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陰陽亭〜安倍緋月の陰陽奇譚〜  作者: 祇園 ナトリ
第三章 鴉天狗の里編
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二十一話 舞い始める戦火

「――っ!」


 迫る刀。迫る刃。それを退けるは、同じく刃、爪、時折土壁。空を駆る相手は、同じく空を駆る者に制される。それでも、その猛攻をすり抜けて、翼を持たぬ者を狩ろうもその切っ先を突き付けてくる者もあった。


「――そん子に手ぇ出したら許さへん、よっ!」


 翼を持たぬ神は、金剛の爪で刃の切っ先を弾いた。地を駆けていた小さな姿は息を飲む。ここでは一瞬の油断が命取りだ。

 頭上でヤタの勇猛な叫び声が轟いている。ハクは相変わらず誰一人緋月に近付けるまいと爪を振るい、遠くでは美藍が拳と足技のみで相手を圧倒していた。


 けれど、そんな中で尚、緋月は未だ小さな迷いを持っていた。


 緋月は、今の今まで一度も自身の術で誰かを傷付けた事が無いのである。故に、今、この戦場(いくさば)においても、誰かを攻撃する事を躊躇っていたのだ。


 頭上ではヤタや青の兵士達が、目の前ではハクが、その手にした得物を、鋭利な爪を振るう度に猩々緋(しょうじょうひ)が舞う。けれど相手も決して留まる事を知らず、雄叫びと共に命を狙いに来るのだ。


「――っ! 妖魔縛々(ようまばくばく)急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」


 だから、せめて緋月は相手の動きを封じる道を選んだ。ヤタの剛腕によって叩き落とされた相手を兵士を、土壁で絡めとるようにして無力化する。

 それに意味があるのかは分からないが、誰かを傷付ける――ましてや命を奪うよりは、幾分も良かったから。


****


「緋月、紅葉。今から帰るよ、準備をしておいで」


「――――!」


 いつもの様ににこやかに、だが、いつも以上に真剣な眼差しで、晴明が二人に帰還する事を告げたのは突然の事であった。

 突然晴明がそう言い出した意味を、紅葉だけでなく緋月も当然察している。この里全体の空気が嫌にピリつき始めたからだ。


「……分かった。つっても、俺は特に済ます用もないぜ。今疾風兄さんに話しかけたら、きっと迷惑だろうし」


 先に頷いたのは紅葉であった。彼女の故郷である地獄では、争い事など日常茶飯事。それとは勿論比べ物にならない事も分かっているが、とにかく、紅葉は大きな争い事に馴れていた。


「やっぱり、戦が始まっちゃうんだね……」


 目を伏せ、何処か悲痛な面持ちで呟くのは緋月だ。鴉天狗達が争う理由も、青の一族が戦う理由も、理解はしている。

 けれどもやはり、緋月は納得出来なかった。どうして、同じ種族同士仲良く出来ないのだろうと密かに思ってしまうのである。


「あたし……桐ちゃんの事、思い出せなかった」


 心残りは、ただそれだけ。名を呼んだだけで涙が溢れ出す様な存在。それはきっと、()()()()()()にとって、桐が大事な存在であったことを示している。

 けれども、緋月はその存在について思い出す事が出来なかった。思い出させる事も、出来なかった。


 悔しさと苦しさが同時に押し寄せて、緋月は耳をペタンと伏せて唇を噛み締める。そんな緋月の肩に、そっと手を置くのは紅葉だった。


「……そんな顔すんなよ、緋月。きっと思い出せる日が来るって! 今までもそうだったろ?」


「……! ……うん、そうだね。そうだよね! ありがとう、紅葉。あたし、諦めない!」


 紅葉の優しく語り掛ける様な声に、緋月は目を見開いた。それから、目を閉じて相槌を一つ。そうして次に目を開けた時には、その瞳にはいつもの純粋で真っ直ぐな意思が宿っていた。


