二話 麒麟様、ご降臨
「――っ!」
女神の――麒麟の姿を認めた途端、ハクがその場に傅いた。否、ハクだけでは無い。連絡鏡の向こう側では、美藍や夕凪までもがその頭を垂れていた。
「良い、代表共。面を上げよ」
麒麟はそれを一瞥し、表情を変えず淡々と告げる。すれば、四神達は強ばった面持ちのまま顔を上げた。
「麒麟……。もしや、四ツ宮の唯一神で在らせられる麒麟様、ですか?」
彼女が口にした名前、それから四神達がとった態度から、十六夜はその事を推測する。同じ唯一神と言えど、相手は恐らく天津神。十六夜の声には緊張が宿っていた。
「そうだ。有り体に云えば、我は貴殿らの云う唯一神。四ツ宮を纏める最高神だ。それから、貴殿の事は存じている故、態々云わなくても良い」
麒麟は片手で頬杖を付いたまま、是と答える。同時に、十六夜の事も知っていると告げた。
「それは……光栄です」
故に、両の腕を互いの袖に隠して、一礼。何が彼女の機嫌を損ねるか分からない。その為か、十六夜の動きには硬さがあった。
「……白虎代表よ、云いたい事が有れば好きに云え。ここは四ツ宮では無い、我の許可を得る必要は無い」
ふ、と麒麟の視線がハクへと向けられる。彼女がじっと何かを言いたげに麒麟を見つめていた事に気付いていたのだろう。聞き慣れない呼び名を向けられたハクは、小さく肩を震わせた。
「っ、はい……。せやったら、一つだけ聞きたい事が……。何で、麒麟様ともあろうお方がこんな所まで来はったん?」
いつもであればどんな相手にでさえ強気に出るハクであったが、この時ばかりはそうもいかなかった様だ。出来るだけ、下手に。緊張と僅かな怯えを宿した瞳には、そんな意思がありありと現れていた。
「嗚呼、それは簡単な事だ。我の目的は唯一つ。――借りを返して貰うぞ、安倍晴明」
そう言い放つ麒麟は、ただ真っ直ぐと連絡鏡の先にいる晴明を見つめていた。煌めく金色の瞳は揺るがない。
「……っ!?」
それから悠々と立ち上がると、息を飲む十六夜の横をすり抜けて、連絡鏡の真正面まで歩み寄る。彼女が歩くのに合わせ、高く結った生成色の髪が揺れていた。
『ん? もしかしてそこにいるのは麒麟君かい?』
そこでようやく晴明も麒麟の姿を捕捉した様だ。もしかしてなどと口にする反面、その表情は大して驚いている様に見えない。恐らく、わざとおどけて見せているのだ。
「ふむ……随分と薄くなったな、晴明よ」
そんな事は気にも止めず、麒麟は物珍しそうに連絡鏡を観察する。裏側を覗き込んでみたり、側面の厚みを気にしてみたり。その姿は何処か、新しい玩具を与えられた幼子の様であった。
『やぁ、久しぶりだね! 残念だけど、君が今見ているのは連絡鏡――つまり、遠く離れた場所にいる者と連絡を取る為の術具だよ。あぁ、鏡面には触れないでおくれよ』
対する晴明は朗らかに笑う。それから、見知らぬ物に興味津々の麒麟へ説明を施した。勿論、鏡面に触れようとする麒麟を諌めるのも忘れない。
「――? 何が云いたい」
けれど、麒麟にはいまいちぴんと来なかった様だ。彼女は手を引っ込めながら不思議そうに首を傾げると、無表情のまま聞き返した。
『端的に言えば、僕はその場に居ないって事だね! それに、今は戻るのも少し難しいんだよ』
「……何?」
晴明は麒麟相手に一歩も臆する事無く、あっけらかんと言い放った。麒麟の眉がぴくりと動き、陰陽亭内は極度の緊張状態に陥る。
「なっ……」
焦った様に声を漏らしたのは十六夜だ。麒麟が目の前にいては、怒鳴りたくとも怒鳴れない。ハクも瞠目したまま口元を押さえる事しか出来なかった。
『申し訳ないのだが、僕は今、絶賛別の用事で忙しくてね。亡き友人に頼まれた事なんだ。中途半端なまま放り出す訳にもいかなくてね』
その空気の変化を察してか知らずか、晴明は連絡鏡越しの麒麟の瞳を真っ直ぐと見つめながら理由を告げる。
彼が浮かべる笑みは、いつもの様な適当なものでは無く、真剣である事がしかと伝わるものであった。
