二十五話 消えた灯火
「なぁなぁはやて、どうやったらお前みたいにはやくとべるんだー?」
飴細工屋の前の長椅子に仲良く腰掛けながら、並んで飴細工を食べている時、先程まで疾風と競っていた松風が真剣な顔で問うてくる。黒い髪を掻き毟る彼は、ここに来るまでにもう一度敗北を喫していた。
「えー? どうやったらぁ? うーんおれ、そんなとくべつなことはしてないよ! ただ、とぶのが大好き! たのしい! ってきもちでとんでるだけ!」
対する疾風は、飴細工を少しだけかじりながら首を傾げる。しかし、その頭に思い浮かぶのはただ「飛ぶ事が楽しい」と思う気持ちばかりであった。
「そんなのぼくもいっしょだよ……。でも、すぐに先生につかまっちゃった……。やっぱりはやて君はすごいね」
それを正直に伝えれば、話しかけた方向の反対側から感心の声が上がる。少し悲しげな声色で呟くのは、先程いの一番に捕まったらしい朝霧であった。
「にぃにはただおっそいだけでしょっ! ぼくがもっとおおきくなったら、にぃにもはやてもあっというまにぬいてやるんだから!」
そんな朝霧に抗議する様に声を上げるのは、その弟である夜霧。この里で一番幼い彼はどうやら疾風に対抗心を燃やしているらしく、大きくなったら見返してやるといつも息巻いているのであった。
「またそんなこと言って……よぎりもさっき先生につかまってたでしょ……?」
「うっ……そ、そうだけどぉ」
朝霧は、礼儀のれの字も知らぬ様な弟の発言を、ため息と共に咎める。兄同様即座に捕まった事を暴露された夜霧は、目を泳がせて指の先を突き合わせた。
「松風〜、ちょっとお茶運ぶの手伝って頂戴な〜」
と、不意に柔らかな声が松風を呼ぶ。そう言いながら店から顔を出したのは、飴細工屋を切り盛りする涼風だった。彼女は松風の姉でもある為、時折彼が飴細工屋の手伝いに駆り出されるのである。
「はぁ〜? ねぇちゃんがやれよ!」
「もう、いいじゃない。ちょっとくらい手伝いなさいな? お小遣い減らされるのとどっちがいい?」
「げっ! や、やる! やるからそれだけはかんべんしてくれよ!」
渋る松風を相手に、涼風は禁断の切り札を切る。その言葉に文字通り飛び上がった松風は、慌てて店へと駆け込んで行った。
見守っていた三羽の小烏の笑い声が上がる。その声は、店の奥から聞こえてくる「だれか笑ったな!?」という声で更に大きくなった。
そこにあるのは確かな幸せ。疾風は、こんな幸せがずっと続く物だとばかり思い込んでいた。
****
「あーあ、今日はおれだけそうこの整理かぁ……」
ある日、疾風は一人、埃臭い倉庫の中で不満を呟いていた。理由は単純、掃除当番のじゃんけんに一人負けしたからである。どれだけ飛ぶのが早くても、それは運とは関係ないらしい。
「まっ、負けたのはおれなんだしちゃんとそうじはしないとだよね」
だが、疾風はすぐに気持ちを切り替えると、鼻歌混じりにはたきをかけていく。何に使うのか分からない木箱をどけて隅々まで雑巾がけをすれば、稽古の後の様な疲労感が疾風を襲った。
「あー、つっかれたぁ」
そう言いながら、先程どけたばかりの木箱の上に寝転んだ。ちょうど小さな窓から暖かな日が差し込んで、疾風は気持ちよさそうに目を瞑る。それから規則正しい寝息が聞こえてくるのに、対して時間はかからなかった。
*
『――――――!』
「ん……ぁれ」
数時間後、誰かが叫ぶ声を聞いた気がして、疾風はぼんやりと目を覚ました。
「……っ! やば! 寝ちゃってた!」
とっぷりと空が暮れているのが見えて、疾風は飛び起きる。このままでは叱られると思い、窓から様子を見ようとした瞬間、ある事に気が付いた。
「火……?」
それは、火。ぼうぼうと燃え盛る火が、疾風の目に飛び込んだ。夕焼けの赤だと思っていたものは、家屋を焼く焔の赤だったのだ。
「――っ! 火事!? たいへんだ……っ!」
ちょうど小窓は、何とか疾風一人が通れそう大きさだった。故に疾風はすぐ様窓を開け放って飛び立つ。
「ぅ……げほっ、げほ……! だめだ、けむりくさい……!」
