面白そうに笑い声をあげる。だが、何方も■をまだまだ子供だと思っている事は間違いない。
「はぁっ!? そんな事ないし! すぐ追い抜いてやるんだからっ! 凌晃のバーカ!」
凌晃の笑声は■の導火線に火を付けた。火を付けられた■は、数少ない持ち合わせの語彙力で必死に凌晃を罵倒する。
「あーあーやっかましい……ほれ、子ジャリはあっち行ってろ! ……今日はみたらしが出てたぜ」
きゃんきゃんと吠え始めた■に対し、凌晃はわざとらしく片耳を小指で塞ぐと、完全に■を追い払う為だけの魔法の呪文を口にする。
「っ、みたらし!? ならこんな事してる場合じゃないじゃんっ! 早く行こう珀様っ!」
「ちょっ、■……! ああもう、気張るんよ晃!」
そうすれば、凌晃の思った通り。途端に目を輝かせた■は虎珀の手を引っ掴んで、返答も聞かずに走り出した。急に手を引かれた虎珀は走り出す選択肢を取る他無い。残された凌晃は、小さくなっていく激励にただ一人楽しそうに笑声を零していた。
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「ん〜、本当にここのお団子って美味しいよね〜っ! ねぇ珀様、その一本食べていい?」
そうして辿り着いた団子屋。店の好意で特別に用意された一角に座った■は、三本目の団子を食べ終わると同時に、虎珀の皿に残っている一本をちょうだいとねだる。
「ええけど……あんまり食べ過ぎると夕飯入らんくなるんよ?」
そもそも少食である虎珀はそれを承諾するが、■へと向けている目は相変わらず呆れた様な目だ。ただし、先程までとは違って、そこには愛おしむ様な感情も付け加えられていた。
「へーきへーき! あむっ……ん〜おいひ〜っ!」
「……ふふ、ホンマに■は自由やねぇ。……ほら、あっこに飛んどる鳥みたいなんよ」
その証拠に、虎珀は心底楽しそうな笑声を零していた。虎珀にとって、約束通り人生を楽しんでいる■は弟の様な存在だ。どれだけ生意気で自分勝手であっても、■が愛しい事に変わりは無い。
「鳥? 鳥かぁ……。僕、生まれ変わったら大きな鳥になりたいなぁ」
虎珀の呟きに一度団子を食べる手を止めた■は、少しだけ考え込む様な仕草を見せると、やがて突拍子も無い事を口にした。
「鳥に?」
「そうっ! どんな鳥にも、なんなら神様の鳥にだって負けないくらい強い鳥になりたい! だってそしたら、いつでも珀様の所に飛んで行けて、いつでも珀様の事助けられるでしょ? 僕の背中に乗せてあげる!」
思わず諸目を丸めて問い返した虎珀に、■は太陽の様に笑って答えた。思ってもみない理由に息を飲む。何だか、自分よりも幼いはずの少年の笑顔が頼もしくて、眩しくて、虎珀の視界は少しだけ潤んでしまった。
「……んふふ、そうやねぇ。■が連れて行ってくれるんやったら、大空も楽しそうやわぁ」
それを誤魔化す様に、虎珀は頭上に広がる大空を見上げた。空では一羽の鳥が、優雅に回旋している。虎珀を乗せて飛ぶ事が出来るとなれば、それこそ神獣と言うべき存在になるだろうが、何だかそれも悪くないと感じた。
「でっしょー! あ、じゃあじゃあ、珀様は生まれ変わったら何になりたい?」
虎珀の返答に一層声を明るくした■は、深紅の団栗眼を煌めかせながら虎珀へ問い掛けた。
「ウチぃ……? ん〜、やっぱりウチは虎、なんね。この白蓮の守り神みたいな、真っ白で強い虎に……」
そう言われて真っ先に思い浮かんだのは、白蓮の守り神とされる真っ白な虎神の存在であった。もし、もし自分があの様に強ければ、きっと大切な者達を守る事が出来るのに。無力な自分は憧れる事しか出来ない。
「あっはは! 今の珀様も十分虎みたいだよ? だって怒ってばっかだし!」
そんな虎珀の心境を知ってか知らずか、■はけらけらと夏の日差しの様な笑い声をあげて虎珀をからかった。
「っ、■ー■ー!? んもう……そんな悪い事言う子にはもうお団子買ってやらないんよ?」
「うぇっ!? そ、それは勘弁かも……」
けれど、虎珀にはその温度感が丁度良かった。俯きそうになる心を、潤みそうになる視界を、■はその明るさで、陽だまりみたいな笑声で照らし出してくれる。
(……あぁ、ウチにももっと、力があったなら)
だからこそ、無力な自分が酷く嫌いで仕方が無いのであった。




