四十話 旅立ちの時、青の里との別れ
「えぇっ!? 紅葉ちゃん達もう帰っちゃうの!?」
その晩、宴の席。酒を飲んで大盛り上がりする兵達を眺めながら、ゆっくり紅葉と話し込んでいた疾風は、彼女が発した言葉にいかにも残念といった様な声を上げた。聞けば、この宴は三日三晩続く程の勢いだと言う。
「おう。まぁ、そもそも俺達は元々、この里がどんなとこなのか調べに来ただけだしな」
長年争っていた内の一角を落としたとなればそれも当然だと思いつつ、紅葉は言葉を返した。この場に留まりたくないと言えば嘘になる。それ程、紅葉も一人の兵として扱ってくれるこの里は居心地がいいのだ。
「あー、そういえばそうだったね。……ごめんね、俺達の争いに巻き込んじゃって」
向こう側でどっと起こった笑い声とは対称的に、こちらの痛みを推し量る様な疾風の声が落とされた。
「ははっ、気にすんなよ! 困った時はお互い様、だろ?」
そんな声は、この祝いの席には似合わない。だから、紅葉は豪快に笑い飛ばした。
「……へへ、ありがと」
すれば、疾風もつられた様に笑う。やっぱり彼には笑顔が一番だ。誰彼構わず、強烈な明るさで照らしてしまう疾風には。
「よぉし、俺達も向こう行こっか! 多分お酒でびっしゃびしゃになると思うけど……」
そう言うと、疾風はぱしんと膝を叩いて立ち上がった。彼に後半の言葉を言わせる所以は、恐らく遠目に見えるびしょ濡れのヤタだ。彼女も相当呑んでいるのか、ふらふらと千鳥足のまま何故か虚空へ三又焔を振り上げている。
紅葉は、ただただ楽しそうに笑いながら、先に駆け出した疾風の背を追いかけるのであった。
*
「――桐ちゃんっ!」
宴の喧騒から少し離れて、大木の根元に座り込んで一人息をついていた桐は、不意に声を掛けられて肩を跳ねさせる。
「……! 緋月さん!」
驚愕を貼り付けたまま振り返れば、そこには見知った顔。途端に驚愕は優しい笑みへと変わる。嬉しそうな声に名を呼ばれた緋月は、桐と同じ様に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「……あのね、あたしたち、明日には帰らなきゃなんだ」
だか、それは少し寂しそうな表情へ早変わり。
「あ……。そう、ですか……」
緋月が早めに別れを告げに来た事を察した桐は、同じく眉根を下げる。いつか来ると分かっていた別れだが、それでもいざその時が来るとこんなに寂しいものなのだと、桐は静かに思った。
「うん……。……その、あたし、結局桐ちゃんの事、思い出せなかった」
緋月の中に残る心残り。それは、やはり桐の事。涙が出る程大切な人のはずなのに、自分の中にはすっかりその存在の記憶は残っていない。それが、やっぱり悲しくて、悔しくて。
「それは……私も同じ、です。自分の事しか思い出せなくて……」
けれど、それはやはり桐も同じ。出会い直した時と同じ様に、お互い様なのだ。
「…………えへへ」
「…………ふふっ」
それが、何だかおかしくて。二つの笑声は重なり合う。
「結局あたしたち、最後まで似た者同士だったねぇ」
緋月はぽてぽてと桐の元まで歩み寄って、そのまま隣に座り込む。その瞳は宴の灯りがきらきらと反射していて、いつも以上に煌めきを放っていた。
「ふふ、そうですね。自分の事でさえ曖昧な所もそっくりです」
桐も同じく、賑やかな宴の灯りを反射させたまま、緋月の言葉に同意する。その言葉に返答は無い。お喋り好きな緋月にしては珍しい、と桐が緋月へ視線をやれば、緋月は口を噤んだまま何かを考え耽っていた。
「……ねぇ、桐ちゃん」
「はい、なんでしょうか」
ようやく開かれた重たい口。桐は、一体どんな話が飛び出してくるのだろうかと、少しだけ身構える。相変わらず宴の喧騒を映し出す瞳が、桐へと向けられた。
「あのね――あたしたちと一緒に、陰陽亭に来ない?」
「――――!」
それは、そんな誘い。桐は息を飲んで、真っ直ぐとこちらを見つめてくるべっ甲の様な瞳に見入る。緋月は本気だ。
「一緒にいたら、もしかしたらお互いの事も思い出せるかもしれないし、それに……また一緒に、お仕事できるから……どう?」
