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陰陽亭〜安倍緋月の陰陽奇譚〜  作者: 祇園 ナトリ
第四章 四ツ宮編
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十三話 昔々のお姫様

「――――……」


 繋いだ手が、きゅっと強く握られた気がした。それに気が付いた緋月が静かに隣を見上げれば、怯えた様な表情のハクが、口を固く引き結んでいた。


「――ハク」


 だから、小さく名前を呼んでやれば、彼女ははっとした様に我に返って、ゆっくりと緋月の方へと顔を向けた。


「大丈夫」


 緋月は、そう言って咲笑った。たった一言そう告げて、何も心配する事は無いと笑う。ハクを安心される様に、ただぎゅっと繋がれた手を握って。


「……ん、ありがとうな」


 金の瞳がゆらゆらと揺れた。それから、伝播した様にハクも笑うと、彼女は目を閉じてゆっくりと深呼吸。


「――お願いします、麒麟様」


 そうして真っ直ぐと麒麟を見つめて、覚悟を決めた表情を見せた。


「嗚呼、任せろ。――巡れ、廻れ、追憶の夢を」


 ふわり。

 空気が、触れた気がした。


 声が、感覚が、全てが、遠のいていく。もやがかかった世界がふら、ふら、と揺れて、緋月は夢の世界に落ちていく。


「御休み」


 暗転。


****


「――ええよ、ウチを殺しても。それであんたが幸せになれるんやったら」


「幸せになれへんのやったら、幸せになる方法が分からんのやったら、ウチとおいで。ウチが、幸せになる方法を教えたるんよ」


「お前、名前無いん? せやったら、ウチが付けたるんよ。そやねぇ、もっと世界が楽しい事、知って欲しいから――……」


****


 目が、覚めた。

 何故か、とても長い長い夢を見ていた気がする。


 水面から顔を上げる様に意識を浮上させれば、格子窓から差し込んだ光が覚醒の後押しをした。

 ぼんやりとしたままの視界に、寝台の上に散らばった兵駒が映る。自身の身体の下に敷かれているのは、次の戦場になるはずの場所を示す地図だった。


 どうやら、戦略を練っている間に眠ってしまったらしい。


 くぁ、と小さく欠伸をして身体を起こす。散らばったままの兵駒を落とさない様に横へ避けてから、寝台をゆっくりと降りた。

 地に足をつけて、一度大きく伸びをする。眠気を吹き飛ばす様に(かぶり)を振れば、目の端で白い髪が踊った。


 それから、ふと思い立ったように掛布を掴んで、まるで羽衣の様に寝間着の上から纏う。次に目指す先は、自室から直接出る事が出来る露台(ろだい)だ。


 戸を開けて、柔らかな朝日と爽やかな風を全身で受け止める。昨夜は雨でも降っていたのだろうか、露に濡れた地面の匂いが鼻腔を擽った。


「――――……」


 そうこうしている内に辿り着いた露台。眼下に広がるのは、我が国白蓮(びゃくれん)の都――蓮京(れんきょう)だ。まだ朝の早い時間帯であるが、丁度市場が開かれている場所には人が集まっている様に見える。相も変わらず活気づいた、命溢れる都である。


「――あれ? もう起きてたの? 相変わらず起きるのはっやいなぁ〜」


 それから、落ちて来たのは声。はっとして、糸を引かれる様に振り向けば、そこには、一人の少年。


「――? なになに、何の顔?」


 まん丸の、深紅の瞳と目が合った。少年は見つめられて、不思議そうに顔を傾ける。三つ編みにされた紅色の髪と、首から下げられた()()()()()が、彼の動きに合わせて揺れた。


