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陰陽亭〜安倍緋月の陰陽奇譚〜  作者: 祇園 ナトリ
第三章 鴉天狗の里編
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三十三話 巫女姫、覚醒

 緋月は、ぱちくりと目を瞬かせる。それは、桐が記憶を取り戻した事に驚いただけでは無い。


「か、もの……」


 彼女が口にした真名、それに、しかと聞き覚えがあったからだ。転がす様にその名を繰り返せば、確かに馴染む。


「……っ、桐さん! 任せてって、一体何するつもりなんだよ!?」


 皆が呆然とした刹那、真っ先に我に返ったのは紅葉だった。彼女は少し困惑した様に、けれど、任せてと口にした桐に縋る様に、言葉を並べる。


「……晴明様と、同じ事をします」


 覚悟を決めた瞳が、紅葉を貫いた。その言葉に紅葉は瞠目する。例に挙げられた晴明は今、その身をすり減らしながらも呪詛返しを行っている最中だ。


「同じ事って……桐、お前まさか、その身に呪いを移し替えるなんて言う気なん!?」


 つまり、それは、桐も同じく兵の皆に掛かった呪詛をその身に移し替えるつもりという事で。

 その事にいち早く思い当たったハクは、声を荒らげる。


「そのまさかです!」


「っ、あかんやろ! あれは晴明やから出来る事で――……」


「いいえ、私にも出来ます。可能なんです! 私には、呪いの類は効かないから……!」


 無理だと止めようとするハクの言葉を遮って、桐は一歩も譲らない。彼女の意志は、揺るがない。その様子に気圧(けお)され、ハクは口を噤まざるを得なかった。


「ま、待てよ! 呪いを移し替えるって事は……傷の痛みも同じ様に移るって事だろ!?」


 すっかり黙り込んでしまったハクに変わって声を上げるのは紅葉だった。呪詛をその身に移し替えるという行為は、代償無しで行う事など出来ない。必ず、苦痛が伴う行為だ。


「構いません! 皆さんの事を思えば耐えられます!」


 けれど、桐はそれを知っていて尚一歩も引かない。皆の痛みに比べれば、そんな痛みはちゃちなものだと断言する。その瞳に宿った力強い意志を、誰も揺るがす事は出来ない。


「そ、そんな強情な……!」


「今なら、皆さんを救えるんです! だから、間に合わなくなる前に! なんて無茶をと怒るなら、皆さんを救ってからにして下さい!」


 狼狽える紅葉に桐は力強く訴える。

 己が口にしているのは無茶であると、そんな事は自分が一番理解している。けれど、そんな自身の無茶を叱るのであれば、全て終えた後に。


「私は……もう! 誰かを失うつもりも、誰かに失わせるつもりもありません! だから、こんな所で死ぬつもりなんて、全くありませんっ!」


 その叫ぶ様な言葉に、絶対誰も失わせないだけでなく、失わせるつもりも無いという桐の意志がありありと現れていた。


「……うん、分かった。あたし、手伝う! 何したらいいっ!?」


 そんな、強い想いに共鳴するのは、緋月。立ち上がって、桐の手伝いを志願する。


「なっ……緋月!?」


「緋月さん……! ありがとうございます! まずは……人形(ひとがた)を。人形に皆さんの呪いを移し替えて下さい! その後、私が纏めて請け負います!」


 戸惑う紅葉を他所に、桐は緋月へ手伝いの指示を出す。もう、桐も緋月も聞く耳を持たない様だ。


「……っ、あぁもうクソっ! 皆の事救ったら、絶っ対全員に怒られろよ、桐さん! ……緋月は右から回ってけ! 俺は左から行く!」


「……! 望む所です!」


 こういう強い想いを抱えた者が、もうてこでも動かない事は紅葉も嫌という程知っている。だから、もう諦めて手伝う他無かった。

 後で絶対叱ってやると宣言すれば、受けて立つとの返答が。嗚呼、全く、と思いながら、紅葉は緋月と二手に分かれて駆けて行った。


「っ、桐ちゃん! 俺も手伝うよ、何したらいい!? 何でも言って! 皆を助ける為だったら、何だってするよ!」


 名を呼ばれ、桐は振り返る。同じく、誰も失ってたまるかと言う意志が宿った黄緑色の瞳と視線がかち合った。


「疾風さん……! はいっ! では……疾風さんは人形の作成をお願いします! ……ハク様、御教授を!」


