八話 檻の中の少女
「い……かる……いかる!?」
しん、と落ちた静寂を食い破るのは美藍。彼女は糸目をかっと見開くと、檻越しにこちらを見つめる少女の元へと駆け寄った。
「あね様……久しぶり、かしら」
小さな手が、檻を掴んだ美藍の手に触れた。すっかり冷えきった手に、美藍は思わず怒りを燃え上がらせる。
「ッ、どういう事!? 説明しなさい氷雨!」
糸目を見開いて、きっと氷雨を睨み付ける美藍。知らない言語を叫ぶその口元には、鋭利な牙が覗いていた。
「落ち着きなさい美藍、僕にしか伝わりませんよ」
今にも焔でも吐きそうな彼女を宥めるのは龍であった。対の妹に浴びせるのは、あくまでも冷静な声。
「……っ、对不起。取り乱しマシタ。デモ、どうシテ……」
対に叱られ、ようやく美藍の混乱は鎮まる。彼女はしゅんとすると、いつもの様に目を細めて檻の中のいかるへと視線をやった。幼い少女は、檻に手を触れたまま動かない。
「……そん子、小紅の娘……なんね? なんで、こんな所に……」
不意に、ハクが静かに呟いた。どうやら、いかるに見覚えがある様だ。緋月は、ハクの口から飛び出してきた知らない名前に首を傾げる。ちらりと紅葉の方を見たが、それはどうやら彼女も同じの様だった。
「まぁ、朱雀宮の者は神獣朱雀の影響で正気を失っているからな。仕方の無い話だ」
「っ、デモ! いかるは正気なんか失ってないじゃナイ! 現に会話だってチャント……!」
目を逸らした氷雨の言葉に、すかさず美藍は噛み付いて、彼の胸ぐらを掴む。いかるは正気を失っていない――それは、目の前の少女自身がしかと証明していた。だったら、閉じ込めておく必要なんて。
「ち、違うのだわ、あね様。いかるは……神獣玄武に、助けてもらってるのだわ」
だが、吼える美藍を諌めたのはいかるであった。先程まで全く動かなかった表情を、少しだけ焦燥に染めて、美藍の勘違いを正そうとする。
「どういうコト……?」
ただ呆然と美藍は呟く。その手に込められた力が緩んだのを感じて、氷雨は迷惑だと言わんばかりに身を捩った。小さく「对不起」と呟いて手を離す美藍に対し、氷雨は軽く鼻を鳴らす。
「……立ち話もなんだ、詳しい事は中で話そう。――白雪」
氷雨はその事に関して怒る事は無かった。代わりにため息をつくと、何故か檻の中へと入る事を提案する。彼はそのまま杖を錠前へと向けると、何者かの名前を呼んだ。
「――――!」
すれば、杖に巻き付いていた彫刻の蛇が動き始める。――否、それはしかと命を宿した生物だ。
この錠前は特殊な錠前である。玄武の眷属神の中の、特段上級の位を持つ者しか連れ添えない白蛇にしか開ける事の出来ない錠前だ。
「わっ……!? そ、その蛇さん生きてたの!?」
「フン、当たり前だ。……どうだ? 白雪は世界一美しい白蛇だぞ」
信じられない様な現象に緋月が目を丸くすれば、氷雨は誇らしそうに口の端を上げる。それから彼は指先を緋月へと向けた。その手のひらに白蛇は頭を乗せ、ちろちろと挨拶するように舌を出す。
「わぁ〜久しぶりに見ましたぁ、氷雨の蛇バカ」
「うんっ、すっごいきれい!」
「ふ、だろう。……っと、話が逸れたな。とにかく入れ、話はそれからだ」
煽ってくる龍は無視。目を輝かせる緋月にのみ返事をし、氷雨は自身で逸らした話の軌道を修正した。それから指先で白雪の頭を撫でると、きぃと音を立てる牢の扉を開くのであった。
◈
氷雨に続いて、一歩踏み込む。瞬間、緋月達を包む空気が変わった。
「……えっ!? あれっ!?」
「なっ……どうなってんだこれ!?」
緋月も紅葉も、思わず声を上げる。
外から見えていたのは、冷たくて殺伐とした牢屋。しかし、足を踏み入れ途端にその景色は消え失せ、姫が住まう様な豪勢な部屋が現れる。
「これは……神獣玄武の力、なんね? 結界の中身を全く別のものに見せる……こんな事出来るの、神獣玄武しか居ないんよ」
そんな二人とは違い、表情を変えないままハクはぽつりと呟いた。昔から、それこそ晴明に仕えていた頃から玄武代表――夕凪の手腕は目にしていた。しかし、こんな芸当が可能なのは神獣だけだ。
「ご名答ぉ。まさか、罪の無い者を無骨な牢に入れる訳にもいきませんからねぇ。あ、ちなみに模様替えは僕がしましたぁ!」
