一話 十六夜、大噴火
「――? ハク、二階なんかあった?」
何やら物音を聞き付けた気がして、緋月は二階から降りてきたハクへと尋ねる。
「ん? 何もないんよぉ、大丈夫」
だが、彼女はふるりと首を振るうと、いつも通りの穏やかな微笑みを浮かべた。そのままハクは緋月の元まで歩み寄ると、ぎゅっと真正面から抱き締める。やはり癒しは緋月と紅葉のみだ。
「んー……? なんかこれ……しばらく店開けてなかったっぽいな」
不意に、食材の様子を確認していた紅葉がぽつり。残っていた食材は、どれも日持ちする物ばかり。最近使用された痕跡も無い。
「そう言えばさっき、表にこれが貼ってありましたよ。十六夜も忙しいんじゃねぇですか?」
そう言ってヤタが掲げたのは「臨時休業」と書かれた紙であった。緋月達が留守にしていた間、陰陽亭を切り盛りしていたのは十六夜だ。
「りんじきゅーぎょー……? おにぃ、なんかあったのかなぁ?」
つまり、そんな物が貼ってあるという事は、十六夜に何か優先的に取り掛からなくてはならない仕事が出来た、という事になる。ハクの両腕の隙間から顔を出した緋月は、きょとんとしたまま首を捻った。
「う〜ん……十六夜になんかある事なんて日常茶飯事やけどねぇ」
「ですね。アイツが忙しくしてない所なんて見た事ねぇですよ、ヤタさん」
緋月の言葉を受けた式神達から下されるのは散々な評価だ。当の本人が聞けば「好きでやっている訳では無い」と憤慨するだろう。
「っ、思い出した……。俺、夜兄さんに爺さんの事説明しなきゃいけねぇんだ……」
そうして、十六夜の名前を聞いた紅葉は、自身に説明の義務が課されている事を思い出した。別に紅葉に説明しろ、と言われていた訳では無いが、説明をするならばきっと自分が適任だろうと紅葉は思っていたのである。
「おにぃ怒るだろうなぁ……」
「だな……」
げんなりとする紅葉を見て、緋月も怒り狂う十六夜を思い浮かべる。
流石に緋月達に向かって声は荒げないだろうが、頭の血管が切れてしまうのではないかと思う程怒るのは目に見えているのだ。どちらかと言うと、心配する気持ちの方が強い。
「――――?」
不意に、緋月の耳が何かの音を捕らえた。それは、陰陽亭の外から。そう、今思い浮かべていた様な、聞き覚えしかない声が。
「ジジィ――――――――――ッッ!」
「びゃーっっ!?」
案の定、叫び声と共に陰陽亭へ殴り込んで来たのは十六夜であった。来るとは分かっていても驚かない訳では無く、緋月は思い切り飛び上がる。
「あぁ……緋月、紅葉……っ! お帰り、無事でよかった……っ!」
驚きに固まる緋月と紅葉を見た途端、十六夜の表情は一気に和らぎ、二人がよく知る兄の顔になって二人を抱き締めた。
「あ、お、おにぃ……! ただいまっ!」
「相変わらず大変そうだな……。とりあえずただいま、夜兄さん」
今にも泣き出してしまうのではないかという雰囲気の十六夜に、緋月も紅葉もただいまと言葉を返す。彼は生きている事を実感している様な面持ちだ。
「で……嗚呼クソッ! あのジジィはどこ行ったの!?」
だが、その表情もすぐに一変。十六夜は青筋を浮かべると、怒りの元凶である晴明の姿を探し始める。
「え、えぇと……それが……」
緋月と紅葉はお互いに目配せ。そして、気まずそうに、事情を説明するが為に口を開くのであった。
*
「――ッ! 信じられない……! 色々、もう、本当にッ!」
説明を終えた途端、鳴り響く打撃音。十六夜が突っ伏す勢いで手のひらを机に叩きつけたのだ。何度もばんばんと叩き付けながら、主に紅葉がした説明を反芻しているらしい。
「勝手に妖街道に封じた隠り世!? そのまま戦に介入してきた!? 本ッ当に何をしてるんだあんのクソジジィ……ッ!」
「ほー、見事な荒れ様ですね」
「やなぁ」
予想通りの荒れ様に、式の二柱は呑気に呟いた。まるで見世物でも見ている様な態度だが、実際は十六夜が怒り狂っているだけである。
「こうしちゃいられない……! 影津! 連絡鏡!」
「こちらに」
十六夜はがばりと身体を起こすと、いつから居たのか、いつの間にか彼の後ろにいた影津を呼ぶ。有能な影津は、十六夜が求めた連絡鏡を即座に手渡した。
「……? 何するの?」
何かを始めた十六夜の手元を覗き込んで、緋月がぽつり。彼が手にしているのは、何の変哲もない連絡鏡だ。
「こっちから連絡するんだよ。居場所さえ分かればこれが使えるからね」
やはり、十六夜は連絡鏡をいつもの用途で使うらしい。だが、それには問題が一つ。
「えっ、でも……俺達、連絡鏡なんて向こうに持ってってないぜ?」
緋月も紅葉も、恐らく晴明でさえも、青の里に連絡鏡は持ち込んでいないのだ。連絡鏡は、同じく遠く離れた場所にある連絡鏡へ、音声と映像を届けるものだ。連絡したい場所に連絡鏡が無ければ、意味が無い。
「ふふ、大丈夫だよ、紅葉。何せ連絡鏡を作ったのはあの人だし、向こうには水将の夕凪さんもいるんだ。繋げてやる……何がなんでも……」