 まるで巻き込む様にハクの名を呼べば、彼女が返すのは呆れた様な白眼視。けれど、呆れ返りつつも、ハクは桐のその態度から主と同じものを感じてしまって。


「……はぁ、ウチも、後でたっぷり叱ったるんよ。こっち()ぃ、疾風。そっちで見とる兵士(あんた)らも……ちゃんと教えたるから」


 故に、ハクはもう、その頼みを嫌だと断る事すら出来なかった。堪忍した様に呟けば、わっと遠巻きに見ていた兵士達が集まってきた。

 桐はハクの周りに兵士達が集まって行くのを見ながら、頬を叩いて気合いを入れ直す。これは、自分にしか出来ない事なのだ。


「……っ、そうだ、蘇芳(すおう)は――……」


 それから、いけない、指示を出し忘れていた、と後ろを振り仰いでハッとする。


 だが、そんな相手はいない。自分は一体誰に指示を出そうとしたのだろう?

 ……否、ぼんやりしている暇は無い。思い出すなら後だ。桐は頭を振って思い浮かんだ存在を一旦忘れ、自身も人形を持って駆け出した。


****


「……っ、掛け、まくも……(かしこ)きら八百万(やおろず)の神々よ……! 我が身に掛る(けがれ)をば……、(はら)(たま)い、清め(たま)えと(もう)す事を(きこ)()せと……っ、畏み畏み(もう)す……!」


 もう、何度この奏上を口にしたか定かでは無い。けれど、桐がこの奏上を唱える度に皆が徐々に目を覚ましていった。それから、もう一度開いてしまった傷を閉じて。

 何度も繰り返される術の行使に、桐はすっかり疲弊し切っていた。


 けれど、それが繰り返されるのももう僅か。未だに目を覚まさないものは両の指で数えられる程だ。


「――桐ちゃんっ! これで最後っ!」

「俺の方もだ!」


「っ、はい! お任せ下さい!」


 僅かに息をついた瞬間、再び緋月と紅葉が人形を持って駆け込んでくる。桐はそれを受け取った瞬間、流れる様に呪詛を自身に移し替えて、奏上を申し上げた。


「……傷を、塞がないと」


 肩で息をして、立ち上がる。一瞬だけ視界が眩んだ。けれど、こんな所で倒れる訳にはいかないと踏ん張って、持ち堪える。

 強引に身体を引き摺る様に患者の元まで運んで、再び開いてしまった傷口を塞いだ。

 これで、終わり。直に彼らも目を覚ますだろう。


「……っ、ダメだ、桐ちゃん……! 蒼が……、目を覚まさないッ!」


 安堵しきった瞬間、今にも泣き出しそうな声が桐の耳朶(じだ)を叩く。眠ってしまいそうだった意識を根性で持ち上げて、声のした方へと顔を向ける。

 そこでは、疾風が未だ目を覚まさない蒼嵐の手を強く握りながら、縋る様に桐を見ていた。桐は鉛の様な身体に鞭を打って、蒼嵐が眠る(しとね)まで駆け付ける。


 蒼嵐に掛けられた呪いは返した。傷口も、塞いだ。しかし、彼は依然として目を覚まさない。あまりにも血を流し過ぎてしまったのだろうか、と思って、疾風が握っていない方の手を握る。


「――――!」


 その瞬間、桐はある気配に気が付いた。


(……別の、呪いの気配……?)


 それは、皆が掛けられた妖刀の呪いとは違う、また別の呪いの気配。どうして、一体何処で、と青ざめてから、ふと、ある事に思い当たる。


(……ううん、違う。これはきっと……蒼嵐さんが、自分で自分に掛けてしまっている呪い……)


 その呪いは、自己嫌悪という名の呪い。蒼嵐はきっと、呪詛の陰の気に触れた事が切っ掛けで、自責の念という強い強い呪いにも囚われてしまったのだろう。


 こうなってしまったら、助ける方法はただ一つ。眠る者の夢裡(むり)へ入り込んで、その心を揺さぶり起こすしかない。そうすれば、彼も自ずと目を覚ますはずだ。


 問題は、彼が心を開いてくれるかどうか、だ。

 たくさん、すれ違った。たくさん、迷惑を掛けた。――たくさん、傷付けてしまった。

 自分では、駄目かもしれない。けれど、夢裡(むり)に入り込めるのは術者だけ。


「……私が、蒼嵐さんの目を覚まさせてきます」


 けれど、諦める訳にはいかない。

 だって、だって……貴方は、それ以上にたくさん、私を助けてくれたから。


「今度は……私が貴方を、助ける番です」


 桐は一層力強く蒼嵐の手を握って、術を唱えた。

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