目を見張る桐へ畳み掛ける様に、緋月は思いの丈をぶつける。このまま一緒に過ごして、お互いの事を思い出せたらどんなにいいだろう、と緋月は強く思っていた。
「……ごめんなさい、緋月さん。お誘いは凄く嬉しいんですけど……私、ここに居たいんです。ここには皆さんが……家族が、居るから」
けれど、桐から返ってきたのはそんな言葉。確かに、緋月と過ごして、お互いの事を思い出せたらどんなにいいだろう。けれど、桐の居場所は、居るべき場所は、居たい場所は、既に決まってしまった。
青の里こそが、桐の居場所。蒼嵐がいて、疾風がいて、緑嵐や兵士達、他の民達だっている。家族と呼ぶべき存在がいる。
だから、一緒には行けないと、桐は静かに笑った。
「……っ、だよねぇっ! あたしもそう言われる気がしてたぁ……」
それを聞いて、緋月は一気に脱力。そう言われる事は既に予想済みだ。緊張の糸を一気に解いて、緋月は抱えた膝の上に顎を乗せた。
「えっ……えぇっ!? じゃ、じゃあどうして聞いたんですか?」
予想外の反応に戸惑うのは桐の方だ。緋月が寂しそうに笑うくらいは覚悟していたのだが、どうやらその通りでは無いらしい。
「えへへ、ちゃんと桐ちゃんの口から聞いときたかったんだぁ。もしかしたら、あたしの中の桐ちゃんと本物の桐ちゃんは違う事言うかもしれなかったからさ!」
緋月が浮かべていたのはいつも通りの明るい笑顔。見ているだけで、元気と癒しをくれる笑顔だ。それはまるで、月のような。
「ふふっ……緋月さんは本当に優しいですね」
それにつられて、思わず桐も笑声をこぼした。まるで花が開く様に笑って、その場を明るくする。笑顔の持つ力なら、桐だって負けていない。
「えー、そうかなぁ?」
「はい、そうですよ。今だけじゃなくて、昔からずっと――何だか、そんな気がするんです」
「えへへ、そっかぁ」
夜が、深けていく。笑い声とはしゃぐ声と、止まないどんちゃん騒ぎ。祝いの宴はまだ続く。迫る別れの時への寂しさを吹き飛ばす様に。
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「それじゃあ……お別れ、だね」
早朝、門前。そう言って、緋月は振り返る。すれば、疾風と蒼嵐、桐が揃って見送りに来てくれているのが見えた。他の面々は、恐らくまだ夢の中だろう。昨晩はそれ程まで大騒ぎだったのだ。
「本当にありがとう、陰陽亭の皆の力が無かったら俺達は負けてたよ」
疾風は笑って手を差し出した。きっと彼の言葉は、彼だけのものではなく、この里皆の総意なのだろう。
「そんな事ねぇって。ほとんど青の里の皆の力だよ」
同じく笑ってその手をとったのは紅葉だ。確かに自分達も力を貸しはしたが、晴明はともかく自身が力になれたかと問われれば、怪しいと思うのが紅葉だった。
「……また、来るといい」
不意に、ぽつりと落とされる蒼嵐の小さな声。
「うわっ!? 何!? 蒼がそんな事言うなんて珍しい……! 明日槍でも降ってく――いたたたた暴力反対暴力反対!」
その言葉に過剰反応した疾風は、即座にその腕を捻られ悲鳴を上げた。それは暗殺を得意とする蒼嵐だからこそ成せる早業だ。
「そ、蒼嵐さん……! もう……。でも、本当にいつでも遊びに来てくださいね! 私も待ってますから」
桐が慌てて制する姿も、既に見慣れたもの。彼女は蒼嵐が疾風を解放したのを見届けると、すぐ様緋月達に向き直って花の様な笑みを見せる。
「うんっ! 暇になったらいつでも行くねーっ!」
「暇になったらってお前……暇になる度あの山登る気かよ……」
同じ様に笑顔を返す緋月に、紅葉は呆れた様な視線を向ける。すれば瞬間、わっと笑いが起こった。
「――それじゃあ、気を付けて帰るんだよ? 緋月、紅葉」
それから、緋月達と桐達の間にいた晴明がにこりと笑って一言。それは、明らかに緋月達へ向けられていた。
「……へ?」
「……は?」
それは、まるで自分は帰らないと言っているのと同意義で。緋月と紅葉は同時に素っ頓狂な声を上げた。
「ま……待って待って待って! 何言ってるのじー様!?」
抗議が一つ。最初に声を上げたのは緋月だ。べっ甲飴の様な丸い瞳をさらに丸くして、先程よりも驚きで裏返った声を上げる。
「つ、遂にボケたか!? しっかりしろ爺さん! お前は陰陽亭の人げ……神様だぞ!?」
