三十四話 貴方なら大丈夫
「――――っ!」
目を覚ます。顔を上げる。すれば、そこは見覚えのある里の入口付近であった。
一見すれば本当の青の里の様だが、所々朧気に揺れているのが分かる。ここは、蒼嵐の夢裡だ。それを証明する様に、普段は賑わっているはずの城下町は静まり返り、人っ子一人見当たらない。
「……蒼嵐さんを、探さないと」
呟いて、桐は立ち上がる。辺りを見回して、凛々しい青色を探す。
名前を呼べば、気付いてくれるかもしれない。けれど、それが逆に彼の心を閉ざしてしまったら、と考えてしまい、喉元まで上がってきた言葉を飲み込む。
「……いいえ、今はそんな事、考えてる場合ではありません!」
桐は気合いを入れ直す為に、また頬を軽く叩いた。大きく息を吸って、勇気と共に大きな声を出す。
「……蒼嵐さんっ! 私です、桐です! 何処にいるんですか! 返事をしてくださいっ!」
鈴を転がす様な叫び声は、夢中の青の里へと響き渡る。だが、やはりと言っていいのか、蒼嵐からの返答は無かった。
「……いえ、落ち込んでいる場合ではありませんよね。早く、見つけてあげないと……!」
僅かに心へ落ちた影、桐はぶんぶんと頭を振ってそれを四散させる。早く目を覚まさせなければ、完全に心を閉ざしたままになってしまう可能性もあるのだ。
「……っ、蒼嵐さん! お願いです、返事をしてください!」
故に、桐は駆けていく。少女があげた高い声は、偽りの空へと吸い込まれて行った。
*
桐は、思い付く限りの場所を隈無く探し回った。時折通って、厳しい鍛冶師と刀の状態を語り合っている鍛冶屋。幼い子供達に群がられ、それを追い払う為に度々団子を買う姿が目撃されている団子屋。
それから、初めて彼を誰よりも心優しい者と認識した、訓練場。
「ここにも、いない……」
けれど、蒼嵐の姿は見つからない。何度名前を呼べども、彼は姿を現してくれない。
やはり、自分では、駄目なのだろうか。
悔しくて、悲しくて、どうしてか涙が溢れそうになって、必死で唇を噛んで堪える。
そんな時、丸めてしまった背中に感じたのは、確かな視線。
「――――!」
慌てて振り返れば、一人の幼い少年がこちらを見つめていた。
「……蒼嵐、さん?」
青くて、少し長めの髪。切れ長の目。鋭い目付き。記憶の中の姿と比べるとかなり幼いが、その少年は、紛れもなく蒼嵐だ。
桐は驚いてまじまじと幼い蒼嵐を観察していた。すれば、戸惑う様にこちらを見つめるその蒼い目と目が合って。
瞬間、彼は怯えた様な表情を見せた後、踵を返して走り出してしまう。
「あ……待って! 待って下さい!」
我に返って、桐もその後を追う。幼い蒼嵐が桐の制止に耳を貸す事は無かった。彼は走って走って、もうすっかり見慣れてしまった大きな城の中へと駆け込んで行く。
「――っ!?」
幼い蒼嵐の後を追って城内へ踏み込んだ瞬間、唐突に強い風が吹いて、桐は思わず目を瞑った。
風が止んだ瞬間に慌てて目を開けば、そこは見知った城内では無く、歪に捻れた回廊で。
「こ、こは……?」
唐突な事に戸惑って、思わず足を止める。けれど、既に遠くに見える小さな背は、お構い無しに遠ざかっていく。
「っ、待って下さい!」
桐はハッとして辺りの観察を止め、再び遠ざかっていく小さな背を追いかけ始めた。
けれど、いくら走れど幼い蒼嵐に追い付けない。どれだけ息を切らして手を伸ばしても、待ってと言っても、名前を呼んでも、彼との距離が縮まる事は無い。
「蒼嵐さんっ!」
『――はは、何だ、もう飛べる様になったのか?』
ふと、暖かくて、優しくて、既に懐かしいものとなってしまった声が、桐の耳に飛び込んできた。思わず足を止める。
『そりゃ凄い。……流石は俺の息子って所か』
それは、忘れもしない、天嵐の声。目を細めて頭を撫でようとする彼の姿が、暗い暗い回廊の中にふっと現れる。
「……天、様?」
震えた声で名を呼べば、それに呼応する様に、一つ、また一つと天嵐の姿が現れる。
『――何? また疾風と喧嘩したのか? ははは、お前達、本当に仲が良くなったなぁ……』
『――蒼、次の棟梁はお前に……何? 俺には向いてないから疾風に譲るだと? ……ははは、そうか。……いや、いいさ。お前達が満足出来るようにやればいい』
