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陰陽亭〜安倍緋月の陰陽奇譚〜  作者: 祇園 ナトリ
第三章 鴉天狗の里編
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三十九話 おかえり、愛しき者達よ

 日が落ち始める頃、青の里。城内はいつも以上に忙しなかった。あちこち走り回る、無傷の民達。様々な指示が飛ぶ、その中央で誰よりも懸命に叫んでいるのは。


「……っ、晴明様! あちらの方々の手当を、お願いします……っ!」


 少しだけ休んで、即座に復帰したらしい桐だった。彼女が早々に復帰して走り回っているのは、沢山の負傷者が一斉に帰還したからだ。


「あぁ、分かっているよ。けれど……大丈夫かい? 桐君、相当顔色が良くない様だが……」


 だが、走り回る民以外の存在は桐だけでは無かった。同じく即戦力として復帰した晴明も、彼女の指示に従っていた。流石は稀代の大陰陽師と言ったところか、桐程までとは行かないものの、孫達が扱えない癒術も軽々しく扱えてしまうのである。


「……っ、はい。私はまだ……倒れる訳にはいきませんから」


 そんな晴明に顔色の悪さを指摘された桐は、バツが悪そうに目を逸らす。彼女はあくまでも人の子、少し休めば即戦力まで回復できる神様(せいめい)とは違う。

 だが、桐がそれでも走り回れているのは、自身がこの場を回す要だと理解しているから。癒しの巫女姫と呼ばれる自分が駆け付ければ、負傷者達の表情が安堵に和らぐ事を知っていたから。だから、どんなに疲れ果てていたとしても、それを表に出す訳にはいかないのである。


「……そうかい。なら、君の言葉を信じるとしようか」


 そんな強い意志を感じ取った晴明は、食い下がる事無くあっさりと引いた。


「……ありがとうございます」


 彼の顔に浮かんだ笑みに少しだけ安堵して、桐も同じく笑みと感謝の言葉を返した。晴明が踵を返すのを見届けた桐も、すぐ様彼とは反対の方向へと駆け出すのであった。



「――面目無いでござる、巫女姫様。拙者がもっと強ければ……」


 酷い傷だけは治癒術で止血して、細々とした傷には薬草を塗り込んで。それから丁寧に包帯を巻いていれば、意気消沈した様子の(はやぶさ)が静かに口を開いた。

 彼は蒼嵐のフリをしたまま、殿を務めていた。それが故に、他の兵士達よりもかなり負傷の具合が酷い。だが、隼は恐らく戦の場に残れなかった事を悔やんでいるのだろう。己に課せられた使命は、疾風と蒼嵐を守る事であったから。


「……! いいえ、こうして生きて帰って下さっただけで十分ですよ」


 だから、桐は安心させる様に微笑んだ。隼が負傷者を守りつつ撤退してくれたからこそ、誰一人欠ける事無かく、ほとんど全ての兵士が帰還したのだ。

 その笑みを見て、隼はただ泣きそうになりながら、口元を無理やり笑みの形に変えた。


「――巫女姫様……っ! こちらも負傷者が……お願いします!」


 だが、そんな彼に更に慰めの言葉をかける暇は与えられない。顔色を真っ青にした女中が飛び込んで来て、声を裏返しながら桐を呼ぶ。


「――っ! はい、今行きます……っ! すいません、(はやぶさ)さん……私、行ってきます」


 その様子からただならぬ気配を感じた桐は、気を落とす隼に後ろ髪を引かれながらも立ち上がった。


「……ご無理はなさらぬ様に、でござるよ」


「……はい、ありがとうございます」


 桐は、悲痛な心持ちであるにも関わらず、自身の心配をしてくれた隼に少し驚いて、それから礼と笑みを返して、踵を返してまた走り出すのであった。



 飛び込んできた女中が告げた場所は正門。だが現在、ほとんどの兵士が帰還していたはずだ。誰か報告に漏れがあったのだろうか、それとも――。


「――ぁ」


 桐の予想は、的中していた。そのぼろぼろになった姿達を認めた瞬間、桐は自身の視界が潤んでいくのを感じる。


「あれ、もう着いた? って、あいたたた……」


 両脇を紅葉と椋に支えられ、ぼろぼろになった身体を引きずって歩く疾風。かなりの出血量なのだろう、その顔面は蒼白だった。


「だぁっ馬鹿! 喋るな疾風兄さん! 傷口開くだろ!?」


 そんな呻く疾風を怒鳴りつけるのは、同じくぼろぼろになった紅葉だ。余程激しい戦いだったのだろう、彼女の服は所々焦げ付いていた。


「そぉだよぉ疾風様ぁ。また無茶ばっか、信じらんなぁい。何の為のオイラな訳ぇ?」


 紅葉の言葉に同調して疾風を白眼視する椋は、戦闘の最中に紙紐を失ったらしく、疾風より幾分か色素の薄い長髪をはためかせていた。


「う……ご、ごめんって……」


 両脇から責められて、たじたじと謝罪を口にする疾風は、傷だらけでありながらも、何処か安堵した様に、何かが吹っ切れたかの様に見えた。


「そういう紅葉だって無茶しやがった事忘れるんじゃねぇですよ! 正直お前を見つけた時肝が冷えましたからね!?」


 と、不意に怒れる紅葉の後ろからヤタが顔を出したかと思えば、説教をする彼女をどの口がと叱り付けた。そんなヤタの身体には、所々無理やり焔で止血した様な後が見える。神であるが故に痕が残らないからと言って、かなり強引な方法でいつも彼女は止血を試みるのだ。