「それじゃあ、とにかく今は帰る準備を――」


『――――――――!』


 いつもの調子を取り戻した緋月の声を遮ったのは、突如鳴り響いた鐘の音。何度も何度も鳴らされる不安を煽る様な音に、緋月一行はたちまちその場に縫い止められた。


「今のは……」


 晴明の顔から笑みが消える。それと同時に、隠形(おんぎょう)していたらしい美藍(めいらん)が即座に顕現(けんげん)した。


「――緋月っ!」


 しかし、彼が美藍に何かを命じる前に、鋭い呼び声がそれを遮った。呼ばれた緋月がそちらへ顔を向ければ、まるで矢の様にこちらへ飛翔してくる神の姿が。


「や、ヤタ……っ!」


「どうやら黄の一族が青の一族の領土へと侵攻を始めた様です!」


 ヤタは重力を感じさせない程軽く回縁(まわりえん)へ着地すると、厳しい表情のまま唸る様に告げる。その言葉に一行の表情が痛切に曇った。


「――おい、晴明!」


 同刻、焦燥と苛立ちが混ざった様な声が晴明を呼ぶ。振り返れば、そこには厳つい表情を更に厳つくしている大鴉。


「八咫烏殿……という事は、話は聞いたか? 不味い事になった……、今帰るのは危険だぞ」


 ヤタと同じく回縁(まわりえん)に着地した天嵐は、彼女の姿を認めると、深いため息と共に苦々しい表情を作る。

 本来であれば、彼はこうなる前に友には帰ってもらうつもりだったのだろう。だが、それはあまりにも急な出来事で、不測の事態と呼ぶに相応しい状況だった。

 報告があったのは昨夜。あまりにも、行動が早すぎる。


「あぁ……。無事繋がってしまった場所まで戻れても、そこが狙われてしまえば妖街道が危ない」


 鋭く細められた晴明の瞳が揺らめいた。紫紺のそれに宿るは、憂慮と重責。ここから遠く離れた、妖街道を守る(まご)を案じる気持ち。


「――! おい、それって平気なのかよ!?」


 珍しく笑みが消えた祖父を怖々と見守っていた紅葉が、その祖父の言葉に声を荒らげた。この隠り世と繋がった場所――参番街道には、彼女の故郷の様に民の安全を守る組織は存在しない。


「……分からない。一応不可視の術は掛けたが……見つかってしまう危険性はあるね。――仕方ない、僕が出て閉じてこよう」


 難しい顔のまま、晴明は目を閉じる。考え込む様に息を吐いて、それから「仕方がない」と自身が出て穴を塞ぎに行く事を選んだ。


「悪いが……援護はすれど、お前の安全の保証は出来ねぇぞ」


「ははは、平気さ! だって僕より強い者なんて存在しないからね!」


 同じく難しい顔で唸る天嵐の言葉を、晴明は高らかに笑いながら一蹴した。ようやく浮かんだその笑みは、絶対的な自信に満ち溢れている。


「……ハッ、相変わらずだな」


 相変わらずの友の姿を見て、天嵐の口元は苦々しく緩む。だが、そこには僅かに安堵の情が現れていた。


「じー様! あたしたちにも何かできる事、ない?」


 と、ようやくここで今まで静かにしていた緋月が口を開く。そのべっ甲の様な瞳に宿るは、「妖街道を守らなくては」という強い意志。


「――! いいや、危険だ。気持ちはありがたいが、緋月はここで待っていてくれ」


 だが、意志のみではどうにもならない。とりわけ緋月は身を守る術が極端に少なく、唯一の捕縛術もまだ半人前だ。

 故に晴明は、首を縦に振らなかった。大切な者が危険な目にあうくらいなら、己が無茶をする方がずっといい。


「で、でも……妖街道の皆が危険なら、早く何とかしないと! 確かにじー様は強いけど……みんなで手分けしてやった方が早いよ!」


 しかし、それは晴明の血を引く緋月も同じであった。大切な者――妖街道に住む全ての妖怪達が危険な目にあう可能性があるのならば、自身が怪我を負ってでも、一刻も早くその可能性の芽を摘みたいのだ。


「だが……」


 悲痛と憂慮、そして切なる願い。そんな思いがこもった瞳を真っ直ぐにぶつけられて、晴明はたじろいだ。


「……晴明、ウチらがついとるんよ。やから、緋月は絶対に守る。――なぁ、せやろ? ()()()


 そこで声を上げたのはハクであった。今まで静かに一連の流れを見守っていた彼女は、いつもの様に甘えた声では無く真剣な声で晴明に進言する。


「……フンっ、当たり前でしょう、()()。緋月に手出しする輩は、誰であろうとこのヤタさんが許しませんよ!」


 なぁそうだろう、と当たり前の事を確認してきた片割れに、ヤタは鼻を鳴らしながら頷いた。いつもは仲違いばかりだが、こうなった彼女らは緋月の強固な矛と盾へ変貌する。


「…………分かった。美藍、悪いが緋月についてもらえるかい? 僕には夕凪(ゆうなぎ)が居れば十分だ」


 六つの眼にじっと見つめられ、やがて晴明は真剣な面持ちで頷いた。そして、顕現して尚ずっと傍にいた美藍へ指示を出す。


「アイ、お任せ下サイ」


「……緋月、妖街道を浮上させた時の術は覚えているね? あれと同じ様に五芒星を描いて、僕が術を使う。この場所は木行の気に満ちているから、場所は美藍が分かるはずだ」


 美藍が緋月の傍に移動するのを見ながら晴明は、そっと緋月の前へしゃがみ込み、懐から一枚の札を出す。そうしてそれを緋月に握らせると、いつかのあの時の様に、とこれから行う事の説明をした。


「……なぁ、俺も行くよ。そしたら、爺さんの負担も減るだろ?」


 そこに、ならば自分もと声をかけるのは紅葉だった。彼女も同様に晴明の血を引く者だ。一人だけ黙って見ている事など、到底出来るはずも無い。


「――! ならばワタシは、紅葉(ホンイェ)様に……」


「大丈夫。――俺は、こうすればいいからさ。場所だって水紋(みなも)が見つけてくれるよ」


 紅葉は美藍の言葉を遮って、()()()()()()()()()()()。途端に彼女の姿が変わり、乳白色の角がその姿を現す。

 傍で青白い焔が揺らいだ。紅葉の手の中の簪が形を変え、漆器の様な大槌(おおつい)となる。


「……あぁ、それでは頼んだよ。――但し、身の安全が第一だ」


 そう言うと同時に、晴明の真剣な瞳がキラリと揺らめいた。

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