抗議が二つ。緋月の声で我に返ったらしい紅葉は、何処か十六夜めいた言葉を吐きながら声を荒らげる。
「えぇ? 酷いなぁ、そんなんじゃないさ。僕は単純に天嵐君に頼まれた事が残っててね」
何とも失礼な事を言われた晴明だが、特に気にする様な素振りは見せずに言葉を続ける。にこにこといつもの様な胡散臭い笑顔を浮かべながら、今は亡き天嵐に頼まれた事がある、と口にした。
「……親父に?」
思いもよらぬ名が挙がり、蒼嵐は僅かに目を見張る。まさか、晴明から自身の父の名前が挙がるとは思っていなかったのだろう。
「あぁ、そうだよ。生前の彼に頼まれたのさ。『もし俺に何かあったら、少しだけこの里を頼む』ってね! それに、僕としても結界を破られたまま帰るのはね……」
晴明は片目を瞑ると、何処か寂しそうに言葉を続ける。当然だ、既に神と成った彼とて人の心はある。友人の死に目に逢えなかったとなれば、生前交した約束くらいは、と思うのが普通だろう。
「じー様……!」
「そんな事、僕の矜恃が許さないのさ!」
緋月が尊敬と感動で感極まった瞬間、晴明はその感動をぶち壊す様に再度片目を瞑った。
「おい、台無しだぞじーさん!」
声を荒らげる紅葉の言葉も、晴明には届いちゃいない。当の本人は何処吹く風だ。
「そういう訳だから、十六夜への説明は頼んだよ! 二人とも!」
「うわ、中々にえげつねぇ役を押し付けてきやがりますね、コイツ」
十六夜の説教を逃れる気満々の晴明を目の当たりにし、いても立ってもいられず、思わず口を挟んだのはヤタだ。何故か生き生きとしている晴明を白眼視、思った事を素直に口にする。
「せやねぇ、十六夜が怒り狂うのが目に浮かぶんよぉ」
その相方の言葉に、ハクはくすくすと笑声をこぼしながら同調する。彼女の脳裏に思い浮かんでいるのは、晴明を張り倒さんとする勢いで怒りを爆発させる十六夜の姿であった。
「はぁ……締まらねぇ……。ま、とにかく帰るか!」
いつも通り、変わらず緩い雰囲気の面々に、紅葉は思わず呆れ顔。それから、このままでは一生話が進まないと踏んで、先導して門外へと足を踏み出す。
「うんっ! それじゃあね、皆!」
緋月も同じくぱっと笑顔になると、手を振りながら紅葉の後を追って行った。それは、ハクとヤタも同じ。ハクは緩やかに、ヤタは豪快に手を振って、主の後に続く。
「皆さん、お元気で……!」
そんな大切な仲間達の背が見えなくなるまで、桐も疾風もずっと手を振り続けるのであった。
*
「……ここに、残る……なんね?」
別れの数刻前。不意に晴明に呼び止められ、そう告げられたハクは剣呑に目を細める。かつての主の事だ、勿論何か理由があるのだろう。ただし、自分が主の様に目を細めたとてその意図が読み取れる訳では無い。
「あぁ、その間、緋月と紅葉の事を頼むよ」
その証拠に、晴明が浮かべる笑みは普段のものと大差ない様に見える。果たして、その笑顔の裏に何を隠しているのだろうか。
「それはいつもの事やし、分かっとるけど……なんで、なん?」
このままでは埒が明かないと踏んだハクは、直接問いただす事に決める。分からない事は分からないと言えば、この主は大抵の事は教えてくれるのだ。そう、隠す気が無ければ。
「天嵐君に頼まれたのさ――この里に潜む裏切り者を見つけてくれ、ってね」
今回は、特に隠すつもりも無かったらしい。晴明が告げた言葉の内容に瞠目し、それから彼が声を落とした理由を察した。
今まで秘匿にしていた里の場所が割れていた事も、報告があってからすぐに黄の一族が領地へ侵攻し始めた事も、誰か裏切り者の存在が無ければ説明が付かない。
「……そう、成程……分かったんよ。もちろんあん子らには内緒にしとくんね」
晴明の紫紺の瞳と、ハクの琥珀の瞳がばっちりと合う。先にその視線を切ったのはハクだ。彼女はふっと目を閉じると、やれやれと首を振りながら共犯となる事を選ぶ。
「はは、理解が早くて助かるよ! それじゃあ……しばらくそちらは任せたよ、ハク」
今の晴明とハクの間には、必ず従わせる強制力は無い。だが、例え主従関係が切れたとしても、その絆と信頼は切れず。故に、晴明の瞳に宿るのは、確かな信頼であった。