「えっ!? あ、あはは……」


「あぁーっ! そうだよ、あははじゃないよっ! あたし、今度こそ紅葉が死んじゃうかと思ったんだからねっ!?」


 バツが悪そうに乾いた笑いを漏らして目を逸らす紅葉に向かって声を荒らげたのは、緋月だった。緋月も、負けず劣らずぼろぼろだ。ぱっくりと裂かれた右腕の付け袖を振りながら、似たり寄ったりの格好の紅葉を叱る。


「い、いや……悪かったって……」


 怒られる紅葉は疾風を支えている影響で、逃れられない。いつもとは形勢逆転、怒涛の叱責に彼女は困った様に空いていた手で頬をかいた。


「んもぅ、緋月が言えた事じゃないんよぉ。ウチがおったから良かったけど、ウチもアホガラスもおらん時にあんな事やったらあかんよぉ?」


 そんなぷんぷんと全身で怒りを表現する緋月の頭を、優しく小突いた手が一つ。それは、珍しく傷だらけになったハクだ。すぐに袖に隠してしまったその手は、最早誰のものかも分からないほどの血で赤く染まっていた。


「うっ!? ご、ごめんなさぁい……」


 自分が言えた口では無いと気が付いた緋月は、蛙が潰れた様な呻き声を出しながらも、耳をぺたんと畳んで謝罪を口にする。


 皆、一様にぼろぼろ。傷の無い者は何処にも居ない。けれど、帰ってきた。無事とは言い難いけれど、生きて戻ってきてくれた。


「みな、さん……っ!」


 幾つも幾つも雫が零れて、絞り出した声が震えた。それは、歓喜に、安堵に濡れている、暖かな声だった。


「――あっ! 桐ちゃんだぁっ! ただいまっ!」


 思わず零れた桐の声に、誰よりも早く気が付いたのは緋月だった。緋月はぱっと表情を明るくすると、すぐ様駆け出して桐へと飛び付いてくる。


「緋月さんっ! お怪我は……っ、凄い怪我……今すぐに……っ!」


 桐はそんな緋月を抱きとめて、それから即座に傷の確認をする。やはり思った通り、緋月は満身創痍。すぐに治さなくてはと、桐は手をかざして治癒術をかけようとする。


「うぇぇっ!? あたしは平気だよ! それより、ヤタとか疾風君とかのが怪我だらけで……」


 だが、緋月は真っ先に治療されるのを辞退した。自分より前線で戦っていた皆の方が傷だらけだから、と、振り返りながら言う緋月の言葉には優しさが滲んでいる。


「別にヤタさんはこれくらい屁じゃねぇですけどね。あっちの大馬鹿から治してやってください」


 そんな主の言葉に同調したヤタは、確かに自身で言う通り歩く速度さえいつも通りに見えた。彼女が半眼になりがら、親指で指し示すのは、当然誰よりも傷を負って見える疾風。


「っ……!? ど……、どうしてここまで無茶を……!」


 桐はその言葉に頷いて、彼の元まで駆け寄って、それから思っていた以上の傷の量に絶句。ようやく絞り出した叱責の声は、あまりの事に裏返ってしまっていた。

 紅葉と椋に支えられながらその場に座り込んだ疾風は、他人事の様に気の抜けた笑い声を漏らす。


「あっ……ご、ごめん、ごめんなさい。多分、それ、俺の所為で……」


 そんな疾風が更に叱られる前に擁護するのは、先程までは叱る側に居たはずの紅葉で。僅かに俯いた彼女の顔に浮かぶのは、仄暗い自責の念。


「いやいや、紅葉ちゃんは悪くないって。ちょっと無謀だったかなぁってのは……その、俺も思ってます、はい……」


 紅葉の気持ちが暗く俯きかけた瞬間、疾風は即座に悪くないからと庇う。確かに、紅葉を助ける為だったとしても、自身の行動には棟梁としての自覚が足りていなかったかな、と、少しだけ、思ったり思わなかったりしていた。


「も、もう……っ! 後で纏めて説教ですっ!」


 信じられない、とでも言いたげに頬を膨らませる桐であったが、そんな彼女自身も出陣前に無茶をした事を忘れてはいけない。


「それ言ったら桐も、なんよぉ」


 それをしっかりと覚えていたハクは、何処か呆れた様な笑みを浮かべながら膨らんだ桐の頬を突いた。


「あ……、ふふ、そうでしたね……! ……って、あれ? そう言えば、蒼嵐さんは……?」


 同じく顔を綻ばせた桐は、ふと、最後の一人が姿を現していない事に気が付いた。焼き付いた、出陣前の僅かな微笑み。交わした約束は、しかと心に。


「ん? あぁ、蒼なら……」


 桐の言葉を受けた疾風は、ふっと優しい目付きになって後ろを振り返る。それは疾風だけではなく、その場にいた帰還者達が同時に取った行動だった。


「――――!」


 皆と変わらぬ傷だらけの姿に視線が集まる。風に(なび)く青髪にも、纏う群青の装束にも、誰の物かも分からぬ血液が付着していた。


 ただ一振遺された天嵐の愛刀を眺めていた蒼嵐は、全員分の視線を受けてふ、と顔を上げる。


「……桐?」


 その瞬かせた群青の瞳に映ったのは、今にも泣き出してしまいそうなのを堪えて笑う桐の姿。


「…………約束通り、無事に戻ったぞ」


 例えそれが嬉し泣きとは分かっていても、やはり泣かれてしまうのは困ってしまう。だから、安心させる様に、いつも片割れがする様に、けれど、少しだけ恥ずかしいから口の端を上げるのは少しだけに留めて、「ただいま」と笑った。


「っ……、はい……はいっ! おかえりなさいっ!」


 相変わらず美しい花だと、蒼嵐は一人、笑う桐を見て思うのであった。

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