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陰陽亭〜安倍緋月の陰陽奇譚〜  作者: 祇園 ナトリ
第四章 四ツ宮編
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十話 昔馴染み?

「――――っ!」


 ヤタの言葉――()()()と、麒麟の事を呼び指した事に、一瞬で代表と看守の間に緊張が走る。先程の事もあり、氷雨は彼女を白眼視。

 けれど、どうにもハクは、ヤタの様子がいつもと違って見えて。いつもの様に軽口を叩く気にならなかった。


「……なんですお前達。麒麟の配下の癖して、あいつの得意な術も知らないんですか?」


 いつもと違う、冷ややかな視線。それは、彼女が()()()()()()()()()()()に作る顔で。でも、何処か違う。今のヤタの表情には、何処か痛切が入り交じっていた。


「待って、おヤタ。何で……何でそれをアンタが知っとるん?」


 麒麟は、代表達の様に現し世へ呼ばれて顕現(けんげん)する事は無い。故に、彼女が持つ力――ましてや得意な術など、知る(すべ)は無いはずなのに。


「…………。……今は、関係ないでしょう」


 ハクの疑問に押し黙り、深く息を吐くと共に目を閉じて、やがて、ヤタは黙秘を選択する。選ばれた選択肢に、ハクは納得出来ないと無言で訴えた。


「……行きゃじきに分かりますよ。どうせアイツの事ですから、高い場所にでも居やがるんじゃねぇですか? ほら、誰でもいいから案内しやがれください」


 その視線に耐えられなくなったのか、ヤタは開けた目を逸らすと、そのうち分かると小さく呟いた。それから強引に話を変えるように、先程までより大きな声を出すと、ふいと背を向ける。歩き出さないのは、この地に関する知識が無いからだ。


「高い場所っていうとぉ……僕がいつもサボ――……こほん、休憩してる所から見える浮遊島ですかねぇ?」


 一段と重くなった空気を払う様に、龍は敢えて呑気な声をあげた。途中口が滑りかけたのは演技では無い。


「龍貴様……」

哥哥(にいさん)……」


 しかしそのお陰で約二名の緊張感が半減し、代わりに突き刺す様な呆れの視線が龍へ向けられる。


「えぇ〜なんですかぁ〜! 一番高い所って言ったら、絶対あそこですよぉ!」


 龍はそのまま、発言を疑われたとわざと勘違い。ぷりぷりと怒って見せれば、そっちは疑っていないと失笑が起こった。


「モウ、本当にだらしないんダカラ……。とりあえず行ってみまショ? あの方が話を聞いてくれるかはわからないケド……」


 兄がこうして道化を演じるのはいつもの事。彼は重たい空気が大の苦手なのだ。だから、気付かないふりで呆れて、美藍は浮遊島まで足を運ぶ事に賛成する。


「それもそうだな。――おい龍、案内しろ」


「うわぁん扱いが雑ですよぉ!」


 四ツ宮にはいくつか浮遊島がある。故に、龍でなければ彼の頭に思い浮かんだ浮遊島がどれなのか分からない。

 未だに冷ややかな視線を送る氷雨に急かされ、龍はわざとらしい泣き真似をしながらも歩き始めるのであった。


****


 半透明の輝く階段を上り、一行はようやく一際大きな浮遊島へ。そうすれば、薬草園を角楼(かくろう)の屋根から見下ろしている女神の姿が。


「――っ! 見つけましたよ……!」


 それを認めた瞬間、炎神の激情がゆらりと燃え上がる。


「あっ! ヤタ待っ――……」


 ヤタの感情の変化を感じ取った緋月は、慌てて彼女を止めようとするももう遅い。緋月が声を掛けるよりも早く、ヤタはその翼を打っていた。


「て、め、ぇ、で、す、ねェッ!? ヤタさんに嫌がせしやがったのはァ!?」


 流星の様に空を駆けて、瞬く間に麒麟の元へ。いつの間にか、声を荒らげるヤタの手には三又焔(みつまたほむら)が握られていた。


「ちょっ……アホガラス!?」


 突然の蛮行。思わず声をあげたハクは肝を冷やした。

 だが、よく見れば麒麟に突き付けられた槍は、彼女の細い人差し指によって止められている。


 代表と看守の間に再び走る緊張。類を見ない無礼だ、怒れる麒麟によってヤタが八つ裂きにされたっておかしくは無い。


「――ふ」


 だが、流れる空気とは裏腹に、麒麟は軽く鼻を鳴らすのみ。それどころか、いつも無表情の彼女の口元は、幾らか上がっているようにも見えた。


「少々揶揄ってやろうかと思ったが、手元が狂ったのだ。許せ――蓮希(はすき)