だが、既に上空は黒い煙に埋め尽くされていた。その為疾風は飛ぶのを断念し、すぐ近くの地面へと降り立つ。それと同時に駆け出せば、僅かな違和感が疾風を襲った。
「っ、なんでこんなにしずかなんだ……?」
それは、悲鳴や怒号の類が一切聞こえない事に起因した。逃げ惑う声も避難を誘導する声も、更には助けを求める声でさえも聞こえてこない。
「とおさん! かあさん! みんなぁっ!?」
叫べど、返事は無い。疾風は焦る気持ちを抑えながら、民家の立ち並ぶ通りまで足を急がせた。だが、その途中通りがかった大通りで、ある物を目にする。
「――ぇ。……血?」
それは、誰かの流した血液。それも小さな怪我の出血量では無い。べったりと、あちこちに飛び散って点在している。
倒れ伏す何人もの里の民達。その中に見覚えのある黒髪の少年の姿を見つけ、疾風は息を飲んで足を止めた。
「――まつ、かぜ?」
それは、数刻前までようやく勝てたと勝ち誇っていたはずの親友。何でもありだと笑いあっていたはずの少年。
「……っ、まつかぜ!」
名を叫びながら駆け寄って、親友の身体を抱き起こす。すっかり体温を失った身体。光を宿す事の無い濁った瞳。何度名を呼べど、彼はいつもの様に笑って疾風の名を呼び返す事は無かった。
「まつかぜ! まつかぜぇっ……! 何で……!? 何でだよ!? おい、何があったんだよ……っ!」
疾風は混乱する頭で何が起こったのか必死に理解しようとする。だが、情報が足りない所為でそれも許されない。たった一つ分かる事は、自分は大切な親友を失ってしまったという事。
「――っ! ほかのみんな、は……?」
そっと親友の亡骸を横たえて、疾風は他の大切な人達の元へと駆け寄った。
やはり、松風と同じく皆息は無い。思わず零れていく涙を乱暴に拭いながら状況を整理すれば、皆一様に切創が致命傷となっている事に気が付いた。
つまりそれは、疾風の大切な人達を斬り殺した者がいるという事。
「……ぅ、ぉえ……」
あまりに突然で、理解し難い出来事に、疾風はふらふらと後ずさった。喉を駆け上がる異物を感じて、胃の中身をそのままその場へぶちまける。喉がひりついて痛む。
「…………そう、だ。ちょうろう、が……」
荒い呼吸を繰り返しながら、ふと疾風は長老の存在を思い出す。その瞬間、震えていた脚が力を取り戻した。そして疾風は、低空を撫でる様に飛び出した。
ここから長老の家はそう遠くない。上手く行けば、皆を斬り殺した者に出逢わずに済むだろう。
*
「――っ、長老!」
音よりも、光よりも速く飛んで、疾風は長老の家へと飛び込んだ。
だが、遅い。
既に長老は事切れていた。もう、優しい声で疾風の名を呼んで、頭を撫でてくれることは無い。彼はまるで、何かを守る様に立ちはだかって沈黙していた。
疾風は、そっと長老が守っていた戸を開いて、その向こう側へと足を踏み入れる。
「っ……!」
そこにも、見覚えのある姿。灰髪の兄弟が抱き合って、眠る様に目を閉じている。
「あさ、ぎり……よぎり……」
疾風は絶望して、二人の傍にそっと膝を着く。
「…………ゃ、……て……?」
すれば、優しい優しい兄の方が目を開いて、掠れた声で疾風の名を呼ぶ。その生命の灯火は今にも消え去ってしまいそうだ。
「あさぎりッ!」
そっと、体温を失い行く親友の手を取った。僅かに灯った瞳の光は揺らぐ。灯火は雫となって零れ落ちた。まるで、友を置いて逝く事を悔やむ様に。
「……ぁぁ……めん、ね。……ょ……ぎりの、……こと……おねが……」
ただ静かにそう遺して、朝霧の灯火は消えた。しかと握っていたはずの彼の手が、するりと疾風の手から抜けて落ちる。
泣き喚き出しそうになるのを必死で堪えた。託された夜霧を連れて、この場から逃げ出さなくてはならない。
「っ……! よぎ……ぁ」
だが、親友に託されたはずの弟も、既に亡き者となっていた。親友はずっと、事切れたはずの弟の身を案じていたのだ。
「ぁあ……っ! ぁぁああああぁああっ!」
堪えきれず、溢れ出す慟哭。それを聞き届ける者は何処にもいなかった。