「ちょっと、(はく)様聞いてる? もしかしてまだ寝惚けてるの? ――もう、虎珀(こはく)様ってば!」


 呼ばれた名前に、頭部を殴られた様な強い衝撃が襲った気がした。けれど、その感覚は一瞬だけ。

 なにせ、呼ばれたのは自分の名だ。

 はて、一体どうしてそんな感覚に陥ったのだろう。


「……あぁ、うん。ウチ、まだちょっと寝ぼけとるみたいなんね。おはようさん――■」


 そう、現れた少年は■だ。何の変哲もない、ある事件があってから虎珀に仕えている、護衛の少年。首から下げているあの紋章だって、虎珀が与えた物である。


「うんっ、おはよっ! ね、珀様ってば、一体何をそんな真剣に見てたの?」


 名を呼んで挨拶をしてやれば、■は嬉しそうに笑って挨拶を返した。それから、大きな深紅の瞳を煌めかせると、色濃い好奇心をそこに宿して虎珀の隣へと並び立つ。


「何って……ほら、向こう。朝市がやっとるんよ」


 まるで弟の様に可愛がっている■の行動に、虎珀は口元を緩めた。そうして彼の目線に合わせる様に少しだけ屈むと、今までぼんやりと眺めていた遠くの朝市を指差す。


「えぇ朝市……? すっごい遠くじゃん、あんなの見て楽しいの?」


 その指された方向を身を乗り出して眺めた■は、朝市を認めた途端に半眼になって眉を(ひそ)めた。何故なら、ここから見える朝市は最早豆粒の様。言われなければ、あれが市場だとすらも分からない程である。


「んー? 楽しいんよぉ。声も聞こえへんし、姿も見えへんけど……確かに、あっこに命が息づいとるんよ」


 問われた虎珀は楽しそうに笑い声をあげた。それから愛おしそうに目を細めると、ほっそりとした手を遠くに見える市場に向けて伸ばす。まるで、宝物に手を伸ばすように。


「ふーん……よく分かんないけど、ホント珀様ってこの國の事大好きだよねー」


 ■は欄干(らんかん)に頬杖をついて、虎珀と同じ様に市場を眺めてみるが、その良さとやらは一切分からない。むしろ退屈なくらいだ。


「んふふ、そのうち■も分かるようになるんよ」


 半眼になって唇を尖らせる■に、虎珀は思わず笑声を吹きこぼした。そんな彼があまりにも愛おしくなったので、風にそよぐ紅色の髪を撫でてやれば、■は途端に満足そうな笑みを浮かべる。


「まっ、別に僕は珀様が居ればいいけどねー。……っと、そうだ! そう言えば虎斌(こひん)様が呼んでたよ! 時間がある時でいいから来て欲しいって!」


 しばらく撫でられる事を堪能していた■であったが、言い付けられた用事を思い出してがばりと欄干にもたれかかっていた身体を起こした。伝えられた言葉に虎珀は瞳を丸くする。


「父様が? ん、分かったんよ。せやったら、顔洗って着替えたら行くって伝えてきてくれん?」


 ぱちぱちと瞬きをしていた虎珀であったが、それもすぐにいつもの柔和な笑みへと変わる。


「はーい、まっかせてっ!」


 虎珀の言葉を受けた■は嬉しそうに笑うと、あっという間に駆け出してその姿はじきに見えなくなる。


「――――……」


 その背を微笑ましく見送っていた虎珀であったが、不意に表情を引き締めると振り返って大切な國を眺めた。

 今、この白蓮は、隣国に位置する大国――天熾(てんし)の侵攻を受け、じりじりと燻る戦火に焼き焦がされそうになっている。虎珀の師である天才軍師のお陰で、何とかまだ被害は最小限に食い止めているが、いずれ大きな戦になるのも時間の問題だろう。


「この國を守れるんは、ウチらだけ……。せやから……絶対に、ウチの力で守り通してみせるんよ」


 静かに、覚悟を決めた。愛する國の為に。何よりも愛しい、國の命の為に。


****


 自室に戻って、身支度を整える。いくら自身の父に会うだけとはいえ、その父は一国の王だ。確かに虎斌はおおらかで細かい事を気にしない性格だが、流石に王の娘である自分が寝巻き姿で謁見する訳にもいかないだろう。


 服を替え、髪を整え、不格好な場所が無いか確かめる為に鏡台の前に立った。


「――――……」


 不意に、利発そうな、若草色の瞳と目が合った。鏡の中で不思議そうにこちらを見つめている自身の輪郭をそっとなぞる。何の変哲もない、いつもの自分の顔だった。


 息をついて、歩き出す。身支度は終わった。目指すのは、父が待つ王の間だ。



 辿り着いた王の間と廊下を隔てる扉の前。


「――虎珀、到着したんね。入るんよ、父様」


 そっと声をかければ、外に控えていた兵士達が扉を開けてくれる。虎珀は彼らに「ありがとさん」と礼を告げて歩き出した。


「よう来たんよ、珀」


「おはようございます、姫様」


 虎珀を出迎える声は二つ。凛としていて威厳のある、けれど何処か優しさを秘めた声と、柔らかくて温もりのある、けれどはっきりと良く通る声だ。

 先に目に入ったのは父の姿。珍しくいつもの様に豪勢な椅子に腰掛けておらず、どうやら机上に置いた凹凸のある地図を眺めていた様だった。


凌月(りょうげつ)師匠(せんせ)……? てことは……やっぱり戦の話、なんね」


 それから、父の隣に立っている男性が一人。彼こそが、この白蓮を支えている天才軍師――凌月だ。彼は大昔、戦に巻き込まれて視力の全てを失ってしまったのだが、そんな時に虎斌に拾われ、それ以来軍師として虎斌――ひいては白蓮の為に尽力しているのである。