だが、相手が晴明である場合に限り、そうでも無いらしい。流石は規格外、と言いたい所だか、これは最早十六夜の意地だろう。十六夜の言葉は後半になるにつれ、私怨が混ざりまくっている様に聞こえた。
十六夜の手にする連絡鏡は光を帯び、やがてその表面は水面の様に揺らめき始める。
「あ、繋がった!」
連絡鏡がその先の景色を映し出すのと緋月が叫ぶのは同時であった。勿論、映ったのは晴明の姿だ。
『んー? もしかして十六夜かい? どうしたんだい?』
彼は不思議そうに首を傾げると、いつもの様な笑みを浮かべながら問い掛ける。背後に立っている美藍も、何処か不思議そうな顔をしていた。
「どうしたもこうしたもあるかぁッ! 貴方は毎度毎度勝手に……! 何度勝手な行動をすれば気が済むんです!? 大ッ体……里の事も知っていたなら最初から教えて下さいよ!? 緋月と紅葉が無駄に怪我する事になったじゃないですか!」
その呑気な言葉を聞いた瞬間、大爆発。十六夜はまるで活火山を思わせる勢いで声を荒らげると、今まで溜まりに溜まっていた怒りをぶちまけ始めた。
「ま、まぁまぁおにぃ、あたしたちも桐ちゃんたちに会えた訳だから……」
緋月は慌てて兄の袖を引くと、悪い事ばかりでは無かったと告げる。彼はその言葉にはっと顔をあげると、打って変わって優しげな微笑みを浮かべて緋月を撫でた。
『だって、最初に言ったら十六夜怒っただろう?』
「ッ……、当たり前だよッ!」
『だったら、懐かしい顔を見てから怒られるのでも変わらないかなって思った訳だよ!』
「このボケジジィ――――――――――ッッ!」
そこに、当たり前の様に油を注ぐのが晴明であった。連絡鏡の向こうの彼は、さも当然と言いたげな、何故か何処か得意気な笑顔で言い放つ。十六夜の怒鳴り声が陰陽亭内に響き渡った。
『何何!? さっきから何の音!? 何してんの、晴明様!?』
そして、響き渡ったのは陰陽亭内だけでは無かったのだろう。不意にすぱーんと襖が開け放たれる音が聞こえて、困惑に染まりきった声が聞こえてくる。
「あっ、疾風君!」
連絡鏡に映り込んだのは見知った姿だ。緋月が嬉々して名を呼べば、黄緑色の装束を纏った青年は目を丸くする。
『えっ何これ……緋月ちゃんに紅葉ちゃん!? と……えっと……?』
連絡鏡の画面は、物珍しそうに覗き込む疾風の姿でいっぱいになった。彼は緋月と紅葉を見つけ、嬉しそうに目を輝かせる。それから十六夜の姿を目に止め、不思議そうに首を傾げた。
「はっ……もしや貴方が絶賛ご迷惑をお掛けしている……!? っ、失礼しました。僕は十六夜、そこのジジ……晴明の孫であり、妖街道を治める唯一神です」
一流の唯一神は、取り繕う速さも一流だ。十六夜はすぐ様佇まいを直すと、丁寧な動作で頭を下げる。
『えっ唯一神って……神様ぁ!? 孫って事は緋月ちゃんか紅葉ちゃんのお兄さんって事だよね!? どっ……どういう家系!? ……って、そうだ! 俺は疾風、青の里の棟梁です!』
対する疾風は、かつての様に神という称号に飛び上がり、大袈裟な程に仰け反って驚きを顕にする。それから、いつもの様な人好きのする笑みを見せて名乗った。
「この度はそこの晴明が大変迷惑を……って逃げようとすんなジジィッ!」
十六夜はそのまま話を続けようとしたが、連絡鏡の端に何処かへ逃げ出そうとしている晴明を認め、即座に声を荒らげた。
『あはは、バレたか! という訳で、何も気にする事はないよ、疾風君。僕は絶賛孫に叱られてる最中なんだ!』
叱られる晴明は何処吹く風。何なら叱られている事を堂々と口にする始末だ。
『え、えぇ……。まぁ、何ともない? なら、その……いっか! そんじゃ、皆にも気にしないでって言っとくね! 二人とお兄さんもまたねー!』
あまりにも堂々とした態度に流石の疾風も呆れ気味であったが、すぐに見慣れた笑顔を浮かべ、手を振りながら去っていく。
『助かるよ!』
「はぁ……本当にこの人は……。で、今度のは一体何なんです?」
醜態を惜しげも無く晒す晴明に、十六夜はもうため息しか出ない。遂に文句を言うのを諦め、次の話題に入る事に決めた。
『ん? 今度?』
問われた晴明は首を傾げる。心当たりが無いのか、はたまた多すぎて絞れないのか。こちらからではその真意は読み取れなかった。
「肆番街道! 貴方また、別の隠り世を勝手に繋げたでしょう!?」
その態度にまた苛立って、十六夜の声は大きく刺々しいものになる。だが、その言葉を聞いた晴明の顔は怪訝になる一方であった。
「あれは四ツ宮への入口だ。我が繋げた。勝手な事をして済まなかったな」
不意に、声がした。
「あぁそうですか――……ッ!?」
声が聞こえたのは、後方から。十六夜は咄嗟に緋月を庇いつつ振り返った。勿論、振り返ったのは彼だけでは無い。
緋月や紅葉も同時に振り返って後ろを見れば、そこには足を組む女性が一人。
「……嗚呼、我は麒麟と云う。邪魔しているぞ、唯一神」
否、いつの間にか椅子に座っていたのは、まさに女神そのものであった。




