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陰陽亭〜安倍緋月の陰陽奇譚〜  作者: 祇園 ナトリ
第三章 鴉天狗の里編
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三十一話 静まり返る青の里

 夜更けの青の里は、誰も居なくなってしまったかの様に静かだった。民も兵も、緋月達でさえも、何も言えず、ただ口を噤む事しか出来ない。


「……本当に、いいんですね」


 その静寂を食い破ったのは、何処か疲弊した様子のヤタだった。先程帰って来た彼女でさえも、黄の一族の棟梁を討つ事は成らなかった様だ。


「うん……母様も、お願いって言ってた。ヤタ様の……神様の焔なら、きっと父様も天に送れるからって」


 悲痛な響きを持ったヤタの確認に首を振るのは疾風だった。彼は、泣くのを堪えたまま微笑んで、発作を起こしてこの場に来れない母の言葉を告げる。


「……わかり、ました」


 その言葉を受けて、辛そうに目を伏せたヤタの目の前に置かれているのは、木製の棺。その中には、永遠の眠りについた天嵐がいる。


 この里の民の中で、唯一ヤタが守り切る事が出来なった者――それが天嵐だった。それでも、民や兵から掛けられる言葉は「ありがとう」という感謝の言葉。

 力不足だった訳では無い。けれど、守れなかった。彼らの、一番大切な()を喪わせてしまった。


「疾風、天嵐の刀はありますか」


 その身体を天へ送る前に、最後に自分が出来る事など、決まりきっている。故に、ヤタは近くから離れようとしていた疾風に声を掛けた。


「……? うん、あるよ。……蒼」


 急に声を掛けられ、疾風は驚いた様に目を瞬かせていたが、ヤタが発した言葉の意味だけを理解すると、少しだけ戸惑った様に遠くの蒼嵐を呼んだ。

 俯き、拳を強く強く握り締めていた蒼嵐は、呼ばれて、その悲痛な思いに染まった顔を上げる。彼はそのまま呼ばれるままにヤタの元まで赴き、遺された刀を求められるままに、だが手離したくないと言うようにゆるゆると差し出した。


「少し、お借りするだけです。大丈夫ですよ、ちゃんと……返しますから」


 ヤタはその白銀の刀を受け取って、悲しい表情のまま微笑みかけた。そこに、いつもの明るさは無い。

 彼女は鞘を渡しながら、危ないので、と二羽の鴉を遠ざけ、静かに深呼吸。空気が澄み渡って、神聖な気が溢れ始める。


「――――!」


 神鳥は一柱(ひとり)舞う。誰もが息を飲んだ。それは、見事な剣舞(けんぶ)。まるで生前の天嵐の勇猛さを表す様に、しなやかに、けれど力強く舞う。

 白銀の刀身が、月明かりを浴びて輝いた。舞うのは少女の様な神。けれど、その場にいるのは天嵐の様だった。


「……天嵐、貴方の往くべき道は、私が照らしておきますよ」


 神の少女は最後に膝を付き、持ち主へと捧げる様に刀を掲げる。それを受け取る主は居ない。故に、地へ刀を突き立てる。


「どうか、安らかに」


 それから、自身の得物である三又焔(みつまたほむら)を取り出して、聖火を纏わせた。高温が空気を焦がす。

 そして、どうか最期の旅路を明るく照らせる様にと想いを込めて、ヤタは神聖な焔を棺へと捧げた。


****


「皆様……どうか、顔を上げてくださいませ」


 何処までも穏やかで柔らかな掠れた声が、その場の皆の鼓膜を叩く。俯いたままの緋月が言われるままに顔を上げれば、気丈に微笑む緑嵐と目が合った。


「っ、緑さま……わたし、私……っ!」


 その姿を見た途端、桐は堪えきれないと言う様に嗚咽を零した。彼女の頬を、幾筋も幾筋も清らかな涙が流れていく。


「嗚呼、どうか泣かないでくださいませ、桐さん……。貴女と、未来ある若者の命を守れたのならば、きっとあの人も本望でしょうから……ね?」


 泣きじゃくる桐を抱き締めた緑嵐は、ただただ幼子を諭す様に静かに微笑む。その様子を何処か遠くの出来事の様に、緋月は見守るばかりだった。


「……あたし、どうしたら……」


 今まで、身近な存在が命を落とす事など無かったから。だから、緋月は気持ちの整理を付けられずにいた。喪失感と後悔と、それから命を失う事に対する恐怖が今更になってやってくる。後から後から、身体が震えて仕方なかった。


