三十七話 想いを託して
「なっ……えぇっ!? 疾風君っ!?」
駆け抜けていった黄緑の風。緋月は信じられない思いで素っ頓狂な声をあげる。それは、傍にいたハクも同じ。今し方、自身の目で見たものを信じられないといった様に、ただ絶句していた。
「……っ、集中しろ! ここは戦場だ!」
「――! っ、堪忍なっ!」
飛んだのは、一足先に切り替えたらしい蒼嵐の怒号。それで我に返ったハクは一瞬で爪に神気を纏わせ、群がろうとしていた敵兵を切り裂いた。
「ここで立ち止まっている暇は無い。行くぞ、半人前、白虎神」
目の前を塞いだ敵兵を切り伏せ、蒼嵐は一足先に包囲から抜け出す。乱戦の中で羽根を出すのは危険だ。故に、彼は大地を駆け抜けていく。きっと、一番駆け付けたいのは彼だろうに。だが、蒼嵐が振り返る事は一度と無かった。
「へっ!? 半人前ってあたしぃ!? ひ、緋月だよぉっ!」
緋月は蒼嵐の言葉に抗議しながら、地面をせり上がらせてどかどかと敵兵を退かしていく。その後を追う者には妖魔縛々で罠を仕掛け、追って来られない様にした。
斬り捨て、切り伏せ、縛り付ける。三位一体の剣となって、二人と一柱は駆け抜けていく。単騎で凄まじい戦闘力を誇る蒼嵐、そして長年培われた絆が見せる緋月とハクの連携を止められる者は、この場には誰もいなかった。
「こいつら……さっきより手強いんよっ!」
だがしかし、ある程度進んだ所でその斬れ味は鈍る。敵兵の質がかなり上がったのだ。その証拠に目の前でひらりと妖魔縛々を躱され、緋月はまた素っ頓狂な声を上げた。
「チッ……そろそろ彼奴が近いんだろうな」
強い衛兵が配備されている。それが示す意味はただ一つ――黄の一族の総大将が近いと言う事だ。蒼嵐は敵兵と切り結びながら、何度目か分からない舌打ちを落とした。
「――! それなら……っ!」
その言葉の意味に気が付いた緋月は、何かを思い付いたという風に目を輝かせる。それがどんな手であれ、刃を届ける為であれば躊躇無く使うのが緋月だ。
「みぃんな、あたしに集中しろぉーっ! 急急如律令っ!」
緋月の声は高らかに轟いた。瞬間、緋月はその場の視線をかっ攫う。それは、高らかに響いた声が原因では無い。緋月が使ったのは、全ての注目を自身に集中させる術だった。言わば囮、誰かを逃がすには十分な術である。
「ハクッ!」
「んふふ、お任せなんよぉ」
「――ッ!? 何を――……」
ハクが動いたのは、名を呼ばれると同時。戸惑う蒼嵐の身体を引っ掴んで、大空へと放り上げる。彼は何が起こっているのか分からないといった面持ちであったが、本能的に羽根を展開して空中で体勢を整えた。
「行ってそー兄! この辺の奴らはあたしたちでやっつける!」
遥か下、既に小さく見える緋月が叫ぶ。
「緋月に意識が集中しとるうちに、早く! この術は長くは持たないんよっ!」
それに迫る兵士を切り捨てながら、ハクも叫んだ。捨て身では無い。互いに蒼嵐を信じての行動だ。
「――っ! ……あぁ、任せた」
一人と一柱の想いの火を受け取った蒼嵐は、真剣な面持ちで頷いて翼を打った。
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「……耐えられる?」
緋月の放った妖魔縛々は簡単に躱される。ここに残っているのは、あの蒼嵐でさえ少し苦戦する様な相手だ。だから少しだけ不安になって、緋月は傍で戦うハクへ声を掛ける。
「んふふ、ウチを誰やと思っとるん?」
主の不安を感じとったハクは、緋月を安心させる様におどけて笑った。その態度はかつての主である晴明の受け売り。そうすれば、誰もが安心する事をハクは知っていた。傍でずっと、それを見ていた。
「せやけど、これはちょいと本気出さないと不味いんよ」
だが、ハクは晴明ほど楽観的では無い。自身に晴明ほどの力が無いことも知っているし、ここはわざわざ見栄を張る様な場面でも無い。そういう事は、今も何処かで戦っている片割れの役目だ。
「これやるんは久しぶりなんよぉ。やから……」
ハクが言葉を切ると同時に、凄まじい量の神気が爆発した。先程まで爪のみに纏わせていた神気を、丁寧に丁寧に全身へと纏わせていく。そうして、その場に現れるは――。
「ちょいと荒々しいんは、堪忍なぁ?」
白虎の名に相応しい、美しい白毛の大虎。そのままがおうと大声で吼えてやれば、刀の切っ先をこちらに向けた兵達は怯んだ様に動きを止めた。
「えぇっ!? すごーい! 虎さん!?」
今の緋月がこの姿を見るのは初めてだ。故に、緋月は戦闘中にも関わらずその大きな瞳をきらきらと輝かせ、ハクへ尊敬の視線を注ぐ。嗚呼、こういう所は今も昔も変わらないな、という気持ちがハクの中に湧き上がった。
「ええから乗るんよ緋月っ! 今の緋月は囮なんね!」
「あっ! そうだった!」
だが、今は命を賭けた死闘の最中。姿勢を低くしたまま急かしてやれば、緋月はハッとしてひょいと飛び上がり、軽々と虎となったハクの背に跨る。主がしっかりと掴まったのを確認したハクは、風を切って走り出した。吹き荒れた風を浴び我に返った兵士達も、その後を追って来る。
(この術は持っても二十分……せやけど、ウチがそこまで持たん可能性もある。……さっさと決着付けるんよ、蒼嵐――!)
