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陰陽亭〜安倍緋月の陰陽奇譚〜  作者: 祇園 ナトリ
第三章 鴉天狗の里編
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三十四話 貴方なら大丈夫

「――――っ!」


 目を覚ます。顔を上げる。すれば、そこは見覚えのある里の入口付近であった。


 一見すれば本当の青の里の様だが、所々朧気に揺れているのが分かる。ここは、蒼嵐の夢裡(むり)だ。それを証明する様に、普段は賑わっているはずの城下町は静まり返り、人っ子一人見当たらない。


「……蒼嵐さんを、探さないと」


 呟いて、桐は立ち上がる。辺りを見回して、凛々しい青色を探す。

 名前を呼べば、気付いてくれるかもしれない。けれど、それが逆に彼の心を閉ざしてしまったら、と考えてしまい、喉元まで上がってきた言葉を飲み込む。


「……いいえ、今はそんな事、考えてる場合ではありません!」


 桐は気合いを入れ直す為に、また頬を軽く叩いた。大きく息を吸って、勇気と共に大きな声を出す。


「……蒼嵐さんっ! 私です、桐です! 何処にいるんですか! 返事をしてくださいっ!」


 鈴を転がす様な叫び声は、夢中の青の里へと響き渡る。だが、やはりと言っていいのか、蒼嵐からの返答は無かった。


「……いえ、落ち込んでいる場合ではありませんよね。早く、見つけてあげないと……!」


 僅かに心へ落ちた影、桐はぶんぶんと頭を振ってそれを四散させる。早く目を覚まさせなければ、完全に心を閉ざしたままになってしまう可能性もあるのだ。


「……っ、蒼嵐さん! お願いです、返事をしてください!」


 故に、桐は駆けていく。少女があげた高い声は、偽りの空へと吸い込まれて行った。



 桐は、思い付く限りの場所を隈無く探し回った。時折通って、厳しい鍛冶師と刀の状態を語り合っている鍛冶屋。幼い子供達に群がられ、それを追い払う為に度々団子を買う姿が目撃されている団子屋。


 それから、初めて彼を誰よりも心優しい者と認識した、訓練場。


「ここにも、いない……」


 けれど、蒼嵐の姿は見つからない。何度名前を呼べども、彼は姿を現してくれない。


 やはり、自分では、駄目なのだろうか。


 悔しくて、悲しくて、どうしてか涙が溢れそうになって、必死で唇を噛んで堪える。

 そんな時、丸めてしまった背中に感じたのは、確かな視線。


「――――!」


 慌てて振り返れば、一人の幼い少年がこちらを見つめていた。


「……蒼嵐、さん?」


 青くて、少し長めの髪。切れ長の目。鋭い目付き。記憶の中の姿と比べるとかなり幼いが、その少年は、紛れもなく蒼嵐だ。

 桐は驚いてまじまじと幼い蒼嵐を観察していた。すれば、戸惑う様にこちらを見つめるその蒼い目と目が合って。

 瞬間、彼は怯えた様な表情を見せた後、踵を返して走り出してしまう。


「あ……待って! 待って下さい!」


 我に返って、桐もその後を追う。幼い蒼嵐が桐の制止に耳を貸す事は無かった。彼は走って走って、もうすっかり見慣れてしまった大きな城の中へと駆け込んで行く。


「――っ!?」


 幼い蒼嵐の後を追って城内へ踏み込んだ瞬間、唐突に強い風が吹いて、桐は思わず目を瞑った。

 風が止んだ瞬間に慌てて目を開けば、そこは見知った城内では無く、歪に捻れた回廊で。


「こ、こは……?」


 唐突な事に戸惑って、思わず足を止める。けれど、既に遠くに見える小さな背は、お構い無しに遠ざかっていく。


「っ、待って下さい!」


 桐はハッとして辺りの観察を止め、再び遠ざかっていく小さな背を追いかけ始めた。


 けれど、いくら走れど幼い蒼嵐に追い付けない。どれだけ息を切らして手を伸ばしても、待ってと言っても、名前を呼んでも、彼との距離が縮まる事は無い。


「蒼嵐さんっ!」


『――はは、何だ、もう飛べる様になったのか?』


 ふと、暖かくて、優しくて、既に()()()()()()となってしまった声が、桐の耳に飛び込んできた。思わず足を止める。


『そりゃ凄い。……流石は俺の息子って所か』


 それは、忘れもしない、天嵐の声。目を細めて頭を撫でようとする彼の姿が、暗い暗い回廊の中にふっと現れる。


「……天、様?」


 震えた声で名を呼べば、それに呼応する様に、一つ、また一つと天嵐の姿が現れる。


『――何? また疾風と喧嘩したのか? ははは、お前達、本当に仲が良くなったなぁ……』


『――蒼、次の棟梁(とうりょう)はお前に……何? 俺には向いてないから疾風に譲るだと? ……ははは、そうか。……いや、いいさ。お前達が満足出来るようにやればいい』


