二十九話 守る覚悟
晴明が戦線を退いてから、一日が経とうとしていた。幸い黄の一族の敵襲は無い。だが、それすらも嵐の前の静けさの様で不気味だった。
黄の一族の里の位置は、晴明が呪詛返しを行う過程で割り出している。今は準備を進める時だと誰もが理解し、来たる決戦の時へ向けて覚悟を決めていた。力を溜めて、溜めて、一気に決着をつける。
誰もが、そう考えていた時だった。
『――――――――――!』
突如響いたのは、敵襲を知らせる鐘。それも、この鐘の音は最悪の状況を知らせる音だった。
『里内ニ敵有リ』
鐘はけたたましく鳴いて、最悪の状況を知らせる。途端、あちこちから怒号が飛び交い始めた。
「な……なんでっ!? 夕凪おじいちゃんの結界は!?」
緋月は、その時城内に居た。飛び出して行く紅葉とヤタの背を呆然と見送るばかりで、すぐには動けない。
唐突に知らされた状況は、緋月が有り得ないと考えていた状況。夕凪が居れば、例え里の位置が割れていても、攻め込まれる事は無いと思っていた。
「……呪詛を送れるって事は、相手にも術師がおるって事なんね。多分、何人かが一気に一点を攻めたんやと思うんよ」
だがどんなに強度な術も弱点はある。面に対しては圧倒的な防御力を誇る夕凪の術は、まるで穴を突く様な一点への集中攻撃に弱かった。
「――っ!」
声にならない叫び声を既のところで飲み込む。誰よりも耳のいい緋月が聞き取ったのは、悲鳴と泣き声、それから、必死に助けを呼ぶ声。
「……里の人を、守らなきゃ」
そんな声を聞く内に緋月の中で、一つの覚悟が決まった。
大切な人を傷付けられているのに、何を迷っているのか。大切な人達を脅かす者に、かける慈悲など一切無い。やられる前に手を下す。ただ、それ一択だ。
「――緋月さんっ!」
覚悟を決める緋月の耳に飛び込んで来たのは、不安と緊張を混ぜこぜにした少女の声。呼ばれた名前は、自身のものだ。
「っ、行こう桐ちゃん!」
桐に返事をして、緋月は駆け出した。それは、大切な人達を守る為に。こうしている間にも、大切なお友達である青の里の皆は傷付けられようとしているのだ。
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緋月と桐、それからハクは共に城内から飛び出して、様々な音が飛び交う城下町を駆けていた。
とにかく緋月とハクが襲いかかって来る黄の一族を退けて、怪我をしている者は桐が癒して、そうして城まで逃げろと誘導した。
現在の城は安全地帯だ。夕凪が、里全体を守っていた結界よりも遥かに強固な結界を、何重にも掛けているのである。
それは無論、主である晴明を守る為に。これ程の結界ともなれば、晴明以外ではそう易々と破れないだろう。
「――――っ!」
そこら中に、黒い羽根が落ちていた。果たして、それがどちらの一族の物かは判別出来ない。桐はそれが目に映る度に息を詰まらせていた。
「……城門付近はあかん。おヤタが必死こいて守っとるんよ。これ以上護衛対象が増えるんは、多分あん子でも厳しいと思うんね」
不意に、ハクは二人を引き止める。
この先にヤタがいる――それは、緋月もひしひしと感じていた。だが、彼女の気配はいつもより苛烈で、凶暴で、手の付けられない程に燃え上がっている事も同時に感じ取る。
「ヤタ……」
思わず呟く緋月の目に付いたのは、亡骸が纏う黄色の装束を射止める三叉槍。それは、ヤタの愛槍である三又焔だ。
「……大丈夫、ヤタなら心配なんか要らないっ! 他の所の皆に早く声掛けなきゃ!」
緋月は一度きゅっと目を瞑って、それから、すぐにまたその目を開ける。そこに宿っていたのは「ヤタを信じる」という強い意志。
こんなに離れているというにも関わらず聞こえてくるヤタの咆哮を背に受けながら、緋月は桐とハクを具して来た時とはまた別の道を駆けていった。
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「っ! 緋月、桐! 下がるんよっ!」
