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陰陽亭〜安倍緋月の陰陽奇譚〜  作者: 祇園 ナトリ
第四章 四ツ宮編
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プロローグ 逃避行

 もう、どれくらい走ったのか定かでは無い。生まれてこの方、こんなに本気で走ったのは初めてで。心臓がはち切れそうな程にばくばくと脈打って、ずっと動かしている足は棒切れの様。


 もう、諦めてもいいのでは無いか。


「――っ、諦めないで!」


 俯きかけた心を、少年の声が前を向かせる。心と同じ様に俯きかけていた顔を上げれば、目に映るのは少年の姿。名も知らぬ彼は、今にも泣きそうな自分の手を引いて、何処かへ逃がそうとしてくれている。


「……どう……して、いかるの、為に……っ、ここまで、してくれる……かしら」


 上がった息のまま、自分とそう歳の変わらない様に見える少年へ尋ねる。すれば、今までずっと前だけに向けられていた視線が、少しだけこちらに向いた気がした。


「……別に、君の為だけじゃないよ。僕だって、名前を取り戻さなきゃいけないんだ。その為にも、君を()()()に捕えさせる訳にはいかないの!」


 そう語る表情は、ここからでは見えない。けれど、何処か悲しげに揺れた声が、同じ様に悲しげな表情を思い起こさせる。


「――――!」


 不意に、少年は急停止。急に止まるものだから、その背にぶつかりそうになる。急に何を、と文句を告げる前に、今までずっと繋がれていた手が離されて困惑した。


 少年は神速で駆け出して、そのままの勢いで前方へ飛び込む。そうして床に手を着くと一回転、曲がり角から現れた追っ手に回し蹴りを食らわせた。


「……ちぇっ! もうこっちまで敵が回ってきちゃった! 巻いたと思ったんだけどなー……よっ、と。お姫様、こっち!」


 それから、口を尖らせて文句を一つ。彼はもう一度手に力を込めて、世界を元通りの景色にすると、また手を差し出して自分の事を呼ぶ。

 しかし、彼の手を取った瞬間、後方が騒がしくなり始める。追っ手が追い付いてしまったのだ。


「うげぇ、まだいるの?」


 今度は正面から顔を合わせていた所為か、彼が面倒臭そうに後方を白眼誌したのが見て取れる。


「……仕方ない! 僕が囮になるからさー、お姫様はちゃっちゃと逃げなよ!」


 それから、少年はぐっと自分の手を引いて、先程まで向かっていた方向を指差す。彼が言っている事を要約すると、ここからは一人で逃げろと言う事になる。


「っ、無理なのだわ! いかるは道が……!」


 慌てて声を上げる。自分は今までずっと、小さな部屋の中で過ごしていたのだ。この場から逃げ(おお)せる道など、知る訳が無い。


「大丈夫、この先はずっと真っ直ぐだから! その先に、()()()()がいる!」


 そんな怯える自分の目を、真正面からしっかりと射抜いて、少年は言った。聞き馴染んだ大好きな名を出されて、目を見開く。


「――! あに、さまが」


 それは、今はもう居なくなってしまった大好きなお母様の思い出を共有出来る、唯一の存在。お母様が居ぬ間、いつも面倒を見てくれていた存在の名で。


 夢中で、頷いていた。一人で逃げるのは、酷く恐ろしくて仕方が無かったけれど、頷くしか無かった。


「っ、そうだ、忘れる所だった! お姫様、一つだけお願い」


 ふと、離れていきそうだった彼の手に再び力がこもって、自分の腕をもう一度しっかりと掴む。


「何、かしら」


 びっくりして、何度もぱちぱちと瞬きを繰り返しながら彼を見つめれば、彼はずいっと顔を近付けて、一言一句聞き漏らさせない様にと言葉を口にする。


「あの人に……()()()に会ったら、僕の事を思い出してって伝えて!」


 真剣な金の瞳。それは、彼が眷属神である証。それは真っ直ぐの自分の目を射抜いて、その事がどれだけ彼にとって大事なのかを伝えてくる。


「はく……今の白虎代表かしら。分かったのだわ。……あ」


 幸い、彼が口にしたのは知った名だ。少年の熱に感化されて、同じく真剣な表情で頷いてから、ふとある事に気が付く。


「……その、伝えるから、教えて欲しいのだわ。貴方の名前は?」


 自分は、彼の名前を知らない。恥を忍んで問うた瞬間、後方がわっと騒がしくなる。いけない、きっと見つかったんだ。時間が無い、早く、名前を教えて。


「――わかんないっ!」


 けれど、少年から返ってきた答えは信じ難いもので。


