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陰陽亭〜安倍緋月の陰陽奇譚〜  作者: 祇園 ナトリ
第三章 鴉天狗の里編
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二十七話 夕闇に誓う

「――――?」


 背に走り続ける痛みに揺り起こされて、疾風はうっすらと目を開けた。ぼんやりと焦点があっていく。

 いつもより、幾ばくか天井が遠かった。いつもの様に母が厨で調理をする音が聞こえない。それどころか、誰の声も聞こえない。いつもなら、陽気に客を呼び込む道具屋のおじさんの声が聞こえるのに。


(おかしいなぁ……、おじちゃんどうしちゃったんだろう)


 疾風は身体を起こそうとしたが、何故かそれは叶わなかった。やけに背中が痛いな、と思っていれば、視界の端を綺麗な紺が掠める。


「…………起きた、のか」


 それを目で追えば、そこには疾風と同じくらいの歳に見える少年が座っていた。彼は心配そうに、横たわる疾風の顔を覗き込んでいる。全く見覚えの無い少年だ。


「……だ、れ?」


 上手く声が出なかった。何だか頭がぼんやりとしていて、いつもの様に話しかける事が出来ない。君は誰、どこから来たの、聞きたい事は沢山あるのに。


「………………そうらん……」


 少しだけ間が空いて、少年は何かを呟いた。それが何を意味するか咄嗟に理解出来ず、疾風はぼんやりと黙り込む。


「……そうらん。おれの、名前だ」


 すれば、今度は少し焦った様に、少年はもう一度同じ単語を繰り返した。どうやら、先程の言葉は彼の名前だった様だ。


「……そう……らん」


 それに倣って繰り返せば、彼は小さく頷いてそれ以上何も言わなくなる。何だか背中がやけに痛んで、疾風の意識ははっきりとしてきた。だが、起き上がりたくても起き上がれない。


「――! 動いたら、だめだ」


 とりあえず手を前に突き出して起き上がる動作を見せた途端、蒼嵐と名乗った少年が慌て始めた。慌てて、疾風を押し戻そうとして、どうしたらいいか分からずに戸惑うばかり。それから彼はすくと立ち上がって、何処かへ行ってしまった。


「――そんなに慌ててどうしたのです、蒼……。……あら」


 それから蒼嵐が連れて来たのは、彼に良く似た顔の女性であった。恐らく、彼の母親だろう。傍に座った彼女は痛みを堪える様な笑みを浮かべて、静かに疾風の頭を撫でる。


「……大変でしたね。ここにはもう……怖いものはございませんよ。安心して……お眠りなさい」


「……ぁ」


 まるで、()の様だと思った瞬間、疾風の中に凄惨な記憶が蘇った。

 未来を失った親友達。最期の悔しそうな、悲しそうな顔。「ごめん」と謝る掠れた声。冷たくなった家族達。

 磔にされた、大好きな剣士。母の着ていた黄緑の服。血濡れ色に染まった全て。


 焔と猩々緋(しょうじょうひ)に包まれて、泡沫の様に消えた大切な世界。


「わたくしは……緑嵐と申します。今日から、貴方もここの家族の一員です。……よければ、お名前を教えて貰えませんか?」


 ふと耳に飛び込んできた家族という暖かな響きに、疾風は少しの間だけ黙り込む。


「……ごめんなさいね。やっぱり……もう少し落ち着いてからで……」


 緑嵐はそれを別の意味で捉えたのか、悲しそうに微笑んで立ち上がろうとする。それを認めた疾風は、慌てて声を絞り出した。他人の優しさを無下にしたかった訳では無いのだ。


「あ……! は、はやて……はやてです!」


 思ったより大きな声が出た。緑嵐だけでなく、彼女の影にいた蒼嵐までが目を丸くして驚いている。どうやら、突然大きな声を出した所為で上手く伝わらなかった様だ。


「は、はやて……! おれの、名前……!」


 故に、もう一度己の名を叫んだ。すれば、緑嵐は今にも泣きそうな顔で微笑む。


「……ありがとう」


 震えた声は、優しく耳に馴染んで溶けた。



「……ん」


 この里に来てから、何回目かの朝だ。本当は何日も経っているのだが、疾風はその間深く眠りに落ちたり微睡んだりを繰り返していた。その甲斐あってか、疾風はようやく起き上がれる程に回復していた。