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燃え盛る焔が熱い。時間の感覚など、とうに消えうせていた。そんな奮戦する紅葉の目に、何とかこの場を突破しようと飛び上がる兵士の姿が入った。
「っ……行かせる、かぁッ!」
瞬間、紅葉は赤い焔を纏った大槌を振り上げる。追従した焔は意志を持って、飛び上がった兵士へ襲いかかった。
『――っ、キリが無いわね! 平気!? 紅葉様!』
兵を焼き、再び紅葉の元へ戻って来た火刈は忌々しげに言葉を吐き捨てた。紅葉と疾風がこの場に留まってから、もうどれくらい経ったかすら分からない。
「俺は平気だけど……っ!」
答えた紅葉が視線を向けたのは、疾風がいる方向。紅葉は長時間戦っているにしては、傷が少なかった。それは、疾風が常に敵の注目を集めているからであった。
きっと恐らく、疾風が棟梁になったと気付かれているから。守りに行きたくとも、周りの敵兵がそうさせてくれない。
「――ッ! 疾風兄さんッ!」
不意に、敵兵の刃が疾風へ迫る。彼は未だ、眼前の兵士と切り結んでいる最中であった。この距離では、火刈でも間に合わない。
「――ぁ」
迫る刃。滑り落ちる汗。守りにいけない。
また、失う?
俺は、俺は俺は俺は、一体、どうすれば――。
「――――っ!」
瞬間、吹き付ける突風。遅れて響いたのは、金属がぶつかり合う音。疾風より幾分色素の薄い髪が、翻った。
「――なんっで! こんな所に疾風様がいる訳ぇ!?」
怒りと共に吐き出された声は、半刻前に別れたはずの椋のもの。彼は大ぶりの愛剣で敵兵の刀を弾くと、振り上げた剣をそのまま振り下ろして相手を真っ二つにする。
「椋っ!?」
どうして、と驚きの声を上げる疾風の横で、唐突に爆発が起こった。背後で敵兵達を分断しているものとは別の焔が高く昇る。それはまるで焔を纏った隕石。
「――ふん、理由は知りませんが、お前達がぼやぼやしてるから追いついちまったじゃねぇですか」
空から流星の如く落ちてきたのは、傷だらけになったヤタであった。どうやら、彼女達は前方からどんどん黄の一族の本陣へ入り込み、とうとう紅葉達のいる場所まで追い付いてしまったらしい。
「……紅葉お前、また一人で無茶しようとしやがりましたね?」
ヤタは燃え盛る焔の壁を一瞥。それから、それを起こした原因と思われる紅葉を白眼視する。彼女が無茶をしがちなのは、すっかり周知の事実であった。
「う……ごめん。こうするしか思い付かなくて……」
「まぁ、こうしてヤタさん達が来たのでそんな事はもういいです。――さて、いいですか。全員ぶっちめますよ!」
申し訳なさそうに呟く紅葉の言葉を一蹴、それからヤタは、再び現れた敵兵達へ目を向ける。構えられた三又焔から、神聖な炎が燃え上がった。
「っ、おう!」
紅葉もその言葉に佇まいを直し、真正面から敵兵達を睨み付ける。加勢に来たのはヤタと椋の、二名だけ。形勢逆転とは言い難い。
だが、気持ちを持ち直すには十分な援軍であった。疾風も、自身と似通った雰囲気を醸し出す椋に並び、士気を上げる様に雄叫びをあげた。
(……とは言え、ヤタさん達も疲労困憊。隼を殿に残し、負傷した青の兵を逃がす為にここまでアイツらを引き付けて来たのですが……流石にもう長くは持ちませんよ。誰が向かってるか知りませんが、さっさと決着をつけやがれくださいね……ッ!)
戦火はまだまだ収まらない。それは勢いを殺す事なく、ただただ激しく燃え盛った。