「堪忍なぁ、珀。せやけど、いつまでも考えん訳にもいかないんよ」


 悔しそうに、苦しそうに、凌月から目を逸らした虎珀を見て、父である虎斌も視線を落として首を振った。戦など、起こらない方がいいに決まっている。しかし、それが起こってしまった事実は、ここで虎珀達がどれだけ頑張ったとしても覆らない。


「ん、分かっとるんよ。……ウチも昨日の晩、次の戦の事考えとったんね」


 虎珀は、その事をしっかり理解している。それが故に、考える事を放棄する事など決して無かった。首を振るってから虎斌を真っ直ぐに見つめ、眠る前の記憶をゆっくりと思い起こす。


「それは何とも頼もしい……。姫様の策、どうかこの凌月にもお聞かせください」


「昨日の晩って……なんか珀様寝落ちしてなかったっけ?」


 そんな虎珀の言葉に、凌月は恭しく頭を下げ、■は訝しげに口元へ指を当てた。■は虎珀の護衛を務めている為か、策を考えているうちに微睡んでしまった事まで見られていた様だ。


「っ!? そ、そんな事ないんよ! ■は黙っとき!」


「えーひどーい、ホントの事じゃーん」


 まさか、それを見られているとは微塵も思っておらず、虎珀は真面目くさった表情を崩して憤慨を見せた。勢いで叱られた■は、理不尽だとでも言いたげに唇を尖らせる。


「ふふ……では、姫様。貴女様がお考えになった策というのは?」


 まるで姉弟の様なやり取りを聞いていた凌月は、口元を綻ばせながら逸れた話題を元へ戻した。彼の目は見えていないが、身体の向きは正確に虎珀の方へと向けられている。


「えっ!? ……っと、その……ま、待つんよ。よう考えたらこれ、ちょっと絵空事すぎるんね。■が考える策よりも酷いかもしれないんよ……」


 そうして再び水を向けられ、思わず肩を跳ねさせた虎珀は、不意に冷静になった。策を考えたのは昨晩、それも眠気と戦いながらだ。冷静になって見れば、虎珀の頭の中に思い浮かんでいる策はかなり絵空事である。


「なぁーっ!? ちょっと珀様!? いくらなんでもそれは無いでしょっ!?」


 先程の仕返しと言わんばかりに槍玉に挙げられた■は、信じられないと言いたげに裏返った声で抗議する。勿論虎珀は知らんぷりだ。


「ははは、そんな謙遜せんでええんよ、珀。何せ珀は凌月の一番弟子、渋らんと早う言うてみぃ」


 恥ずかしそうに俯いた娘に対し、虎斌は朗らかな笑い声をあげながら続きを言うよう促すが、彼の言葉により虎珀が口を開く難易度は大きく跳ね上がった様なものだ。


「っ……そこまで言うんやったら言うけど……。ウチが考えたんは……ここ、虎口(ここう)に、罠を仕掛けるんよ」


 やがて観念した虎珀は、虎斌と凌月が囲んでいる地図の元へと歩いていき、そっとある地点を指さした。その動きに合わせて、皆もぞろぞろと地図の元へと足を運ぶ。


「と、いうと?」


 凌月は凹凸のある地図に触れ、名を挙げられた土地を探しながら問い返した。


「ウチに攻め入るとしたら、狭いけどこの虎口から攻めるんが一番速いやろ? せやから、あえてここに少数の兵だけを配置するんよ」


「えっ……珀様、それは流石に頭大丈夫?」


 虎口と言えば、切り立った崖に挟まれた狭い道だ。虎珀の言う通り、この蓮京に攻め込むには虎口から攻めるのが一番効率がいい。そんな場所に少数しか兵を置かないと言うのだから、両肘をついて地図を眺めていた■は思わず虎珀を白眼視した。