「……そうか、理解した」
しばしの沈黙。やがて麒麟は首を縦に振った。けれど、彼女がしたのは理解であり、納得では無い。
「ならば、貴殿の所為で命を落とした先代の朱雀代表が関わっている、とでも云えば貴殿は動くか?」
神は、何よりも理不尽だ。麒麟は顔色も変えずに、最早脅しともとれる言葉を付け加える。
『…………!』
意表を突かれて、晴明は瞠目する。その口元が「それは」と動かされるが、声になっていないのか、こちらまでその言葉が届く事は無かった。
「……っ、待って、下さい」
「――? どうした、白虎代表」
そんな、有無を言わさぬ様なやり取りに水を差したのはハクであった。麒麟はちらりとハクを見やると、待ったを掛けられたのが不思議だと言わんばかりに問い返す。
「……晴明は今、ほんまに大事な用事の最中なんです。戻るんやったら、ウチが戻りますから」
ハクは、晴明に遺された言伝の内容を知っている。晴明が、彼の死に目に逢えなかった事も。全てが終わった後、自分がその場にいたら、と天嵐の墓の前で晴明が悔しそうに零した事も、ハクは知っている。
だから、晴明の代わりに自分が。そう立候補した。
「貴様が戻って何になる。我が欲しているのは安倍晴明の協力だ」
「っ、それは……」
だが、その意見も一蹴。麒麟は取り付く島を見せる素振りも無く切り捨てた。確かに、晴明とハクでは出来る事の差が激しい。ハクは反論も出来ずに黙り込んでしまった。
「……えーっとそれじゃあ、じー様の代わりにあたしが協力するってのは駄目なのかなぁ?」
そんな麒麟が場の空気を支配する中、呑気に突拍子も無い意見を挙げたのは緋月であった。緋月はぱや、と首を傾げ、べっ甲の様な瞳を麒麟へと向ける。
「ばっ……緋月……!」
紅葉が止めるももう遅い。麒麟の視線は、すっかり緋月の方を向いていた。
「……貴殿は?」
だが、麒麟の方もそこでようやく緋月を認識したらしい。彼女も同じ様に首を傾げると、緋月が一体何者なのかと問うた。
「あたし? あたしは安倍緋月! じー様の孫娘だよ!」
「……ほう、孫が居たのか」
元気よく答える緋月の言葉を受けて、初めて麒麟の表情が動いた。僅かに瞠目、それから視線を少しだけずらして思案顔。
「貴殿は強いのか?」
しばしの逡巡の後、繰り出された問いは緋月の強さについてであった。どうやら、緋月の案はかなり肯定的に捉えられたらしい。
「えっ、うーん……どうだろ? あたしは分からないけど、ハクとヤタはすごーく強いよ! あと紅葉も!」
問われた緋月はぱちくりと瞬きを繰り返す。緋月はいつも、戦闘は式神達に任せっぱなしなのである。最近では紅葉にまで下がっていろと言われる始末。
故に、頭に思い浮かんだ名を挙げれば、麒麟は興味深そうに僅かに口の端を上げた。
「……ほう? 紅葉と云うのは、其の娘か?」
それから、ついと指差すのは、先程まで緋月と同じく認知していなかった紅葉だった。
「っ、は、はいっ! おれ……私が紅葉です! え、えっと、同じく爺さ……晴明様の孫娘で……!」
指名された紅葉は慌てに慌て、しどろもどろになりながら何とか答えようとする。彼女にとって神は親しい存在。だが、それは十六夜の様な人神に近しい者達に限った話だ。
つまるところ、紅葉は麒麟の放つ威厳と雰囲気に、すっかり気圧されてしまっていたのである。
「良い、畏まるな。……ふむ、貴殿は鬼か、それと同等の化生だな?」
そんな紅葉を見て、麒麟は小さく鼻を鳴らした。そのまましばし彼女を眺めた後、麒麟はぴたりと紅葉の正体を言い当てた。
「へ!? は、はいっ!」
まさかそんな事を言われとは思っていなかった為、紅葉は目を丸くして驚く。慌てて返した声はすっかり裏返ってしまっていた。
「それからハク――白虎代表と……ヤタ、か。……ふ、面白い。良いぞ、この際貴殿らでも構わない。力を貸せ、安倍晴明の孫娘共よ」
