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陰陽亭〜安倍緋月の陰陽奇譚〜  作者: 祇園 ナトリ
第三章 鴉天狗の里編
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二十八話 嵐の前兆

 何日も、何日も、緋月にとって苦しい戦いが続いていた。それは、誰かを傷付ける事だけに起因しない。

 ハクが、ヤタが、紅葉が、大切な者みなが傷付いていく様をずっと見ていた。蒼嵐も、疾風も、みなが血を流して戦いに臨む。昼夜問わず治癒術をかけている桐がすっかり疲弊している事も知っていた。


 ただ、一つだけ救いがあった。それは、晴明の存在だ。


「大丈夫だよ、緋月。現し世ならともかく、この世界で僕に適う存在なんて何処にもいないさ」


 祖父はそう笑って緋月の頭を撫でる。その言葉の通り、晴明は誰よりも強かった。


「晴明様がいて下さるから、今の所皆この程度で済んでるんだよ」


 それは、桐を手伝っている時に兵士の一人から聞いた言葉だ。けれども彼は満身創痍、この程度で済むという事は、きっと、晴明がいなかったら。


「――緋月、爺さんが呼んでんぞ。作戦会議するって」


「あ……う、うん!」


 一人、考え込んでいた緋月を、紅葉の声が現実に呼び戻す。慌てて顔を上げれば、そこにはすっかり見慣れた本来の姿の紅葉がいた。彼女は緋月が返事をしたのを聞き届けると、踵を翻して歩き始める。


「……ねぇ紅葉、手……繋いでいい?」


 いくら治癒能力が高い鬼とは言え、彼女の服はすっかりボロボロだった。途端に不安になった緋月は、泣きそうな声を落とす。


「……うん、いいよ」


 その小さな小さな呟きに気が付いた紅葉は、足を止めて相棒へ手を差し出した。冷え切った手が触れる。大丈夫と言う代わりに、ぎゅっとその手を握った。


 この間から作戦会議が行われている作戦の間に着くまで、二人の間に会話が発生する事は無かった。けれど、しっかり繋いだ手の温度が緋月を安心させる。


「――ただいま、緋月連れてきたぞ」


 作戦の間の敷居を跨いで、紅葉はその場にいた全員へ声をかける。何やら話し込んでいたらしいハクと桐、そして天嵐が顔を上げ、晴明がにこりと微笑んで手を振った。いつもは戦場に出ていて席を外しているはずの疾風と蒼嵐もいる。

 恐らく、今から行われる会議は相当重要な物なのだろう。


「……よし、これで全員か」


 険しい面持ちの天嵐が呟く。

 それもそのはず。現在優勢なのは晴明がいるおかげで、何も青の一族側に被害が出ていない訳では無い。桐がいるおかげか、戦死者こそ出ていないものの、現在この里にいるほとんどの者が何処かしらに傷を負っていた。


「まずは――……」


 天嵐が口を開いた瞬間。


「――――っ! ぁ、ぅ……な、に……!?」


 その場にいた全員に重圧が降り掛かった。重い重い空気、冷たい手で心臓を握り潰される様な感覚。とても立っていられる状況では無く、緋月は思わずその場にへたり込む。


 否、緋月だけでは無い。紅葉もハクも、屈強な鴉天狗の戦士達でさえも、苦痛に顔を歪めてその場に膝をついていた。


「ぐっ……なん、だ……」


「……っ! 皆さん……っ!」


 何事だと呻く天嵐と、それを見て何とか皆を救おうと術を行使しようとする桐。彼女が持つ力のおかげなのか、桐の症状は他より少し軽い様に見えた。


「――これは少し、やり過ぎと言う奴だね」


 その中で唯一立っていた祖父の声が聞こえた瞬間、感じた事無い程の妖力が爆発的に広がって、緋月の身を縛っていた重圧と苦痛はあっという間に消え去った。


夕凪(ゆうなぎ)


「――御意」


 突然の事に皆が目を丸くしている間、静かに一つの名が落とされる。落とされたのは名前だけ。だが、名を呼ばれた存在は主が何を求めているのか瞬時に理解し、その通りに力を奮う。

 一瞬のうちに広がったのは結界だ。だが、それは元々この里に掛けられていた様な神隠しの術では無い。あれは、いつも見ている、玄武の絶対防御の結界だ。


「天嵐君、今のうちに部屋を一つ空けてくれ」


 そう言う晴明の顔からは、いつもの余裕な微笑みが消えていた。


(あ……じー様、怒ってる)


 それは、まるで十六夜が普段晴明に向ける様な表情。怒っていると、言い表すのが正しい表情だった。細められた紫紺の瞳は、憤怒の焔に揺らいでいる。

 きっと、大切な者を傷付けられたから。家族を、友人を、傷付けられたから。


「っ、待て晴明。先に説明を――……」


「呪詛だよ。それも、何人かが同時に発動させるような大掛かりな物だね。このままでは、誰も彼もが呪い殺されるよ」


 唯ならぬ晴明の雰囲気に気圧されつつも説明を求める天嵐の言葉に、晴明は食い気味に答えた。「呪詛」と呟く彼の顔は、何処までも忌々しいとでも言いたげである。


「なっ……!」


 息を飲む。それから、ゆっくり息を吐くと共に、天嵐はその紺色の瞳を瞼の裏に隠した。


「……それは、この里の場所が割れたって事か?」


 次にその目が開かれた時、彼はそんな言葉を同時に口にした。疾風と蒼嵐の、声にならない心底驚いた悲鳴が聞こえてくる。その場の注目が全て、晴明へと集まった。


「……そうなるね。だが、今はそんな事に構っている暇は無い。夕凪に防御の結界は張らせたが、それも一時的な物だよ。僕が呪詛返しを行うから、専念する為にも部屋を貸してほしいんだ」