「起きたか」


 未だに痛む身体を何とかして起こせば、すぐに静かな声が飛んでくる。ぼんやりと声の方向へ首を向ければ、そこにはそこには綺麗な青が鎮座していた。


「……えっと、そうらん……様?」


「そうらんでいい。おれとお前は、兄弟になるからな」


 記憶の引き出しから名前を呼び起こして、それから恐る恐るそれを口にする。だが、彼は首を振るって敬称はいらないと言った。それは、疾風と蒼嵐は兄弟となるから。


「そっか……、そうらんはおれの兄弟になるんだ」


「……うん」


 静かに、しみじみとその事実を確かめる。兄弟と言われて、二人の親友の顔が思い浮かんだ。松風は弟で、朝霧は兄だった。

 ならば、自分はどちらになるのだろう。蒼嵐は少し人見知りをしやすそうだから、自分が兄になるのだろうか。いや、でも、彼はしっかりしてそうだな。なら弟はこちらだろうか。


「……はやて?」


 そんな事を考えていれば、訝しそうに名前を呼ばれた。多分、まだ痛みでぼんやりとしているのかと思われたのだろう。


「あ、ごめん……えっと、りょくらん様は?」


「……母上はあちらだ。……よぶか?」


 心配する事は無いと伝える為に咄嗟に答えて、疾風はとりあえず姿の見えない()を探すフリをする。


「んーん、平気」


 探していたのはただのフリ。特に用は無いので蒼嵐の提案をやんわりと断ってから、はたとある事に気が付いた。


「……りょくらん様も、そうらんも、二人とも()()って付いてるのに……おれはちがうね」


 それは、二人の名の共通点。微睡む中で、蒼嵐が父上と呼ぶ人物が「天嵐様」と呼ばれていたのを聞いていた。


「ほんとの兄弟に……家族に、なれる……かな」


 口を突いたのはそんな言葉。どうしてこんな事を言ってしまったのか、全く分からない。もしかしたら心細いのかもしれないな、と疾風は他人事の様に思っていた。


「…………で、いい」


 不意に、震えた様な小さな声が聞こえた。それは、蒼嵐の声。


「え?」


 そこから重要な意味を含んだ単語が聞き取れず、思わず聞き返す。目線を向ければ、彼は俯いて何かを考え込んでいる様だった。


「だ、……だったら、()()で、いい。お前も、おれをそうとよべばいい。そうすれば、お前もなかま外れじゃなくなる。母上と父上のことも、母上と父上とよんでしまえばいい」


