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陰陽亭〜安倍緋月の陰陽奇譚〜  作者: 祇園 ナトリ
第三章 鴉天狗の里編
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三十六話 開戦、黄の一族を穿て

 走る。


 走る。


 限界を超えて、未だ走る。


 疾風の後に続くのは、里の兵の中でも精鋭の、そのまた更に精鋭だけ。有り体に言えば、疾風と蒼嵐の直下部隊の兵士のみだ。その後ろに緋月と紅葉、ハクが続き、殿を務めるのは蒼嵐。

 疾風はただ、目の前を神速の如く駆けていくヤタを見失わない様に走っていた。余計な事は考えない。復讐だとか、報復だとか、そういった感情に自分が呑まれる訳にはいかない。


「――――!」


 不意に、前を走っていたヤタが手で合図をした。それが示す意味は『止まれ』。嗚呼、決戦の場は近い。


****


「……それじゃあ、最後にもう一度だけ作戦の確認をするよ」


 蒼嵐と桐が作戦の間へ現れ、ようやく再び作戦会議が始まる。とは言え、作戦は既に立てられている。故に、今から行われるのは最終確認だ。


「今回の作戦はまず……」


 疾風はそう言って、口を噤む。彼が視線を向けているのは、自身の隊の一番槍である(むく)だった。


「……おいら達とヤタ様が囮になって、疾風様達は手薄になったとこを叩く、でしょぉ?」


 その視線が孕んだ意味に気が付いた椋は、普段から眠そうな目を更に細めて、なんて事の無いように笑う。


「にへへ、影武者のお仕事久しぶりだなぁ〜」


 そう、一番槍でもある彼は、疾風の影武者としての役割も課せられているのだ。しかし、昔から疾風が影武者という存在を拒否し続けた為、彼は疾風の直下の兵士に収まっている。

 ほわほわと笑う椋は、正直疾風に似ているとは言い難い。だが、何故か彼は疾風がそこに居ると錯覚させる程、疾風と似通った雰囲気を纏う事が出来るのだ。


「ふ、椋の事でござる。疾風様としての振る舞い方も、すっかり忘れてしまったのでは無いのか?」


「んぇ〜ひっどぉい! そんな事言ったら今の(はやぶさ)だって、全然蒼嵐様に見えないからねぇ?」


 それは、同じく疾風の隊の参謀である隼も然り。忍鴉特有の口布の向こう側、その隠された顔は正真正銘蒼嵐の影武者と言うべきである。そんな彼が疾風の隊にいる理由も、椋と全く同じであった。


「笑止、拙者は忍鴉でござるよ? 蒼嵐様に成る事など朝飯前にござる」


「…………」


 軽口を言い合い、まるで訓練中の様な雰囲気を醸し出す二人を、疾風は神妙な面持ちで見つめていた。本当は、()()()などしたくない。椋も隼も、なんならヤタも、今ではすっかり大切な青の里の一員なのだ。