 蓮希と、麒麟はヤタを知らない名で呼んだ。

 瞬間、ヤタの顔に酷く傷ついたような、酷く怒ったような表情が浮かぶ。


「――ッ! その名前で呼ぶなッ! 今の私の名はヤタですッ! その名はとっくに捨てたんですよ……ッ!」


 止められた三又焔を下ろし、その柄を音がなりそうなくらいぎゅっと握りしめたヤタは、何故か泣き出しそうな声で叫ぶ。


 緋月が知らない、捨てた名前。きっと、それはヤタ自身の真名で。

 けれど、彼女は「自身の真名はヤタだ」と強く叫ぶ。緋月に与えられた名が本当の名前だと、力強く叫んでいる。


「は、名前一つでそう簡単に存在が変わるものか。()()()()、我の中で貴様は永久(とこしえ)に蓮希――……」

「次その名を呼んだら、切り伏せますよ」


 もう一度、麒麟は捨てられた名前を呼び上げた。瞬間ヤタの獲物が彼女の首元へと向けられる。低く唸るヤタの声には、それが本気だと感じさせられるものがあった。


「ヤタっ!」


 だから、緋月は駆け寄って、彼女の名を呼んだ。彼女が、ヤタが間違いを犯す前に。


「……! ……すいません、緋月。少々熱くなりすぎました。忘れてください……先程の事、()()


 名前を呼ばれて、ヤタは肩を震わせた。それからはっとしたように再び獲物を下ろすと、今度は角楼の上から降り、緋月の目の前でしおらしくなる。


「うん、だいじょーぶ。あたし、ヤタが嫌だって言う事は絶対にしないよ」


 忘れて欲しいと言われた中には、きっと聞こえてきた名前も含まれているのだろう。どうしてだろうか、何故だかヤタは、真名を知られる事を恐れているように見える。

 だから緋月は、彼女を安心させるように咲笑った。心配する事は何も無い、自分は何も言わないからと。


「緋月……」


 そうすれば、ヤタは酷くほっとした様な表情で主の名を呼んだ。


「でーも! 怒ったからっていきなり槍向けるのはだめだよ! 同じ神様が相手でもすっごく危ないんだから!」


 しかし、それとこれは別の話だ。緋月はぱっと表情を変えると、腰に手を当ててヤタを叱る。


「うっ……そ、それは……申し訳ねぇですけど……」


「謝るのはあたしにじゃなくてきりん様にでしょぉ!」


 途端にヤタは狼狽えて、何度も瞬きをしながら目を逸らし、ちょんちょんと指の先を突き合わせる。零された謝罪は緋月へのもの。故に、緋月は自分ではなくて麒麟へ謝れと促した。


「なっ……なんでヤタさんがあんな奴に!? いくら緋月の命でも絶対嫌ですが!? というかそもそも先にやったのはあいつです!」


 緋月の言葉に今度は目を剥いて、ヤタは何とも反抗的な態度。子供の様に駄々をこねて、あいつが悪いと何度も麒麟を指さした。


「ちょっとヤタってばぁ! もー……ごめんね、きりん様ぁ」


 そのうちぷいっと顔を逸らしたヤタを見て、緋月は仕方なく彼女の代わりに謝罪を口にする。全く、何がそんなに彼女を意固地にさせるのだろうか。


「我と其奴は昔馴染みだ。不遜な態度は昔から故、我は特に気にしていない」


 しかし、意外にも角楼の屋根に腰掛けたままの麒麟は気にしていない様子。薄々察してはいたが、やはり彼女とヤタは知り合いのようだ。


「でも、きりん様もいけないんだよ!」


 それから、緋月は麒麟に対してもお叱りの体勢をとる。喧嘩両成敗、緋月の中に「偉い存在だから叱らない」という選択肢は無い。


「――? 我も、か?」


 興味深そうに、金色の瞳が揺らめいた。現に麒麟は、自身に全く非は無いと思っている。


 はて、果たして自分は何故(なにゆえ)叱られている。この小さな娘から、一体どのような言葉が飛び出してくるのだろう。そんな期待が、麒麟の心中に渦巻いていた。


「そうっ! いくらお友達でも、意地悪はしちゃだめだよ! ヤタがやめてって言ってるんだから、その時はちゃんとやめてあげなきゃ!」


「――! 友、か……」


 友達。そう言われた瞬間、麒麟は心底驚いた様に目を見張った。それから、その言葉を大事に大事に噛み締める様に目を伏せて、口元をほのかに綻ばせる。


「……ふ、そうだな。……先程は済まない事をした――ヤタ」


「……いいえ」


 麒麟はふわりと屋根から降りて、面と向かって自身の非を詫びる。ちゃんと、緋月の知らない名前ではなく、ヤタと友の名を呼んで。

 一方のヤタは、目を合わせようとせず、しかし緋月の前であるので仕方なく謝罪を受け取る。そもそも麒麟が頭を下げてはいないのだ。こちらが誠意を見せる必要も無い。


「……それで、貴殿らは何用だ。態々(わざわざ)先代朱雀代表の娘を連れ出して迄我の元に来るなど、余程火急の件なのだろうな?」


 緋月による喧嘩両成敗は一段落。そうすれば、次なる標的は代表と看守、それから氷雨の結界に守られたいかるだ。


「っ、そ……それは、その……」


 冷たい瞳に射抜かれ、ハクは思わず狼狽える。今の彼女に「必要()()()()()()から記憶を思い出させて欲しい」と頼んで、果たして聞き入れて貰えるのだろうか。

 言い淀むハクに麒麟は目を細めた。確実に機嫌を損ねてしまったのだろう。ハクは怯えた様にきゅっと目を瞑った。


「……だぁっ、もう! お前もいい加減その高圧的な喋り方を治したらどうです!? というかあれ程時間があって未だに治ってないんですかそれ!?」


 そこで、声を張り上げたのはヤタであった。

 麒麟がヤタ自身に対して無礼を働くのも腹が立つが、普段であれば自分をからかってくるはずの相棒にあんな表情をさせるのも気に食わない。そもそも、あれ程やめろと言ったはずの口調が治っていないのが何より不愉快だ。