『――まさか、人間の娘を拾ってくるなんてなぁ……。何だ、そんな顔をするな。傷だって負っていたんだぞ、見捨てる訳ないだろうが』
それはきっと、蒼嵐の記憶。心の中に大切に仕舞われていた記憶。ゆっくりと、足を進める毎に、暖かくて優しい声が流れ出す。
『――しっかりやれよ、蒼。お前が、お前達が、この里を守るんだ』
けれど、そんな言葉を残して、天嵐の姿はふわりと消えてしまった。
思わず、桐は小さな声を漏らす。手を伸ばしても、消えて行くその僅かな粒子さえ掴めない。掴めなかった。どうしようも無い無力感を抱いたまま、何も掴めなかった手のひらを見つめる。
「……俺は、弱いんだ」
すれば、幼い少年の声が鼓膜を叩いた。顔を上げれば、そこにはいつの間にか、俯いて固く拳を握る幼い蒼嵐の姿が。
「弱いから、誰の手も掴めない」
ぽつりぽつりと、小さな声が懺悔を重ねていく。固く握られた拳が震えている。
「もう、これ以上……誰も……失いたく、ないんだ……」
弱々しく言葉を吐き出す幼い少年の姿が、より一層小さく見えた。
「蒼嵐さ――……」
「来るなッ!」
けれど、近付こうとすれば、鋭い声で拒まれた。少年は顔を上げて、これ以上近付くなと、まるで手負いの獣の様にこちらを睨み付ける。
「っ!」
「俺に、……近付くな。来ないで、くれ……」
再び、少年は俯いてしまう。
「俺は……俺では、誰も守れない。大切なものは皆、俺の手をすり抜けていってしまう」
震えた声で呟いて、小さな両手を見つめる。
「俺は……弱いんだ……」
消え入りそうな声でそう言って、少年はその場に崩れ落ちてしまった。
「……蒼嵐さんは、本当に優しいんですね」
嗚呼、本当にこの人は、どうしようも無く優しい。
睨み付ける視線に怯まず、一歩前進。
「――――!」
すれば、少年は怯えに染まった顔を上げて、ただただ泣きそうな表情を見せる。
「優しいから、こうして、自分自身に呪いを掛けてしまうんです」
怯える彼の目の前に膝をついて、微笑みかける。
「っ、お前に何が――……」
「分かりませんよ。でも……でも、知ってるんです。貴方が、優しい事」
返ってくるのは、形ばかりの拒絶。きっと、この人は優しくて、繊細だから。守る自信が無いから、傷付けたく無いから、傍には来ないでくれと言いたいのだろう。
でも、そんな事言われたって、私は一歩も引かない。引いてあげない。だって、私は。
「……私、貴方がずっと怖かった。背が高くて、目付きが鋭くて、いつも無表情で……。でも、貴方はそんな私に配慮して、影から見守ってくれてた。……それだけじゃ、ありません。転びそうになった時も、お城の中で迷ってしまった時も、訓練場で短刀が飛んできた時も! ずっとずっと、貴方は私を助けてくれた、守ってくれた! 私、ずっと貴方に守られているんです!」
知らず知らずの内に言葉に熱が籠った。昂る熱情はいつの間にか涙に変わり、後から後から溢れてくる。
知っていますか、蒼嵐さん。私は、たくさん貴方に助けて貰ったのですよ。いいえ、私だけでは無く、里の皆さんだってそうなんです。
「だから……! 貴方が誰も守れないなんて、そんな事、無いんです……っ!」
伝えたい想いが、言葉が、溢れてきて止まらない。
「……お願いですから、誰も守れないなんて、そんな悲しい事、言わないで。弱くてもいいんです。貴方なら 大丈夫。だって……だって貴方は、こんなにも私を守ってくれてるんですよ」
いつの間にか、勢いに任せて握ってしまったらしい手は、冷たいけれど、確かな温もりを感じる手だった。
「だから……ほら、帰りましょう? 蒼嵐さん。貴方にはまだ、この手で守るべきものがあるのでしょう?」
様々な感情が混ぜ合わさった顔で泣き笑って、優しく握った手を引けば、少年だった彼は、いつの間にか見覚えのある姿へと変わっていた。
蒼嵐の暗闇は、まるで陽光が差す様に晴れていく。闇を祓い除けたのは、鈴の様な優しい音を鳴らして、吹き込んで来た春風。
「……お、前……は……」
「…………!」
戸惑いつつも問えば、目の前の少女は驚いた様に目を見張る。それから、ゆるりと目を閉じて。
「――私は、賀茂桐です。帰りましょう、蒼嵐さん! 貴方を迎えに来ました!」
この世で一番美しい花が、笑った。