そんな呟きに是と返したのは龍だった。彼はにこにこと嬉しそうに、既に細い目を更に細めると、聞かれていない事まで口にする。
「罪の無イ……?」
「ろんの言う通りかしら、あね様。本当に、いかるは守ってもらってるだけなのだわ。あに様にも、感謝しか無いかしら……」
羅漢床に腰掛けていたいかるは立ち上がると、からんころんと特殊な形の下駄を鳴らして美藍の側まで歩み寄った。その腕には、鎖など嵌められていなかった。つまり、美藍の案ずる様な事など一つも起こっていないという事だ。
「……毎度思うんですけどぉ、小藍があね様なら、あに様は僕じゃないんですかぁ?」
そんな中、何を思ったか全く関係無い問いで水を差したのは龍であった。ハクの軽蔑する様な視線が彼へと突き刺さる。
「――? どうして、いかるがろんを敬わなくてはならないかしら」
いかるは首を傾げると、心底理解出来ないといった表情で龍の言葉を切り捨てる。それを聞いた美藍が吹き出すのと、氷雨が鼻を鳴らすのは同時であった。
「ふっ、それは同感だな。俺は気にしないから、いかるの好きに呼ぶといい」
「フフ……ワタシもいかるの好きにして欲しいワ」
「――? もとよりそのつもりなのだわ」
「え〜ん酷いですよぉ!」
あまりな対応に龍がわざとらしく泣き真似をすれば、もう一度笑いが起こる。どうやら、緊張した空気はすっかり解れた様だ。
「……それデ、いかるは何でこんな所にいるノ? 守ってもらってるッテ、一体何カラ?」
一頻り笑った後、美藍はふと思い出したかの様にいかるへと尋ねた。その表情は先程までと違い、柔らかいものになっている。しかし、尋ねられた側のいかるは悲しそうに目を伏せた。
「いかるは……朱雀宮から、逃げ出してきたのだわ」
そうして、少女が口にしたのはそんな言葉。彼女の声に混ざるのは微かな恐怖。きゅっと小さな手で拳を形作ったのを見て、美藍も眉を顰める。
「……? でも、神獣の朱雀様の影響で、眷属の皆も正気を失っちまってたんだろ? 一体どうやって……」
「……あに様、この方たちはどちら様なのかしら」
不意に、紅葉の口から疑問がこぼれ落ちた。それを耳だけで拾ったいかるは、ただじっと紅葉へ視線を送りながら、近くにいた氷雨の袖を引く。
「ん? あぁ……彼女らは協力者、晴明の孫娘達だ。安心しろ、害など無い。狐の娘が緋月で、藍の服の娘が紅葉だ」
それを不安と解釈した氷雨は、そっといかるの頭を撫でながら答える。目線こそ合わせに行かないものの、その手つきはいかるを可愛がっている事がありありと現れていた。
「なるほど、通りで知らない顔なのだわ。……はじめまして、いかるはいかる。先代の朱雀代表の娘にして、真なる神、かしら」
しゃりん、と服の裾に付けられた大きな鈴が鳴る。いかるが緋月と紅葉に向き直ったのだ。そうして彼女は、ただ背を真っ直ぐに伸ばして名を名乗る。年齢は緋月よりも幼く見えるが、いかるの放つ威厳は相当なものだ。
「しんなる、かみ……?」
「人神やなくて、ホンマの神様って意味なんね。人神と人神の間に子が宿れば、そん子はれっきとした神として生まれてくるんよ」
案の定首を傾げる緋月に、ハクは微笑みながら解説した。つまり、この場にいる真なる神はヤタといかるの二柱という事になる。
「……! なるほど、だからいかるは眷属神じゃなくて、元から神獣の影響を受けてなかったって訳か!」
その説明は紅葉の理解にも繋がった様だ。彼女はぱちんと指を鳴らすと、納得顔で理解した事を口にした。
「そうなのだわ。……紅葉、だったかしら。なかなか、頭が回るのだわ」
「え……あぁ、ありがとな」
いかるはぱちぱちと桜色の瞳を瞬かせると、素直に紅葉の事を褒め称える。突然の褒め言葉に紅葉は一瞬戸惑ったが、すぐにこちらをじっと見つめるいかるに微笑み答えた。
「で、お前は逃げ出してきたと言いましたよね。結局、どういう事なんです?」
緩みかけた雰囲気をすぐに引き締めるのはヤタだ。彼女は虫の居所が悪いのか、その態度は何処か高圧的で素っ気ない。だが、いかるはそんなヤタに臆する事無く、ただただ真っ直ぐと前を見据えて答える。
「言葉の通り、なのだわ。いかるは命からがらにげだしたかしら。――神獣朱雀に、殺される前に」




