二十話 始まりの日
まるで縋る様に蒼嵐を引き留めた桐は、彼を長椅子へ座らせる。そして、バクバクと存在を主張する心臓を宥めながら、緊張で冷えた指先を彼の傷口近くへ伸ばした。
「……掛けまくも畏き八百万の神々よ、我が願いを聞し食せと畏み畏み白す。どうかこの者に、安らぎと癒しを」
澱みなく奏上を唱えれば、暖かな力が冷えた指先を温めて、そのまま蒼嵐の傷口へと流れ込んでいく。集中力を絶やさぬ様に、どうか治りますようにと祈りを込めれば、それはみるみるうちに塞がって行った。
蒼嵐は目を見張って、そっと解放された腕を眺める。傷口は完璧に塞がり、跡すら残されていない。じんじんと腕を蝕んでいた痛みさえもさっぱり消えていた。
「……っ、ぁ……、ぁのっ!」
不意に、腕を凝視していた蒼嵐に呼び掛ける声があった。
――桐だ。彼女は酷く緊張している様で、絞り出された声は裏返っている。
「……何だ」
蒼嵐は少し迷ってから言葉を返す。なるべく怯えさせない様にと思っていた筈なのに、いつも以上にぶっきらぼうな声になってしまい、彼は僅かに焦った。
「そ、その……ぁ……、ありがとう、ございました……っ」
だが、そんな事は気にしていないと言う様に、桐は懸命に感謝を伝えてくる。最初はあんなに怯えて心労で倒れてしまう程であったのに、随分成長した物だと蒼嵐は静かに考えた。
「……いや、いい。気にするな。怪我もこうして治ったからな」
首を振って、簡潔に答える。力を持たない者を守るのは当然の事だ。そのまま腕に目を向ければ、既に何処に傷があったのか分からない程である。
「あ、いや、ち、違くて……! あ、え、えっと、違くはないんですけど……」
「…………?」
だが、蒼嵐の答えを聞いた桐は「そうではない」と慌て出した。しどろもどろになる桐をまじまじと見遣りながら、蒼嵐は眉間に皺を寄せる。
「そ、その……、さっきの事も、何ですけど……えぇと、さ、最初に、私を助けて下さった時の話、です……!」
「――――!」
蒼嵐は息を飲んだ。腹部に深手を負っていた桐を救い出し、里へ連れて来たのは随分前の話である。
あの時、彼女を助けたのは、自分達と同じ青の装束を纏っていたから。どうしても、放っておく事が出来なかったからだ。
――そんな前の話を、どうして。
「私、ずっとお礼が言いたくて……でも、でもっ……知りもしないのに私、ずっと勝手に怖がってて……! ごめんなさい、本当に……っ、ごめん、なさい……っ!」
青い少女の声は、徐々に涙混じりの声に変わっていく。後悔と懺悔に揺れる浅葱の瞳から幾筋もの雫が零れ落ちている事に気が付いて、静観していた蒼嵐は肝を冷やした。
「……! な、泣くな。気にしていない」
それは、本心からの言葉であった。
自分の顔付きが父親に似ていて、怯えられてしまう事も父親を見ていれば分かる事である。全く気にしていないと言えば嘘になるが、それが仕方の無い事だと思う事は出来た。
それに相手――特に、異性に泣かれるとどうしていいか分からなくなるのだ。
「っ……ぅ、ごめんなさい……!」
「……っ!? そ、そうじゃない、謝るな」
けれど、その本心が相手に伝わる事は無かった。少女は尚の事涙を流し、その上必要の無い謝罪まで口にする。こんな時、咄嗟に上手く訂正が出来ない自分に腹が立った。
「もーっ、ごっめんね〜! 蒼ってば本当に言葉足らずなんだから!」
不意に、後ろからバシンと背中を叩かれて、聞き馴染みのある声が落ちてくる。蒼嵐はその声に少し安堵したが、声が紡いだ内容に眉根を寄せた。
「……どう言う意味だ」
「いや、どう考えてもそのままの意味でしょ!? そんではい、ほら! 椋と隼も謝る!」
疾風は、ムッとした様な蒼嵐の言葉を一蹴してから、今回の事件の発端である二人の兵士を呼び付ける。すれば、声を掛けあぐねていた二人はおずおずと近寄って来た。
「う、巫女姫様も蒼嵐様もごめんなさぁい……」
「誠に言い訳のしようもござらぬ……少々熱くなりすぎたでござる……」
すっかり意気消沈した二人は、まるで叱られた子供の様だ。椋も隼も、今にも泣きそうな申し訳なさそうな顔をして、明らかに肩を落としながら頭を下げる。
「……ぁ、い、いえ! その、わ、私こそ……ぼうっとしてて……。ごめんなさい……!」
その様子に涙も引っ込んだ様で、桐は首をゆると横に振ると、口元を柔らかな微笑みに染めた。