『――まさか、人間の娘を拾ってくるなんてなぁ……。何だ、そんな顔をするな。傷だって負っていたんだぞ、見捨てる訳ないだろうが』


 それはきっと、蒼嵐の記憶。心の中に大切に仕舞われていた記憶。ゆっくりと、足を進める毎に、暖かくて優しい声が流れ出す。


『――しっかりやれよ、蒼。お前が、お前達が、この里を守るんだ』


 けれど、そんな言葉を残して、天嵐の姿はふわりと消えてしまった。

 思わず、桐は小さな声を漏らす。手を伸ばしても、消えて行くその僅かな粒子さえ掴めない。掴めなかった。どうしようも無い無力感を抱いたまま、何も掴めなかった手のひらを見つめる。


「……俺は、弱いんだ」


 すれば、幼い少年の声が鼓膜を叩いた。顔を上げれば、そこにはいつの間にか、俯いて固く拳を握る幼い蒼嵐の姿が。


「弱いから、誰の手も掴めない」


 ぽつりぽつりと、小さな声が懺悔を重ねていく。固く握られた拳が震えている。


「もう、これ以上……誰も……失いたく、ないんだ……」


 弱々しく言葉を吐き出す幼い少年の姿が、より一層小さく見えた。


「蒼嵐さ――……」


「来るなッ!」


 けれど、近付こうとすれば、鋭い声で拒まれた。少年は顔を上げて、これ以上近付くなと、まるで手負いの獣の様にこちらを睨み付ける。


「っ!」


「俺に、……近付くな。来ないで、くれ……」


 再び、少年は俯いてしまう。


「俺は……俺では、誰も守れない。大切なものは皆、俺の手をすり抜けていってしまう」


 震えた声で呟いて、小さな両手を見つめる。


「俺は……弱いんだ……」


 消え入りそうな声でそう言って、少年はその場に崩れ落ちてしまった。


「……蒼嵐さんは、本当に優しいんですね」


 嗚呼、本当にこの人は、どうしようも無く優しい。

 睨み付ける視線に怯まず、一歩前進。


「――――!」


 すれば、少年は怯えに染まった顔を上げて、ただただ泣きそうな表情を見せる。


「優しいから、こうして、自分自身に呪いを掛けてしまうんです」


 怯える彼の目の前に膝をついて、微笑みかける。


「っ、お前に何が――……」


「分かりませんよ。でも……でも、知ってるんです。貴方が、優しい事」


 返ってくるのは、形ばかりの拒絶。きっと、この人は優しくて、繊細だから。守る自信が無いから、傷付けたく無いから、傍には来ないでくれと言いたいのだろう。


 でも、そんな事言われたって、私は一歩も引かない。引いてあげない。だって、私は。


「……私、貴方がずっと怖かった。背が高くて、目付きが鋭くて、いつも無表情で……。でも、貴方はそんな私に配慮して、影から見守ってくれてた。……それだけじゃ、ありません。転びそうになった時も、お城の中で迷ってしまった時も、訓練場で短刀が飛んできた時も! ずっとずっと、貴方は私を助けてくれた、守ってくれた! 私、ずっと貴方に守られているんです!」


 知らず知らずの内に言葉に熱が籠った。昂る熱情はいつの間にか涙に変わり、後から後から溢れてくる。


 知っていますか、蒼嵐さん。私は、たくさん貴方に助けて貰ったのですよ。いいえ、私だけでは無く、里の皆さんだってそうなんです。


「だから……! 貴方が誰も守れないなんて、そんな事、無いんです……っ!」


 伝えたい想いが、言葉が、溢れてきて止まらない。


「……お願いですから、誰も守れないなんて、そんな悲しい事、言わないで。弱くてもいいんです。貴方なら 大丈夫。だって……だって貴方は、こんなにも私を守ってくれてるんですよ」


 いつの間にか、勢いに任せて握ってしまったらしい手は、冷たいけれど、確かな温もりを感じる手だった。


「だから……ほら、帰りましょう? 蒼嵐さん。貴方にはまだ、この手で守るべきものがあるのでしょう?」


 様々な感情が混ぜ合わさった顔で泣き笑って、優しく握った手を引けば、少年だった彼は、いつの間にか見覚えのある姿へと変わっていた。


 蒼嵐の暗闇は、まるで陽光が差す様に晴れていく。闇を祓い除けたのは、鈴の様な優しい音を鳴らして、吹き込んで来た春風。


「……お、前……は……」


「…………!」


 戸惑いつつも問えば、目の前の少女は驚いた様に目を見張る。それから、ゆるりと目を閉じて。


「――私は、賀茂桐です。帰りましょう、蒼嵐さん! 貴方を迎えに来ました!」


 この世で一番美しい花が、笑った。

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