麒麟の視線はハク、それからヤタへ。意味有りげに細められた瞳、その口角が僅かに上がっているのを認め、ハクは内心で意外に思っていた。
「うんっ! 任せて、きりん様っ!」
「我は一足先に四ツ宮へ戻っている。準備を済ませてから来ると良い。ではな」
その微量な変化も、緋月の言葉ですっと元の無に戻る。麒麟はそう言って踵を返すと、陰陽亭の出入口を通る前に、まるで溶ける様にふっと消えてしまった。
「……っ、信じられない……! 貴方はまた勝手に……! 緋月達を悪戯に傷付けるつもりですか!?」
一気に解ける緊張。未だに緊張が残っているのか、声を荒らげる十六夜の声量はいつもより小さかった。
『……いや、そんなつもりは無いさ。僕だって、早急にこちらの用事を片付けてから行こうと思っていたよ』
対する晴明に、いつもの様に笑い飛ばす余裕は無いようだ。何処か痛みを堪える様な表情で、顎に手を当てたまま視線を逸らす。
「十六夜」
「っ……」
そんな十六夜を窘めるのは、唯一この場で全ての事情を知っているハクであった。ハクは青の里での出来事だけではなく、先代朱雀代表の事に関しても知っている。
故に、あの麒麟が放った刺すような言葉の切れ味も分かっているつもりだ。
「あれ……あたし、余計な事しちゃった……? うぅ、ごめんなさぁい……あたし、ハクがあんな顔してるの放っておけなくて……」
始まってしまったぴりぴりした雰囲気に、緋月はようやく状況を察して耳を伏せる。指の先をちょんちょんと突き合わせると、しゅんとしたまま謝罪と言い訳を口にした。
「緋月ぃ……!」
「緋月……!」
その純粋無垢な言い分を聞いた途端、先程まで陰陽亭を包んでいたひりついた空気は霧散した。感動した様な声をあげた十六夜とハクは、同時に緋月をぎゅっと抱き締める。
「わぷっ!? な、何でおにぃまでぇ!?」
「よしよし……緋月は悪くないよ。全部悪いのはお爺様だからね……」
そう言って緋月の頭を撫で回す十六夜の目尻には涙が浮かんでいた。言葉の最後に嫌味を付け足して、呆れた様子のハクに頭を小突かれている。
「ってか緋月! 俺の名前を勝手に出すな!」
十六夜が静かになったと思えば、今度は紅葉が怒り出す。だが、彼女の怒りも最もだ。現に紅葉の顔には、急に天津神の眼前に突き出される気持ちにもなれ、とはっきり書いてあった。
「あっ、ご、ごめん! 何か言わなきゃって思ったら、紅葉の名前が無意識に……」
「はぁ、ったく……。まぁ、どの道緋月が行くってんなら、俺も行かない訳にはいかねぇしな」
それに気が付いた緋月は慌てて謝るが、別に紅葉は納得していない訳では無いらしい。やれやれと首を振ると、しょうがないな、と言う様な笑みを浮かべた。
『……僕も後に合流するよ。けれど気を付けて、緋月、紅葉。彼女が僕の力を借りたいだなんて、きっと相当の事情があるに違いないからね』
連絡鏡越しの晴明は、僅かにいつもの調子を取り戻した様に笑うと、二人の身を案じる様に眉根を下げた。
彼は、自身の持つ力の強大さを理解している。その力を欲する事態など、安全である訳が無いのだ。
「うんっ! 大丈夫だよ! ハクもヤタも一緒だし!」
その言葉に、また背後から抱き締めているハクの袖を引っ張って、緋月は何処か得意顔だ。
「ん、何があっても緋月と紅葉だけは守るんよ」
ハクもいつもの様な穏やかな笑みを浮かべて、必ず守ると誓いを立てる。
「…………」
だが、いつもの様に言葉を返したのは、ハクだけで。式の片割れであるヤタは、何故か額に皺を寄せ、その口元を一文字に結んでいた。
「……ヤタ?」
彼女か浮かべるにしては珍しすぎる表情に、きょとんとした緋月がその名を呼べば、ヤタはびくりとその肩を震わせた。
「……っ、ああ、すいません。そうですね、大丈夫です。ヤタさんに任せなさい!」
すぐにその表情は消えてなくなった。そうしていつもの様な明るい笑顔を浮かべるヤタだったが、その心の中で一体何を考えていたのか、それは誰にも分からないのであった。