「……もう、そんな顔しないでよ疾風様ぁ。おいら達はヤタ様もいるんだから大丈夫でぇ〜す」


 そんな疾風の心情を汲み取った様に、椋は笑みを深くする。それから、傍にいたヤタの腕に己の腕を絡ませながら片目を瞑った。

 神相手に不躾な態度。だが、ヤタは「なんです、邪魔くさい」と眉を顰めるのみ。


「まぁ、確かに心配なんざ要りませんよ。ヤタさんがいるからには、誰一人だって欠けさせる訳がねぇじゃないですか」


 椋の行動の意図を汲み取ってか知らずか、ヤタも続ける。その瞳に揺らめく焔には、「次こそは守り抜く」という強い意志が宿っていた。


「それともまさか、疾風様の隊の主力である我らの力を疑っているのではあるまいな?」


 なんと心配性の大将なのだろうと、隼は不敵に笑う。決戦前とは思えぬ態度。だが、それが疾風隊のいつもの光景だった。

 次期棟梁にも現棟梁の息子にも怯まず、軽口を叩く様な存在だったからこそ、今の信頼を勝ち取っているのだ。


「――! ……うん、そうだよね。ごめん、大丈夫。……信じてるから」


 だから、大丈夫。二人であれば負けないし、何かあったとしてもヤタが守り抜いてくれる。

 信頼には、信頼で返すべきだ。疾風は目を閉じて一度深呼吸、それから再び目を開いた時、その新緑の瞳に迷いは映っていなかった。


****


「――我が名は八咫烏(やたがらす)のヤタ、緋月の式神が一柱! 粛清の時間です! かかってきやがりなさい、外道共ッ!」


 遠く遠くの場所から、ヤタの大きな声が轟いてきた。緋月はぴくりと耳を動かしてそちらの方向へ顔を向けそうになるが、視線のみを動かすに留まった。緋月らが駆けるのは、黄の一族の本陣から少し逸れた森の中。

 程なくして、大きな雄叫びも轟いてくる。青の一族と黄の一族――互いの命を賭けた戦いが始まったのだ。


『……思ったより、兵士が出ていかないんね』


 隠形(おんぎょう)したままそう零すのはハクだ。天嵐という(かしら)を失いすっかり舐められているのか、彼女の言う通り本陣から飛び立つ兵士の数は少なかった。


「……いや、そうでも無い」


 だが時が経つにつれ、飛び立つ兵士の数は増えていく。蒼嵐は駆ける速度を緩めぬままに目を細め、小さく呟いた。緋月が耳を澄ませば、「尋常ではない」や「異常に強い奴がいる」などと聞こえてくる。

 それ程までに、ヤタの気合いの入れ方は今までと桁違いと言えた。


「――! 森が途切れる……。ここからは、俺達も戦いになるよ」


 先頭の疾風が合図と共に足を止めた。つまりそれは、ここから本陣へ飛び込んで行かなくてはならない、という事を意味する。


「こっちだって、気合いは十分だっての」


 既に簪を抜き、元の鬼の姿になった紅葉が唸る。その手に力強く握られた大槌が、彼女の士気の高さを表すように光を反射した。


「――行くよ!」


 疾風の掛け声に合わせ、真っ先に駆けて行くのは蒼嵐だ。低く翼を打ち、警戒しているらしい敵兵の首を瞬時に落とした。


「な――……」


 敵兵は悲鳴を上げる隙も無く、首を無くした身体を崩れ落とした。だが、ここは本陣のほとんど中心に当たる位置。奇襲が気付かれるのも時間の問題だろう。

 警備兵を仕留めるのは蒼嵐の役目だ。次々と息の根を止めていく中、遂に「敵襲、敵襲!」という声が前方から聞こえてきた。


「……チッ、もう気付かれたか」


「蒼! もういいよ、引いて! 俺達も戦う!」


 蒼嵐は一人で先行しようとしたが、疾風の声がそれを止める。この場では、棟梁である疾風に従う他ない。迫る敵兵を切り伏せつつ、舌打ち。それから神速とも言える速度で、後を走る一行に合流した。