 蒼嵐は顔を上げた。必死な表情がそこに浮かんでいる。彼は喋り慣れていないのか、その呼吸は少しだけ荒くなっていた。


「お前は、もう、一人じゃない……! おれが……っ! おれたちがかぞくになる……! そうすれば、さびしくない……っ!」


 その、必死な感情が浮かぶ晴天の空から、突然雨が降り始めた。


「……え、えっ! ま、待って。なんでそうが泣くの!?」


 思いもよらぬ光景に、疾風は慌てる他なかった。


「おれは、おれたちは、お前のかぞくをすくえなかったんだ……っ!」


 尚も蒼嵐は泣き叫ぶ。苦しそうな、痛そうな表情をしながら。


「ち、ちがうっ! そうの、そうたちのせいなんかじゃない!」


 蒼嵐はそんな顔をしなくたっていい。悪いのは蒼嵐じゃない。痛いのは、蒼嵐じゃない。


「おれは……! おれ、は……っ!」


 寂しいのは、苦しいのは。

 もう二度と飛べないのは。

 もう二度と、大好きだった家族に会えないのは。


 泣きたい、のは。


「――ぅわあぁああああぁぁああああんっ!」


 ずっと押さえ込んでいた感情が、決壊した。

 後から後から涙が溢れてくる。ようやく理解した。苦しい、寂しい、痛い、悔しい――家族に、会いたい。


「あらあら、どうなさったんですか……!」


 二人の泣き声を聞き付けて、緑嵐が飛んで来たのはそれからすぐの事だった。



「――緑」


 すっかり日が落ちて、外は夕闇に包まれていた。泣き疲れてしまって眠る二人の愛しい子を撫でていた緑嵐は、降ってきた声に顔を上げる。


「あら……天様……」


 そこには、愛しい人が立っていた。


「そいつら、喧嘩したのか?」


 天嵐は少し疲れた様な、困った様な顔をして問う。恐らく、引っ込み思案で人付き合いが苦手な蒼嵐との相性を心配しているのだろう。


「いいえ……なんでも、蒼が彼の事を案じて先に泣いてしまったみたいで……疾風くん……いいえ、疾風も、それにつられてしまった様です」


 何だかその様子が微笑ましくて、緑嵐は笑みを浮かべながら答えた。すれば、彼はその困り顔のまま安堵した様に笑う。


「そうか……全く、蒼の泣き虫は治らんな」


「あら……昔の天様にそっくりですよ?」


 天嵐は困った様に呟いていたが、緑嵐の脳裏には出会ったばかりの頃の彼が思い浮かんでいた。まだ自分が緑の里にいた時に、「まだ緑と一緒にいたい」と帰るのを嫌がって周りを困らせていた、彼の昔の姿が。


「そんな訳……いや、どうだったかな……」


 しらばっくれる天嵐に、緑嵐は小さく笑い声をあげる。これも愛しい記憶だ。忘れるはずがない。


「……守るものが増えたな」


 そのまま天嵐は、傍に座り込んで疾風の頭を撫でた。今日、ようやく涙を見せてくれた彼と、やっと家族になれそうだと何処かで安心する。


「えぇ……そうですね」


「この二人は……この里は、必ず守る。例え俺の命に変えてもな」


 今度こそは、守り抜く。この里の全てを愛している大鴉は、夜空にそう誓った。


「……わたくしも、最期まで貴方のお傍に」


 残された時間は短い。死期を悟っていた鴉は、たった一言答えて愛しき存在に寄り添った。


****


「――疾風」


 バサリと、空気を打つ音が聞こえて、闇に熔けていた蒼嵐が姿を現した。


「おわぁ、蒼!? どっ……どったの!?」


 ぼんやりと昔を思い出していた疾風は、突然の事に腰を抜かしそうになる。暗殺部隊としての役割も兼ねている彼は、本当に気配を消すのが上手いのだ。


「夜警の引き継ぎが終わったからな。……ついでにお前の様子を見に」


 恐らく嘘。後者が本音だろう。


「あーなるほどね! 俺は平気、この通りピンピンしてるよ! これも桐ちゃんのおかげだねぇ」


「そうか」


 疾風はすぐ様兄弟の本音に気が付いたが、特にそれを指摘する事も無く、ただ自分は絶好調だと返す。もちろんからかっても良かったのだが、それをすると後が怖いのだ。


「……戦況は?」


 だから、気付かないフリをして、戦況を訊ねた。


「優勢といえどあまり芳しくない。あの陰陽師がいるおかげで何とか優勢を保てているだけだ」


 着地して翼を畳んだ蒼嵐は、欄干(らんかん)にもたれ掛かりながら呟いた。その顔にも声にも感情は現れていないが、きっと何処か苦しい物を感じているのは確かだろう。


「陰陽師? あぁ、晴明さんね」


 突如飛び込んで来た単語に疾風は首を傾げたが、すぐにそれが誰を指しているのか思い当たって一人頷く。本当にその通り、彼がいるおかげで黄の一族は攻めあぐねているようにも見えた。


「……大丈夫か」


 ここからどうしようかと考えに耽った疾風の耳朶を、珍しく直接的な心配が叩く。


「ん、何が?」


 だが、蒼嵐が一体何を心配しているのか分からず、いつもの調子で聞き返してしまった。彼は答えてくれるだろうか。


「……傷だ。今日のと……背中の」


 やや間があってから、蒼嵐は疾風の視線から逃れる様に顔を逸らしながら呟いた。ただ、それも、幾度かの瞬きの後に真っ直ぐと疾風を射抜く。まるで、無茶はしていないかと探る様に。


「……うん、大丈夫。俺は戦えるよ。家族を、皆を守る為だったらいくらでも、ね」


 もう二度と、家族を失わない為にも。そんな思いは、声にはならなかった。

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