「…………!」


 そっと、固く握った拳に手のひらが重ねられた。緋月がハッとしてその手が伸びてきた方向を見れば、紅葉が真っ直ぐとこちらを見つめていた。

 彼女は何も言わず、ただ手のひらの体温を分け合う。緋月は固く握った拳を開いて、きゅっと手を繋いだ。何があっても、紅葉だけは離さない様に、離れない様に。


「――下を、向いてちゃダメだ」


 再び静まり返った最上階。その静寂を食い破ったのは凛とした声。

 皆がゆるりと声のした方へ視線を向ける。そうして全員の注目を集めたのは、疾風だった。


「俺達が今やるべき事は、こうやって下を向く事じゃない。……まだ、やるべき事が残されてる」


 彼の新緑の様な瞳に宿るのは、真っ直ぐな意志。ここで折れてたまるかと言う様な、力強い闘志。


「これ以上、黄の一族(あいつら)に奪わせる訳にはいかない」


 それはまるで、かつての天嵐の様で。誰もが、息を飲む。


「立ち止まる訳には、いかないんだ」


 疾風は一言一言を噛み締める様に、まるで自分に言い聞かせる様に吐き出した。


「……蒼、兵の皆を……ううん、里の皆を城内に集めて。これからの事、ちゃんと話さなきゃ。今は……俺が、棟梁(とうりょう)だから」


「…………! …………、分かった」


 そんな真っ直ぐな瞳に射抜かれて、蒼嵐は息を詰まらせた。彼はそのまま静かに目を伏せて、それから小さく返事をする。そうと決めた蒼嵐の行動は早く、すぐ様立ち上がって飛び立った。


「……ありがとう」


 その飛び去って行く背中を見送って、疾風も同じ様に小さく呟いた。そのまま固く手を握り合う緋月と紅葉に、大丈夫だからと笑いかけて、彼は階下へと向かう。


「……たし、も」


 その後落とされた、去る二人を追いかける様な、掠れた涙声。


「っ、私も、行きます。皆さんの怪我を治せるのは、私だけだから……っ!」


 疾風に続いて声を上げたのは桐だった。あの時、天嵐を庇う為に飛び出した時の様に乱雑に目元を拭って、未だ潤んだ瞳のまま立ち上がる。


「……緑様。行ってきます」


 それから、緑嵐へと深く深く頭を下げて、既にこの場を去った蒼嵐と疾風を追いかける様に走って行く。その背に、後悔や迷いは残されていない。


「……お二人は、気が済むまでここにいても大丈夫ですからね」


「……ぁ」


 小さく笑う緑嵐の言葉に、緋月は無意識の内に声を漏らした。緑嵐は気丈に笑っている。きっと、愛しい人を亡くして胸が張り裂けそうなはずなのに。


「……ううん、あたしも、いきます。この里のみんなが、あんな風に立ち上がってるのに……あたしだけメソメソしてられない! あたしも、今できる事をやらなきゃ!」


 今、一番涙を流すべき人は気丈に笑っている。だから、緋月はこのままずっと泣き続けるべきでは無いと思った。少なくとも、彼女の前で辛そうに振る舞うべきでは無いと確かに感じた。

 故に、立ち上がって、大丈夫と想いを込めた瞳で真っ直ぐ緑嵐を見つめて、決意表明。


「緋月……うん、そうだよな。あの、お気遣いありがとうございます。けど……」


 そんな唐突に立ち上がった緋月を見て目を丸くしていた紅葉も、直ぐに賛同して立ち上がる。再びぎゅっと繋がれた手は暖かかった。


「あたしたちも! みんなのお手伝いしてきます!」


 紅葉の言葉を引き継いで、緋月は胸を張る。悲しい気持ちと、喪う恐怖は拭えない。けれど、立ち止まっている暇は無い。辛くとも、苦しくとも、まだ残されているものを守る為に前へ進むしかないのだ。


「……そう、ですか。……ありがとうございます。この里の為に……力を貸して、下さって」


 緋月のその真っ直ぐな意志に当てられた緑嵐は、僅かに目を見張る。それも束の間、すぐ様その表情は穏やかな微笑に変わると、彼女の口は感謝の言葉を紡いだ。


 その感謝の言葉に、少しだけ緋月の胸は締め付けられる。だが、緋月はその様子をおくびにも出さずに同じく笑顔を返した。

 そうして、緋月と紅葉は手を繋いだまま皆が奔走しているはずの階下へ向かう。


「……ぁ」


 部屋を抜けた後、最後にふと後ろを振り返った緋月の瞳に、緑嵐の姿が映る。それは、先程までの気丈な姿とは違っていた。閉じていく扉の向こう、見えたのは、ただ感情を顕に泣き崩れる緑嵐の姿だった。


 そんなの、当たり前だ。だって彼女は、一番大切な存在を失ったのだから。きっと、話している間も、ずっと泣き出してしまうのを堪えていたのだろう。

 緋月の頭をぐるぐると様々な考えが巡り、しばらく何も言えず、ただ閉まってしまった豪奢な襖を見つめる事しか出来ない。


「緋月?」


「……っ、うん」


 すれば、中々後を追ってこない事を不審に思った紅葉が緋月の名を呼んだ。我に返った緋月は、もう二度と、誰かにあんな表情を、あんな辛い思いをさせるまいと、一人胸に誓った。