訓練場の近くに差し掛かった辺り。緋月を耳をハクの鋭い声が指す。咄嗟に足を止めて急停止すれば、ハクだけが止まらず緋月の傍を駆け抜けて、金剛より硬い爪で何かを受け止めた。
「ほぉ、儂の剣を止めると言うか」
それは、禍々しい紫紺色の刀身だった。ハクが両の爪の間から白眼視するのは、他の黄の一族の者とは明らかに一線を画す程豪奢な装束を纏う初老の鴉天狗。
「……ぬ? 何者じゃ、お主は……青鴉では無いな?」
高い位置でぼさぼさの髪を結った大鴉は、明らかに鴉天狗では無いハクを見て怪訝そうに眉を顰める。
「ハッ、答える義理も無いんよ!」
その問いを鼻で笑い飛ばして、鍔迫り合いを終わらせる。刀身を受け流した反動を使って力を溜めて、ハクの爪先が目指すのはその喉元。
「儂は青鴉以外に興味は無い! 引っ込んでいろ余所者!」
「っ、かは……ッ!」
だが、相手の方が一枚上手。大鴉は躊躇なく受け流された反動を回し蹴りへと繋げ、がら空きになっていたハクの脇腹にそれを叩き込む。
咄嗟に防ぐ事が出来なかったハクは木の葉の様に飛ばされ、苦しそうな呻き声を漏らした。
「ハク!」
「ぬぅ……呪詛も効かぬ上、やけにいつもと様子が違うと思っていたら余所者が紛れ込んでおったのか。何処までも小賢しい連中よのぅ、青の一族は……」
叫ぶ緋月を他所に、大鴉は顎に蓄えた髭を悠々と撫でながら独りごちる。それは忌々しそうに、たった今蹴り飛ばしたハクに視線を向けながら、青の一族を小賢しいと罵った。
「っ、余所者じゃないっ! あたしたちだって青の一族の仲間なんだからっ!」
大切な仲間達を侮辱され、黙っていられる緋月では無い。毛を逆立てて怒りを顕にし、誰に言うでも無い呟きに噛み付いた。
「ほざくな小娘、お主の様な余所者に興味は無い」
だが大鴉は緋月の言葉に目を細め、鬱陶しそうに片手を振る。相手にされていない様なその態度が、緋月の怒りを更に増幅させた。
「クカカ! そうじゃ、儂が狩るのは青鴉! ――例えば、彼奴の様な、な!」
それから大鴉は、ふと何かに目を付けると、手にしていた刀で緋月達とはまた別の方向を指し示した。そこには、今まさに転倒したらしき青の一族の幼子の姿が。
(――っ、駄目っ!)
それが言っている言葉の意味を理解した桐は、大鴉が翼を打つより早く駆け出した。必死に手を伸ばして、転けた痛みと恐怖から泣き叫ぶ幼子を胸の内に抱く。せめて、この子だけでも守れる様にと。
やっと、怖がってばかりだったこの里の皆を愛せる様になったから。やっと愛せた優しい家族達を、傷付けさせる訳にはいかないの。
「桐ちゃんっ!」
淡い月光の様に優しい少女が叫ぶ声が聞こえた。
嗚呼、ここで終わるのだろうか。上手く思い出せなくてごめんなさい。けれど、貴女の事が大切で大好きな事は覚えています。
ふと、まるで兄妹の様に気さくに接してくれた黄緑色の鴉の事を思い出す。それから、無愛想だけれど、本当は優しい青鴉の顔が浮かんで。
嗚呼、彼らにも、彼らのお父様にもお母様にも迷惑を沢山掛けてしまった。まだ、何も返せていないのに。
募る思いとは反対に、桐はしっかりと胸の中の存在を抱き竦めた。覚悟は揺るがない。終わりの時まで、大切な記憶で染め上げて、襲い来る未来をただ待って――。
「――ぁあ……間にあった、か……」
けれど、死の衝撃は訪れなかった。
絞り出された様な安堵の声が、桐の耳朶を叩く。それは、暖かくて優しくて、誰よりもこの里の鴉達に愛されている者の声。皆の、希望の象徴の声。
嫌だ。嫌だ、信じたくない。その声が、間に合ったと言った事。覚悟していた痛みが、終わりの瞬間が訪れなかった事。
それが意味する事を、桐は既に理解していた。けれど、理解なんかしたくなかった。
震える様にして、目を開ければ、やはり。
「――っ!」
「怪我は、ねぇか……桐姫……」
禍々しい刀に胴を穿たれた天嵐が、桐に向かって優しい笑みを浮かべていた。