「……っ、え」


 息を飲んで、少年に非難の目を向ける。けれど、彼の表情は変わらず真剣なまま。ふざけている訳では無いようだ。


「追いつかれる……! 行って、早く!」


 もう一度聞き返そうとするが、真剣から焦りに変わる少年の表情がそれを許さない。彼は真っ直ぐと進む道を指差すと、声を荒らげて逃走を促した。


「っ、わ、分かったのだわ」


 その声に気圧されて、仕方なく走り始める。程なくして、後方が一段と騒がしくなった。きっと、彼と追っ手が戦闘を始めたのだろう。

 少年の言葉を信じるなら、この先はずっと一本道。途中で、追っ手が飛び出して来たり、待ち伏せしていたりしないだろうか。怖くて、怖くて、仕方が無い。


 けれど、この足を止める訳にはいかない。


「……っ、お母様……っ!」


 大好きな、お母様を守る為に。

 お母様と過ごしたこの、朱雀宮を守る為に。


****


「――――……」


 陰陽亭、二階。連絡鏡の前。随分と長い間留守にしてしまった為、一応警戒して先に戻ってきていたハクは、何やら音を立てる連絡鏡に白い目を送っていた。


『これ本当に繋がるんですかぁ? 何にも映らないんですけどぉ……。あ、もしかして氷雨(ひさめ)壊しましたぁ?』


『そんな訳無いだろう! 張り倒されたいか貴様!』


 聞こえてくる音声はまさに漫才。会話の内容から察するに、どうやら相手にはこちらの姿は見えていない様だが、こちらからはばっちり相手の姿が映っていた。

 ぎゅむぎゅむと顔を近付ける、美藍そっくりの糸目の青年と、失礼な事を宣う彼を叱り付ける、将校の様な出で立ちの青年。


「……何しとるん?」


 どちらも、見知った顔だ。故にハクは、その浮かべた表情と同じくらい冷ややかな声を浴びせる。相手にこの声が届くかどうかは定かでは無いが。


『あぇ? これもう繋がってますぅ? こっちからは何も見えないんですけどぉ……。やっぱり壊したんですよぉ、氷雨ぇ』


 どうやら声だけは届いているらしい。糸目の青年はぱっと連絡鏡から顔を離すと、手を振ったり叩いたりを試みる。こちらからは丸見えだ。


『お前がずっと触っているのだから俺が壊せる訳が無いだろう!? 貸せ馬鹿者、単にお前では相性が悪いだけだ!』


 やがて業を煮やしたのか、将校の様な青年が糸目を押し退けて連絡鏡に触れた。彼の声はやけに通りが良く、ハクは連絡鏡の傍に居るだけで耳が痛くなった。


『あ、本当だぁ。映りましたねぇ。ぴさめすご〜い』


「ひ、さ、めだ! 気色の悪い呼び方をするな!』


 繋がってると分かって尚漫才を続ける彼らに、ハクは思わずため息をつきそうになった。


「……なぁ、聞いとる? あんたら一体何しとるん?」


 何とかため息を堪え、要件だけは聞いてやろうと仕方なく口を開けば、青年達は言い争いを止めて二人同時にこちらを見る。


『あ、どもですハク〜。お久しぶりですねぇ。小藍(しゃおらん)いますぅ?』


 それから先に口を開いたのは糸目の青年であった。青年はにこやかに手を振って、彼の双子の妹である美藍について尋ねる。


「いや、おらんけど……」


 開口一番それか、と突っ込む気力も無く、ハクは正直に答える。このまま答えずに連絡を切ってしまっても良かったかもしれない、とハクは密かに後悔した。


『え〜残念だなぁ。小藍がいないって事は晴明君もいないって事ですよねぇ。久しぶりにお話ししたかったんですけどぉ……』


 流石は晴明の悪友だ。彼とその式である美藍の因果関係はしっかり把握しているらしい。今度こそ堪えていたため息が零れて、会話を続ける事さえ阿呆らしく感じてしまう。


『退け、(ろん)! 貴様はくだらん話が長過ぎるんだ!』


 と、ハクが連絡鏡に触れようとした途端、憤慨する青年が糸目を押し退け、連絡鏡の真正面を陣取る。凄まじい音圧だ。


『いいか、ハク、よく聞け。これから貴様に重要な話を――……』


「――――!」


 彼はそのまま何かを言おうとしていたが、不意にハクは階下で緋月が自身を呼んでいる事に気が付いた。


「あ、緋月が呼んどる。切るんよ〜」


 今度こそ正式に切る理由が出来た、とハクは嬉々して連絡鏡に触れる。


『何!? 待て貴様――……』


 すれば、やかましい音声と映像は慌てた青年の様子を最後にふつりと消えた。一仕事完了、ハクは手を払う様に叩いてから、最愛の主へ返事をして、跳ねる様に階下へ降りていくのであった。

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