「……俺は構わん。だが、次からは気を付けろ。今はこんな戦に慣れてない奴ばかり――」
蒼嵐はそんな桐をちらりと見ながら、次は無いぞと叱責しようとする。
「ちょっ蒼! だからそう言うとこだよ!? 言い方ってもんがあるでしょうが! ちゃんと危ないから心配だって言いなさいっ!」
が、その言葉は途中で疾風の大声に遮られた。疾風が言っている事は図星。だが、それを認めるのも何処か気恥ずかしくて、蒼嵐は少し考えた後に嘘をつく。
「…………、そういう、意味では」
「いやいやいや、そう言う意味でしか無いでしょ!?」
「別に心配はしてな――」
「や、それは嘘すぎるって! 俺、蒼がずっと最上階で警護してたの知ってるし、ヤタ様に護衛の役目持ってかれた時はちょっと困ってたの知ってるからね!?」
何度も否定され、言葉を遮られ、その上全てが図星で、蒼嵐は眉間に皺を刻んで疾風をじっと見る。決していいとは言い難い目付きが更に鋭くなっていた。
「……馬鹿を言うな。後半はお前の勘違いだ」
「勘違いじゃないよ! だってあの日、なんかいつも以上に蒼の指導厳しかったし!」
その鷹の様な目付きにも慣れた物で、疾風は一切気圧される事無く言い返す。恐らく、この里で彼にいつもの調子で言い返す事が出来る者など疾風を筆頭とする家族くらいだろう。
「えぇ〜八つ当たりは良くないですよぉ蒼嵐様ぁ〜!」
「同感でござる!」
否、疾風の隊に所属し、彼と似た様な雰囲気を纏うこの二人の兵士もそうだった。二人は先程までのしょぼくれた様子から一変し、何処か憤慨した様な面持ちで蒼嵐へと詰め寄る。
「煩い、黙れ。違うと言ってるだろうが……」
三人の小鳥に絡まれた鷹は、心底辟易とした様子で首を振る。鬱陶しそうに、掌で羽虫を払う様な仕草を取れば、三人の小鳥達は更に騒がしくなった。
その彼の様子は、桐が心の中で抱いていた雰囲気とは掛け離れていて、なんだか、おかしくて。
――あぁ、彼もこの里の鴉なのだ。
そう思ったら、すっと恐怖は何処かへ行ってしまって。
「……ふふっ!」
桐は思わず、笑い声を上げた。
「――――!」
突如上がった鈴の音の様な笑い声に、押し問答を続けていた四人は動きを止めて、桐を注視する。そして、蒼嵐以外が嬉しそうに顔を見合わせて、
「――あははっ! ほら、蒼、笑われてるよ!」
代表する様に疾風が声を上げた。彼はそのままバシバシと蒼嵐の肩を叩き、懲りない様子でからかい続ける。
「違う、お前が煩いからだ」
「ふ、ふふ! す、すいません……何だか皆さん仲良しで、とっても面白くて……!」
「…………いや、仲良し、では……」
苛立った様な蒼嵐の反論も、桐の言葉の後には失速した。彼は何処か困った様に眉間に皺を寄せながら、しどろもどろになって視線を彷徨わせる。
「えっ何!? 蒼ってば照れてんの!?」
「っ、違う。黙れ。殴るぞ」
「どわぁ痛いって!? もう殴ってるから!?」
「あ〜! 蒼嵐様暴力的だぁ〜!」
疾風の弄りに耐えられなくなったのか、遂に蒼嵐は拳を義兄弟の肩へとめり込ませる。それに悲鳴を上げる疾風、便乗して蒼嵐を煽り出す椋、やれやれと首を竦める隼。
何もかも新鮮で、面白くて――暖かくて、桐はいつまでも頬を染めて笑い声を上げ続けるのであった。
もう、怖くない。
幸せな世界を赤く染め上げて、日は静かに落ちて行く。
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「――天嵐様」
本丸、最上階。棟梁の間で目を閉じ、瞑想をしていた天嵐へと声を掛ける者がいた。ゆるりと目を開ければ、そこには老婆の矮躯。それは忍鴉の纏め役――紫嵐であった。
「……紫嵐か。どうした」
「偵察隊から……黄の一族の動向がいよいよ怪しくなってきたとの連絡が入りましたぞ……」
静かに問い返せば、老婆はしゃがれた声で淡々と事実を告げる。その言葉に、これから起こり得る惨劇を想像し、天嵐は小さく息を吐くと共に目を閉じた。
「…………、そうか。やはりな」
静寂、沈黙。やがて、天嵐は覚悟を決めた様に目を開けた。その瞳には暗い焔が揺れている。
彼らは、守る為に武器を手に取らなくてはならないのだ。
「――紫嵐。今すぐに蒼と疾風……それと晴明を呼んでくれ」
「畏まりましたじゃ……」
静かに、日が落ちて行く。
まるで、この里の行く末を暗示するかの様に。