「何……? 十分治しただろう。我は十分だ」


 しかし、当の本人は全く気が付いていない。何千年前と変わらない口調で「十分変わった」とほざいている。


「そんな高い所から見下す様な態度の何処を見て言ってやがるんですか!? てめぇが十分でも他の眷属神からすれば恐怖の塊でしょうがドアホ!」


「……そう、なのか」


 思い切り声を荒げれば、麒麟の顔に走る衝撃。相変わらず、他人の気持ちを考えられない厄介な奴だ。


「……それは、済まなかった」


「ヤタさんじゃなくてあいつらに謝りやがれください」


 しょげた様に謝る麒麟。そんな彼女に対して口から自然と出たのは、先程主から言われたばかりの言葉だ。


「……皆、済まなかった。だが、我は散々好きにせよと云っていた筈なのだが」


 渋って拒否を決行したヤタとは違い、麒麟は素直に眷属神達に向き直って謝罪を口にした。余計な一言を付け足して。


「謝りながら開き直る馬鹿が何処に居るんですか? と言うか何故それで伝わると思ってんですか? 何処まで自己満足の塊なんですかてめぇは?」


「何だと?」


 その瞬間、怒りを露わにして麒麟を詰めるヤタ。彼女の言葉に、麒麟は心外だとでも言いたげに眉を(ひそ)める。しかし今回ばかりは、ヤタの言い分が正しい。


「ったく、どうしようもねぇドアホですねお前は! ……ハクと、それからその他諸々。こいつは顔も怖いし態度も高圧的ですが、本当は言葉選びと距離感の掴み方が致命的に下手くそなだけなんですよ。なので、そこまで畏まらなくてもいいとヤタさんは思います」


 麒麟を怒鳴りつけたヤタは盛大にため息をつくと、未だ怯えた様な表情を浮かべている相棒の方へと向き直る。それから、こいつはとんでもなく他人と接するのが下手くそなのだと明かした。


「エ、エェト……」


 当惑した様な声を漏らすのは美藍。彼女が困るのも無理は無いだろう。今までの麒麟の態度はただ言葉選びを間違ってきただけで、恐れる必要などは何も無い、と急に言われても、その「今まで」の期間があまりにも長すぎた。麒麟を恐ろしい女神と認識するには十分な時間である。


「……あたしも、きりん様は悪い人じゃないと思うなぁ。確かに、じー様に怖い事言ったりヤタに意地悪したりするけど、じー様にあんな事言ったのはそれくらい助けて欲しかったって事だろうし、ヤタの事だって普通のお友達みたいにお話したかっただけって事でしょ?」


 流れた沈黙に、緋月は思わず助け舟を出す。何となく、それは何となくの感覚だが、緋月は別に、麒麟の言葉や態度が相手を恐縮させたくてやっているものには見えなかったのだ。

 祖父を脅す様な言葉を選んだのは、自身がそれ程まで困っている事を伝えたかったから。ヤタを怒らせる様な言葉を選んだのは、軽口を言い合う様な仲に憧れたから。ただ、致命的なまでに選んだ言葉が悪かっただけ。何となく、そんな気がした。


「――! 貴殿は……何故、其れを」


 緋月のそんな感覚は正しかった。まさに図星、麒麟は目を見開くとまじまじと緋月を見つめる。

 どうしてこの様な小娘が、まさか、心を読んだのではあるまいな。


「だってきりん様、ヤタの事お友達って言った時、すっごく嬉しそうな顔してたでしょ! だから、本当はちゃんと仲良くしたいのかなぁって……」


 否、緋月が読んだのは表情だ。傍から見れば、ほんの少しだけ口元を綻ばせただけ。たったそれだけの変化。それだけの変化で、緋月は麒麟の高圧的な言葉の裏に隠されてしまった本心を読み取ったのだ。


「……成程。確かに、敵わん」


 安倍緋月には敵わない。


 それは、代表達の会話に耳を(そばだ)てた際に何度も聞いた言葉であった。他でもない、安倍晴明がその言葉を口にしていた事もある。

 麒麟はようやく、その言葉の意味を真に理解した。


「――代表共。済まなかった。話を聞かせろ……否、聞かせてくれないか……か?」


 それから、麒麟は代表と看守達の方へ向き直って、ぎこちない言葉を口にして、何よりもっとぎこちない笑みを浮かべた。

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