「んもう、■は黙っときって言うたやろ! ……こほん、せやけど配置するんはだだの兵やなくて、少数精鋭。敵も、ここは守りが薄いと思うて油断する……」


 そんな■をぴしゃりと叱り付け、咳払いをした虎珀は地図をなぞりながら話を続ける。


「……成程、その隙を突く、という訳ですね。確かに峡谷となっている虎口であれば大軍の利点も削がれますし、弓兵などを配置する事も可能です……が……少数精鋭、ですか……」


 そうすれば、同じ様に地図に指を置いていた凌月は、虎珀の言わんとしている事を理解した。無論、その可能性について凌月が考えなかった訳では無い。一度は似た様な事を考え、ある理由から断念したのだ。


「……ん、そうなんよ。それは、ウチも分かっとる。……白蓮には、少数で戦況をひっくり返せる程の兵はおらん。せやから、これは絵空事、なんよ」


 それが、この蓮京、ひいては白蓮には、たった少数で戦況を左右できる程の力を持った将が居ない、という事である。思わず虎珀は目を伏せた。兵を、民を信じていない訳では無い。信じているからこそ、自分達にそのような力が無い事をしかと理解しているのだ。


「えーなんで? 僕がいるじゃん、僕僕。だって僕、珀様を暗殺する役に選ばれたくらいだよー? すっごく強いよー?」


 重くなってしまった空気を気にする事無く、呑気な声をあげたのは■であった。今はこうして虎珀の護衛を務めている■であるが、元はと言えばそんな虎珀を殺しに来た刺客なのだ。


「■ー■ー? これはお子様が口出す問題とちゃうの。第一、あんたウチ殺すん失敗しとるやんか」


「うっ!? そ、それはだって珀様が……」


 だが、要人を一人暗殺するのと、國を守る為に命を懸けて戦うのでは訳が違う。今度は虎珀が半眼で■を睨み付ければ、ぴゃっと肩を跳ねさせた■はごにょごにょと口の中で言い訳を始めた。


「ふむ……凌月、お前はどう思う?」


「……そう、ですね。確かに不可能と言われればそうかもしれませんが、最終手段として用意する価値はあると思います。これを成し得るとすれば……朔牙隊(さくがたい)の者達、でしょうか」


 途端に言い合いを始めた二人を他所に、虎斌と凌月は静かに会話を続けた。一度は棄却した策ではあるが、可能性として残しておくのは悪くない策だ。凌月が名を挙げた朔牙隊(さくがたい)は、戦場で目の見えぬ凌月を守る為に存在している防衛隊である。


「そうか……やる価値は、ある……」


 凌月の返答に、虎斌は長い息を吐いて目を閉じた。彼が考えているのはきっと、この策を切る程追い詰められてしまった時の事だろう。


「ひとまず、彼らにこの作戦の事は伝えておきましょう。やれる事は、全てやっておく方が良いですから」


「……そうやね、抜かりなく頼むんよ」


 続け様にされた凌月の提案に、虎斌は非常に緩慢な動きで首肯した。どう考えても、この策は選ばれた朔牙隊(さくがたい)に負担をかける策だ。本当であれば、使う事が無いのが一番なのだが。


「――! だったら、今から僕と珀様で伝えてくるよ! どーせ珀様が考えてたのはその一個だけでしょ? 珀様じゃまだまだ凌月に適わないんだし、ここに居ても意味無いって!」


 と、そこで声をあげたのは、いつの間にか言い合いをやめて凌月と虎斌の会話を聞いていた■であった。彼は地図が置かれた台へばんと手をついて、名案だと言わんばかりに瞳を煌めかせている。


「っ、■!? あんたホンマいい加減にしぃ……!」


 最初だけは■の提案を大人しく聞いていられた虎珀であったが、理由として付け加えられた言葉に思わず声を荒らげる他無い。


「ふふふ、そんな事はありませんよ、■。姫様は既に立派な一人前の軍師です。お見事な着眼点でした、敬服致します」


 凌月は優しい笑みをその口元に浮かべると、まるで主を小馬鹿にする様な態度を取る■を窘めた。それから彼は両手を袖の中に納めると、虎珀を敬う様に静かに頭を下げた。


「はいはいおべっかご苦労さま〜……っと、じゃあ珀様連れてくね! 虎斌様も凌月も頑張って〜!」


 しかし、窘められた側の■には凌月の言葉が全く響いていない様であった。■は面倒臭そうに手をひらひらと振ると、途端にぱっと笑顔になって虎珀の手を掴む。


「ちょっ、■! ■――――――――っ!」


 そうして走り出した■を止める術を虎珀は持たず、ただ引き摺られる様に走り出しながら叫ぶ他無かったのであった。

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