「――おい、戻れ! 向こうの奴らは囮だ!」


「――本陣中腹に敵襲あり! 総員戻れ!」


「――っ! 不味いぞ疾風兄さん! 後ろからも……!」


 紅葉の地獄耳が聞き取ったのは、敵襲を知らせる怒号。紅葉も負けじと叫ぶが、事実を知らせた所で打つ手立ては何も無い。

 このままでは、あっという間に囲まれる。ならば、自分に出来るのは――。


「っ、後は……任せたッ!」


 叫んで、大槌を振るう。背後に走った灼熱。背中を伝う冷たい汗。


「紅葉っ!?」


 異変を感じ取った緋月が叫ぶも、もう遅い。振り返った緋月の目に映ったのは、高く高くそびえ立つ炎の壁。

 きっと紅葉は、たった一人で引き返す兵士達の相手をする気なのだ。


「紅葉ぁっ!」


 再度、必死に名前を呼ぶ。けれど、いくら名を呼んでも相棒は既に壁の向こうだ。引き返す方法は無い。


「っ、あかんよ緋月! 紅葉の為にも、はよ終わらせに行くんよ……っ!」


 駆け寄りそうになった緋月の手を掴み、ハクは諭す様に叫ぶ。だが、彼女のその荒げられた声から、今すぐに飛び込んでいきたいのはハクも同じ、という事が読み取れた。


「紅葉ちゃん……?」


 疾風は敵兵を切り伏せながら、後方で起こった出来事を確認する。目に映ったのは焔の壁。そうして、疾風は一人察した。


(一人で、だなんて……そんな事は絶対させないよ、紅葉ちゃん)


 めらめら、ゆらゆら。遠くで揺れる焔に同調する様に、新緑の瞳の中に覚悟が燃え上がった。


「――蒼!」


 それから呼ぶのは片割れの名。呼ばれた蒼嵐は目線だけをこちらに向ける。彼が何事だと叫ぶ前に、疾風は息を吸い込んで声を張り上げた。


「そっちは任せた!」


 ただ一言、たった一言、そう残して、鮮やかな黄緑は翻った。


「――!? おい、お前何を……!」


 蒼嵐は目を見張った。焦る中、視線だけで黄緑色の背を追い掛ける。彼が目指しているのは燃え盛る焔の壁。

 言われた言葉の意味を察する。止める為に後を追おうにも、敵兵が邪魔過ぎる。募る苛立ちから、蒼嵐は再び舌打ちを落とした。


(……そっちは、任せたよ。蒼)


 疾風は駆け抜けながら、刀に手をかけた。迫る焔の壁、灼熱が空気を焦がしているのを感じる。その焔が己に触れる寸前、居合で放つ真空刃。目の前の壁に、一人分の隙間が空いた。それが閉じる前に、疾風は慌ててこじ開けた隙間から転がり込む。


「……おわぁぁあっっつ!? ちょっと燃えた!」


 少しだけ火が燃え移ったが、それ以外は問題無し、五体満足。身体に移った焔は、何度か余計に転がり鎮火。どうやら、無事に壁の向こう側へ辿り着けたようだ。


「なっ……は!? 疾風兄さん!?」


 唐突に目の前に現れた存在に、紅葉は言葉を失いそうになる。それは、自分一人が敵を請け負う事で、逃がしたはずの相手。


「ば、馬鹿ッ! なんで来たんだよ!? 疾風兄さんが来たら一番駄目だろ!?」


 敵はもうすぐそこまで迫っている。だが、それも忘れて紅葉は声を荒らげた。だって、目の前の相手は、一番逃がしたかった相手で。


「ん? 向こうなら蒼がいるから大丈夫だよ!」


「そうじゃなくて……っ! 疾風兄さんは棟梁なんだろ!? こんな所に来たら……っ!」


 頓珍漢な事をほざく疾風に向かい、紅葉は必死で吼える。疾風はもうただの兵士では無い。青の一族を取り纏める棟梁なのだ。それなのにこの紅葉の無茶に付き合うなど、どうかしている。


「関係無いよ。あのまま一人だったら、きっと紅葉ちゃんの方が危ない……だから、来ただけ!」


 けれど、疾風はそんな事を微塵も気にしていない様に笑う。あっけらかんと、一人で残った方が危ないからと、紅葉と対等な位置に立って笑う。


「そんなの……っ!」


「いいから前! 俺達は全員で帰るんだから!」


 疾風の声で気が付いた時間切れ。説得も出来ず、いつの間にか敵兵は近くまで迫っていた。


「っ……! だぁっ、もう! クソッ! 帰ったら説教だ! 絶対帰るんだかんなぁっ!」


「あはは、望む所!」


 紅葉は押し切られ、半ばやけくそ気味に叫んだ。怒りを力に変え、大槌に焔を纏わせる。疾風は戦場に似合わぬ笑い声をあげ、手にした刀を構えた。


「――絶対に帰るよ」


「分かってるっての!」


 交わされた約束。共闘の幕が、再び上がる。

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