 晴明は、全員の注目を全身に浴びながらも、臆する事無く答えた。里の場所が割れた事を「そんな事」と切り捨てた晴明に、思わず蒼嵐が斬りかかりそうになったが、疾風が慌ててそれを制する。


「…………なるほど、な。分かった、手配する」


 少し黙り込んで、それから天嵐は要求を受け入れる。その脳裏には、晴明が先程言い放った「誰も彼もが呪い殺される」という言葉が巡り続けていた。

 この里の全てを守り抜く。そう誓った天嵐に、晴明の手助けを断わるという選択肢は用意されていなかった。


「ま、待ってじー様っ! この呪詛……多分この里に掛けられた術だよ!? そんなの返せるの!?」


 そんな中、掛けられた呪詛の本質を見抜いた緋月は、焦った様に祖父へ縋り付く。土地に掛けられた呪詛を返すなど、もはや浄化と同じだ。


「あぁ、出来るさ。――僕の身に呪詛を移し変えればね」


 心配そうに眉を下げる緋月に、晴明は笑いかけた。その言葉に緋月が安堵した直後、彼はその笑みを不敵なものに変える。突然落とされた爆弾発言に、緋月は今度こそ素っ頓狂な声をあげざるを得なかった。


「はぁっ!? ま、待てよ爺さん! それって……」


「ははは、僕の事は心配しなくても平気だよ、紅葉。こちらの姿になってしまえば、僕に出来ない事なんて無いんだ」


 慌てる紅葉を他所に、晴明はケラケラと楽しそうな笑い声をあげた。そうして、一瞬の内に彼の姿は渦巻く莫大な妖力に包まれる。


「っ!? じ、じー様……その姿……!」


 妖気が晴れた瞬間、その場に立っていた祖父にはある異変が起こっていた。

 大和撫子も羨む美しい黒髪は、頭頂部から中腹部にかけて白く変わり、そして、その頭部に現れたのは緋月や十六夜と同じ狐耳。


「十六夜も緋月も狐で、この僕が狐じゃない訳が無いだろう?」


 晴明は片目を瞑り、自慢気に笑う。まさに、それは半妖の陰陽師だ。緋月と晴明の並びを見た紅葉は、やはり緋月には彼の血が脈々と流れているのだと感じ取る。


「ただ……流石の僕でも限界はある。もって五日……長くても六日が限界だね。まぁ、その間に返し切れるかもしれないが、その後の僕が戦力になるとは思えない」


 不意に、晴明の表情が真剣な物へと移り変わった。そうして彼は、流石の自分にも限度がある事を告げる。紅葉は一人、この膨大な呪詛を返し切れる自信がある晴明の規格外さに目眩がする心地だった。


「……その間に決着をつけろ、と言う事か」


 合点がいった様に呟くのは蒼嵐。抑揚の無い彼の言葉では疑問系の様にも聞こえるが、彼の中でしかと答えは出ている。


「――大丈夫。俺達ならやれるよ。だって……こんなに色んな人達が協力してくれてるんだよ! 出来ないはずがない! ……俺達の力で、この里を守り切るんだ!」


 沈黙に陥る作戦室。その沈黙を食い破ったのは、疾風の芯の通った声だった。その声に誰もが顔を上げる。

 疾風は、全員の顔をしかと見つめて、頷いた。その様はまさに次期棟梁。その場にいた誰も彼もが、彼の言葉に頷き返す。


「……決まり、だね。僕は今から呪詛返しに専念する。――武運を祈るよ」


 そう言うと晴明は天嵐を伴って作戦室を去って行った。

 この場を発ったのは鴉天狗の二人も同時刻。現在、里の警戒はヤタと美藍(めいらん)が代わりに行っているのだ。ハクはその場に残り、軍師と思われる兵と何かを話し込んでいる。


「……あの、緋月さん、紅葉さん。私にも呪詛返しの方法を教えて下さいませんか? 万が一の時の為に、私も覚えておきたいんです」


 そうして、残された緋月と紅葉に声を掛けたのは桐だった。その瞳に宿っているのは確かな覚悟。緋月と紅葉は互いに顔を見合わせると、頷きあって、彼女の要望に応えるのであった。


****


「――そうか。呪詛は効かぬというか」


 暗い部屋、落ちる声。黄の装束を纏った男は腹立たしげに呟いた。


「クカカ! ならば、儂自ら撃って出ようか。――青鴉狩りの始まりじゃあのぅ」


 男は手を叩いて笑う。それは、悲劇の開始の合図。

 全てが崩れ去る、嵐の前兆だった。

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