****


 真夜中。里は警備の者を残し、すっかり寝静まっている。――否、涙を流し、眠れぬ者も多いだろう。けれど、誰も彼も、心に残している不安は取り払われていた。


『俺が、絶対にこの里を……皆を守り抜いてみせるから』


 音も立てずに歩く蒼嵐は一人、力強く語る背中を思い出していた。誰も彼も、その力強く語る姿に救われた。きっとそれは、自分では成し得なかった事で。無意識の内に力を込めた右手が、形見の刀の柄と擦れて僅かな音を立てる。

 その僅かな音にハッとして、彼は再び気配を消す。目指すのは、緊急の際に使用する裏門。誰にも気付かれない様に、()()()を心に抱いて前進する。


「……蒼、どこ行くの」


 けれど、鋭い声に行く手を阻まれ、誰にも気付かれない様に、という計画は瓦解する。

 掛けられた声は、先程から脳内で鳴り響いて止まない声と全く同じ。暗闇に慣れてきた瞳に映ったのは、月夜に照らされる義兄弟だった。


「……夜警だ。今の兵の数では心配だからな」


 面倒な奴に見付かったものだ。こちらを見据える視線は、掛けられた声と同じく鋭い物。蒼嵐は溜息をそっと吐いて、直ぐに吸った息を慣れない嘘と一緒に吐き出した。そのまま何事も無かったかの様に、疾風の横を抜けて行こうとする。


「……夜警に、父様の刀がいるの?」


「っ!」


 疾風は、蒼嵐の目論見を見抜いていた。蒼嵐の前進を阻む様に、その肩を力強く掴む。彼は驚いた様に息を飲んで、怯える幼子の様な瞳を疾風に向けた。


「……悔しいのは、分かってる。俺だって、悔しいから」


 そんな蒼嵐の内面に潜む幼子を諭す様に、疾風は一言一言を噛み締めながら口にした。


「っ、だって黄の一族(あいつら)は、俺の家族を二度も……っ!」


 無意識の内に、蒼嵐の肩を掴んだ右手に力が篭もる。


「――――!」


 その瞬間に、蒼嵐は察した。冷静でいられないのは自分だけでは無いのだ、と。忘れるはずも無い、黄緑の里を滅ぼしたのは、他でも無い黄の一族だ。


「……でも、ここで、選択を間違えちゃいけない。道を間違えちゃいけない。これ以上、大切な誰かを失う訳にはいかないから」


 けれど、目の前の男は、それ以上の激情を内に秘めて、押し止めて、里を、民を守るという自分の役割を全うしようとしているのだ。


「……だから、お願い、蒼。今は、今だけは、一時の感情に流されないで」


 はっきりと、疾風の中に渦巻く激情を感じた。強く強く掴まれた右肩が痛む。疾風の言葉は、まるで泣かない様にと縋っている様にも聞こえた。


「……っ、……あぁ、分かった」


 彼の頼みを承諾し、宥める様に力の籠った右手に触れれば、疾風はハッとして、それから、他の誰にも聞かせられない程に情けない声でありがとうと呟いた。



「……あ、蒼嵐さん」


 もう今日は寝てしまおうと目指した最上階。音も無く回縁(まわりえん)に着地すれば、鈴を転がす様な声が遠慮がちに蒼嵐の名を呼んだ。


「巫女姫……? 何故、こんな時間まで……」


 冷えるだろうに、何故か外で蒼嵐を待っていたらしい桐の姿に、蒼嵐は目を見張る。


「あの……一つ、お願いがあるんです」


 月明かりに照らされたまま、少女は少し俯いて、遠慮がちに呟く。蒼嵐は何も言わず、彼女の次の言葉を待った。


「今日だけは……その、緑様のお傍に居てあげて欲しいんです。緑様はお優しいから……私がいたら、きっと、悲しむ素振りすらも、見せて下さらないでしょうし……」


 再び、蒼嵐は目を見張った。何処か困った様に、心苦しそうに微笑む桐の姿が目に焼き付く。


「でも、蒼嵐さんが、お傍にいて下さるならきっと……。……あ、私の事なら、平気です。下の階で、未だ怯え続けている子供達と一緒に寝ますから」


 心優しいのは、彼女も同じだ。胸の前できゅっと握られた手は、少し赤らんでいる。恐らく彼女は、この事を頼む為だけに、寒い中蒼嵐の事を待っていたのだろう。


「……そうか、……分かった」


 蒼嵐が暫しの逡巡の後、ゆっくりと頷いてやれば、桐は安堵した様に表情を綻ばせる。


「……はい、お願いします。……その、蒼嵐さんも、ちゃんと身体、休めて下さいね。きっと、お疲れでしょうから……それでは、おやすみなさい」


「あぁ……」


 最後に少女は、もう一度優しく笑って、蒼嵐の身まで案じる。短く返事をした後、去って行く彼女の心配そうな瞳が焼き付いて離れない。


「…………俺は、弱い……な」


 蒼嵐は一人、無力な自身の手のひらを見つめ、小さく呟いた。

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